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大河ドラマ「立花宗茂」でぜひ見たい!家臣との絆のエピソード

2023/6/2

なぜ、立花宗茂の甲冑の袖が、小野家で伝えられてきたのでしょうか?




以前ご紹介した我らの大先輩、渡辺村男さんは、このように書いています。

※あとで解説しますので、読み飛ばしてかまいません。
 臨場感あふれる描写を、わたしだけが楽しむのは勿体ないので長めに引用しました。




小野成幸 小伝 

(中略)碧蹄館の役先鋒隊長の一人たり。午前の戦争中勇猛を振ひ敵を斬る事多し。時に 成幸 両袖あれば敵を斬るに邪魔となるを以て、之を切り捨てゝ奮戦せり。

宗茂 休息中 成幸 を招き 其奮闘抜群を賞す。且つ曰 鎧の袖なきは甚だ見苦しき也。故に軽き袖を与るを以て之を著けよ。又敵将の持ちたる団扇を与へて曰、之を以て部下を指揮せよと。成幸感泣して曰 之を以て功を建て其恩に報せんと。

正午の激戦 成幸 金甲の先鋒隊を率ゐ敵の本陣に突貫す。時に宗茂の隊は常に中堅を砕き直進し、其左右と後方とは浮田[引用註:宇喜多]小早川等の軍に委ね咸な殊死驀進す。其状恰も疾風の秋葉を払ふが如し。狼狽せる敵中一将あり、成幸 馬を躍らして之に薄る、遂に重囲に陥り戦死す。

其後 其子孫 唐団扇を以て家紋となし、又宗茂より賜ひし鎧の両袖は今尚之を保存すと云。(後略)

※表記は原文のままですが、漢字の旧字体だけは新字体に変換しています
渡辺村男 『碧蹄館大戦記 』大正11年(1922)民友社  246・247頁(下記の書誌163コマ目)

渡辺村男 著『碧蹄館大戦記』,渡辺村男,大正11.
国立国会図書館デジタルコレクション 〔 公開範囲:送信サービスで閲覧可能〕

国立国会図書館デジタルコレクション を活用すると資料へのアクセスがスムーズです。利用者登録をすればネット上で閲覧できる範囲がとても広がります*


小野成幸は、文禄元年(1592)に宗茂とともに朝鮮に渡った、2千5百の立花軍の一員でした。
翌2年(1593)1月、朝鮮漢城〔現在の韓国ソウル〕北方の碧蹄館における明軍との激戦の中で、成幸は動きの邪魔となった両袖を切り捨てます。

袖とは、両肩につける、鎧の一部品です。
甲冑の袖は、古くは矢を防ぐ盾となるように大型でしたが、火縄銃が主戦力となる16世紀末頃からは、動きやすさが重視されたのか、次第に小型化していきます。成幸も袖は無用だと思ったのかもしれません。

しかし、袖のない成幸を見た宗茂は、見苦しいからと、自分の鎧の軽い袖を与えて、着けさせます。

当時の鎧は、基本的に頭、胴、腕、股、臑を守る部品のデザインをそろえ、一式として着用するものでした。他は自分の鎧のまま、宗茂の袖をつけた成幸は、ちぐはぐに見えたはずです。

それでも、成幸にとって、 主君の袖は大きな誉れでありました。それに報いんと先鋒隊を率いて奮戦し、残念ながら戦死を遂げます。


この話の袖こそが、小野家に伝来した 「金白檀塗色々威壺袖」柳川古文書館所蔵) ではないかと考えられるのです。



なんとドラマティック!!
とても宗茂らしいエピソードだと、わたしは勝手に思っています。

忠義な家臣との絆を感じます。
そして、平和な儀礼の場ではない、厳しい戦いの合間に、袖を邪魔だと言う家臣に、見た目が悪いという理由で袖を与える、宗茂の空気の読めない大らかさがステキです。

刀や鑓ではなく、身に着ける防具をやりとりするなんて……
NHK大河ドラマ「立花宗茂」が実現したら、絶対にこのシーンは見たい!






主君の宗茂から拝領した袖に、 さらに主筋の大友家の家紋「杏葉紋」の金具が付いていたとしたら、成幸や小野家にとって、非常に大きな誉れであったと想像されます。だからこそ、本人の死後に異国の地から持ち帰られ、大切に伝えられてきたのでしょう。

「金白檀塗色々威壺袖」と「杏葉紋」については
この動画を150秒ご覧ください



実際、ともに小野家に伝来した具足の他の部分柳川古文書館所蔵)と、袖とを見比べても、全くスタイルが異なるため、袖だけを宗茂から拝領した話にも頷けます。さらに、唐団扇紋のついた指物も、具足と同じ櫃に納められて伝来しているのです。



袖のやりとりは本当にあったんだ! 村男さんは嘘つきじゃなかった!

わたしたちは、その場で見ていたかのように描写しながらも、引用元を明かさない村男さんの話を、話半分か四分の一に聞いていたので、2016年秋の”袖の再発見” は、とても嬉しい驚きでした。

喜びのあまり、おむかいの黒田屋菓子舗さんで、特注の袖ケーキまで作ってもらっちゃいました。

※とても素晴らしく、美味しかったケーキなので再掲しました。


村男さんが調査した100年前は、今では失われてしまった史料も残存していたのでしょうか?
小野家伝来の袖の存在も、宗茂と成幸のやりとりも、当時の柳川ではよく知られていたのかもしれません。

しかしながら、近代から現代にいたる間に、袖の話はいつしか忘れ去られてしまっていたのです。


実は、この袖のやりとりは、江戸時代の武具類の台帳に記録されていました。
逆に言えば、村男さんの著作以外では、武具類の台帳でしか確認できません。

現在確認できる、最も古い記録はこちらです。
武具類の台帳なので、前後のやりとり等は省略され、いたってシンプルです。

一、 御鎧  壱領
立斎様朝鮮御陣中御召 負箱ニ〆外箱入 
右者文禄年中於朝鮮御陣中 御袖小野喜八郎江被為拝領候 其後同御陣中ニ而御袖小田部新助進上仕 唯今之御袖ニ御座候

「御道具改御帳」(柳河藩政史料1011-2)  安永7年(1778) 柳川古文書館所蔵

朝鮮御陣中において、御袖を小野喜八郎へ拝領せられる。其の後、同御陣中にて、御袖を小田部新助が進上つかまつる。 唯今の御袖がそれである 。



ドラマティックさは全くなく、袖のやりとりが追加されました。



贈る方を白、贈られる方を黒にして図解すると、こうです。

小野成幸 ●←拝領―○ 立花宗茂 ■←進上―□ 小田部統房


小野喜八郎は小野成幸〔小野和泉守鎮幸の従兄弟〕のこと、小田部新助は小田部統房〔立花宗茂の姉妹の夫〕だと考えられます。
どちらも天正10年(1582)頃には戸次道雪の近臣として名前が確認でき、宗茂とともに朝鮮に渡っています。

■もっと知りたい方のために■
・小野成幸
白石直樹「新市史抄片150 宗茂の養子入りと戸次家家臣」(柳川市HP「広報やながわ」2017.12.1号)※リンクが繋がらない場合はタイトルで検索してください。
・小田部統房
堀本一繁「No.336 戦国時代の博多展8-安楽平城をめぐる攻防」(福岡市博物館HP > アーカイブズ > 企画展示
「小田部新介小伝(中略)碧蹄館役常に宗茂の左右に侍り作戦計画に参加せり(後略)」( 渡辺村男『碧蹄館大戦記 』1922 民友社)

●の袖は小野家に伝来した「金白檀塗色々威壺袖」柳川古文書館所蔵)。
となると、■の袖は立花家に伝来しているはずです。



伝来していました。
2010年の調査で、小田部家の家紋がつく大袖が、立花家に伝来してきたことが再発見されました。小野家の袖が再発見される6年前です。

黒漆塗本小札藍韋威大袖 立花家史料館所蔵


大名道具をあつかう史料館の学芸員にとって一番の醍醐味は、伝来してきたモノ史料と文字史料の相乗効果により、新たな知見が得られることです。

この袖のやりとりは、その最たる例だといえます。

小野家拝領の袖、小田部家進上の袖、わずかな文字史料をあわせると、村男さんのドラマティックさを超える、史実のファンタスティックさが見えてきます。
だからこそ、わたしはこのエピソードを映像化してほしいと願うのです。


それでは、皆さまの疑問にお答えします。
ドラマティックさを超えるファンタスティックさって、どういうこと?




※次回こそなるべく早くアップしますので、お待ちください。

参考文献
渡辺村男『碧蹄館大戦記 』1922 民友社、柳川市史編集委員会 編『柳河藩立花家分限帳(柳川歴史資料集成 第3集)』1998.3.20 柳川市

◆◇◆ 立花家伝来史料モノガタリ ◆◇◆
立花家伝来史料として、現在まで大切に伝えられてきた”モノ”たちが、今を生きる私たちに語ってくれる歴史を、ゆっくり読み解いていきます。

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立花宗茂に勝利をもたらした「摩利支天」

2023/5/22

NHK大河ドラマ「どうする家康」第19話(5月21日放送)のオープニングのアニメーションを見た瞬間、テンションがあがりました。


摩利支天だ! 


立花家史料館にとっては馴染みの深い神像なので、どのような扱われ方をするのだろうと、本編を食い入るように見てしまいました。
「どうする家康ツアーズ」恵林寺(山梨県甲州市)の不動明王像(武田不動尊)がとりあげられていたので、それに呼応させたのでしょうか。

* 武田不動尊について大変興味深い記事がありました。「武田不動三尊像について、学術的な新発見が公式発表されました... 」(恵林寺HP)/「武田不動尊にかかる新たな発見について」(甲州市HP)*



戦国時代、生きるか死ぬかの一瞬を生きた武将たちは、我が身の安泰や一族の存続を切実に願い、九万八千とも数えられた神や仏を頼みにしました。


立花宗茂もさまざまな加護を願っていたことが、残された護符類から推測されます。特に目を引くのが、宗茂が自身の守護本尊としていた、摩利支天への信仰です。

摩利支天は、陽炎が神格化したもの。光により自らを見えなくする「隠形」の効能を特徴とします。
実体のない光は、捕まえられることも傷つけられることもなく、まっすぐに進んでいくのです。

戦国時代には、戦勝の神として、武士たちから篤く信仰されていました。


こちらの 三神が描かれた掛軸をご覧ください。

軍神掛物(部分) 絹本着色 縦61.1×横31.5㎝

立花宗茂が、戦の陣中に持参したものと伝えられてきました。
陣中に持参しやすい感じの、すこし小ぶりの掛軸です。

* 当館での過去の展示の様子から、大きさが伝わるでしょうか *

各像の姿や持ち物から判断して、猪に乗った中央の神像は摩利支天、軍馬に乗った甲冑姿の神像は将軍地蔵(勝軍地蔵)、笏を手にした右の神像は、高野山の鎮守である高野明神とみられています。

このような三神の図像は、他にあまり例を見ない組み合わせです。


そして、摩利支天に注目!!

顔が3面、腕が6本ある男神で、弓矢や金剛杵を持ち、1頭の猪の背に座った姿で描かれています。

しかし、NHK大河ドラマ「どうする家康」に出てきたのは女神でした。

実は、摩利支天は古代インドの女神に由来するのですが、日本では平安時代から、男神としても描かれるようになりました。

猪に乗っている姿で描かれる例が多く、猪が7頭に増える場合もあります。
突進する猪の素早さに、災いを払い除けて進む「光」のイメージが重なるのでしょうか。


光といえば、このキラメキ。

現存する立花宗茂の甲冑2領 「鉄皺革包月輪文最上胴具足」と「伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足」には、どちらも大輪貫頭形兜に鳥の羽根で作られた飾り(鳥毛後立)が付いています。


わたしは、この鳥毛後立のキラメキを見るたびに、摩利支天を連想します。
金をつかわず “輝く光” をあらわすのに、このニワトリの羽根はもってこいではないでしょうか。



* 以前、このニワトリの羽根について、フカボリしました *





この鳥毛後立の羽根のキラメキは、展示ケースのガラス越しでは見えにくいので、常々はがゆく思っておりました。

今回のオンラインツアーは絶好の機会です。是非、様々な角度から見るキラメク鳥毛後立をご堪能ください。

オンラインツアー「立花宗茂の甲冑大解剖Ⅱ~すべて魅せます!表も裏も細部まで~」(2023.6.2開催)では、「鉄皺革包月輪文最上胴具足」の内側や細部を植野館長が直接カメラで撮影しながら解説。付録ブックレット(B6版フルカラー 24頁)も大充実。他の武将の当世具足を鑑賞するときにも必携の書となるはずです。



立花宗茂と徳川家康の年齢差は、約四半世紀。

いろいろ違いはありますが、信じるところは同じなのかなと、放送を見ながら感慨にふけりました。ただし、家康さんの摩利支天信仰については、今回のドラマで見ただけですので、あとでちゃんと調べます。



大輪貫鳥毛後立兜をデザインしたモチーフを刺繍した、ミニタオルハンカチができました。 使いやすく、上質なタオルです。





参考文献
高野山霊宝館仏に関する基礎知識:摩利支天」( > 収蔵品紹介 > 仏に関する基礎知識 )、吉田典代「 摩利支天をめぐる言説と美術 : 日天との関わり」(『研究年報』 65号 2019.3 學習院大學文學部)

*** ココまで知ればサラに面白い ***
学芸員として人前で作品解説をする際、ココまで知ればサラに面白くなるけれどと思いながらも、時間等の都合でフカボリせずに終わらせることは少なくありません。そんな、なかなかお伝えする機会のないココサラ話をお届けします。

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兜の脇立をはずせますか? 立花宗茂の月輪脇立

2023/1/18

当世具足と組み合わされる兜、その両脇につく飾りを「脇立」といいます。
わたしが甲冑を展示する際に、最も神経をとがらせるのが、「脇立」をはずす時です。

脇立がどのように付いているのか? どうやって外すのか?



実際にはずす動作を見るのが一番わかりやすいので、オンラインツアーでご覧いただきたい。これこそ通常の展示室では不可能な、オンラインツアーの醍醐味!滅多にない機会です。

オンラインツアー「立花宗茂の甲冑大解剖Ⅱ~すべて魅せます!表も裏も細部まで~」(2023.6.2開催)では、「鉄皺革包月輪文最上胴具足」の内側や細部を植野館長が直接カメラで撮影しながら解説。付録ブックレット(B6版フルカラー 24頁)も大充実。他の武将の当世具足を鑑賞するときにも必携の書となるはずです。



簡単にいうと、兜の両脇に出ている角元に脇立を差し込んで付けます。



大輪貫鳥毛後立頭形兜(伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足)

写真の脇立は、金属製だと誤解されがちですが、実は薄くて軽い木製です。黒漆が塗られ、鏡面のように仕上げられています。上部中央の蝶番により、半分に畳んで収納できます。

脇立の下部にご注目ください。角元が少し覗いているのが分かるでしょうか。

脇立を兜に装着する際は、真上から差し込みます。ただし、力まかせに押し込むと、抜けなくなる可能性があります。繊細な文化財を保護しながらの展示作業では、押し込むより引き抜く方が、コツが必要で難しいのです。

しかし、角元がみえると見栄えが悪いので、無理のない範囲で押し込まないといけない……これは前立や後立、頭立にはない、脇立だけにある葛藤です。



当世具足より以前の甲冑には脇立が付くことがないので、脇立を外した経験がある学芸員さんも、意外と少ないのではないでしょうか。学芸員でも、兜から脇立を外す瞬間を見る機会は希少だといえます。

脇立の外し方を一例でも知っていると、他の武将の脇立を鑑賞するのがサラに楽しくなります。

例えば、「銀大中刳大盔旗脇立頭形兜」(福岡市博物館所蔵)も、基本的な造りは同じなので、素材や構造を推測できます。だからこそ、大きな脇立を支える角元の形や、外した脇立を収納する箱についての疑問がサラに生じ、本当に楽しいです。

この楽しみを分かち合える方々が増えると嬉しいので、今回のオンライツアーを強くオススメいたします。

◆解説本『立花宗茂の甲冑大解剖』330円(税込・送料別)販売中◆
「伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足」の、展示では鑑賞できない、裏側やパーツについての写真と解説を掲載。 B6判 全16ページ オールカラー




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2023.5.12改稿

オンラインツアー「立花宗茂の甲冑大解剖~すべて魅せます!表も裏も細部まで~」は、オンラインだからこそできる内容を目指した当館初企画です。第1回目は「伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足」。展示中の甲冑を脱がせながら、裏側をのぞいたり細部に肉迫したりと、植野館長が直接カメラで撮影をしながら解説します。付録の「立花宗茂の甲冑大解剖解説冊子」(B6版16頁オールカラー)も充実しているので、例えば徳川家康とか、他の武将の当世具足を鑑賞するときにも必ずお役に立つはずです。

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立花宗茂はニワトリの羽根で兜を飾っていた?![後半]

2023/1/15

宗茂の視点でニワトリを見るために、時間をさかのぼってみます。





現存する日本最古の書『古事記』(上巻 天の岩屋)に記される「長鳴鳥」は、鳴くことで太陽の出現をうながすところから、ニワトリを指すといわれます。
闇夜が終わり、光輝く朝が来たことを告げるニワトリは、霊鳥として崇められていたようです。

イメージ参考図
  狩野英信「中諫鼓鳥左松旭右竹月図」 江戸時代中期 当館蔵



また、雄鶏同士を戦わせる闘鶏「鶏合わせ」の歴史は上代から始まります。時には、『平家物語』にみられるように、「鶏合わせ」で命運を占うこともあったようです。室町時代以降、闘鶏はさらに盛んになり、賭け事の対象ともなって広まっていきました。

現代っ子で食いしん坊のわたしは、卵や肉を食べる対象としてニワトリを見てしまいます。ですが、400年前の宗茂が見ていたニワトリは、明るい朝が来たこと告げ、勇ましく戦う、美しい鳥であったのでしょう。

* 例えば、宗茂より150年ほど後の絵師、伊藤若冲の代表作「絹本著色動植綵絵」【国宝】(国所有 宮内庁三の丸尚蔵館保管)のニワトリも、色鮮やかな美しさと力強さをもって迫ってきます*



久連子鶏などの日本鶏の一部は雑種化されることなく個性が守られ、今も大切に育てられています。容姿の良さ、声の美しさや長鳴性、報晨の正確さ等の長所が育まれ、闘うための強靭さや胆力を養われた日本鶏たちは、まさに芸術品ともいえます。





しかし、そのなかでも、宗茂の兜を飾る羽根のような、玉虫色に輝くほどの艶がある黒色で、幅が広く、ふんわりとカーブする、長めの尾羽をもつ種は、久連子鶏以外には見つけられませんでした。

宗茂と、当時の久連子地区との接点はなさそうなので、400年前には似た尾羽をもつ他の種も存在していたのでしょう。候補の1つとして、鹿児島の幌鶏の系統を考えていますが、すでに絶種しているため確かめる術がありません。



宗茂の兜の羽根(鳥毛後立)は確かにニワトリの羽根ですが、聞くのと見るのとでは全くイメージが変わるはずです。是非オンラインツアーで、芸術品のような日本鶏の中から宗茂が選びぬいた、美しい尾羽をお確かめください。

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新たな日(時代)の到来を告げる、美しさと強さを兼ね備えたトリの羽根は、まさに宗茂にふさわしく、見た目と意味のトータルでみても、抜群のセンスではないでしょうか。



余談になりますが、この宗茂の鳥毛後立をご覧になった上で、同じく鳥毛を兜の立物として使用する、宗茂より4歳年長の細川忠興(1563-1645)所用の兜の「山鳥尾羽の掴指」(黒糸威横矧二枚胴具足)を鑑賞されると、いろいろと考察がはかどるのでオススメです。



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大輪貫鳥毛後立兜をデザインしたモチーフを刺繍した、ミニタオルハンカチができました。 使いやすく、上質なタオルです。




参考文献
『古事記』上巻「天の石屋②」(古事記ビューアー/國學院大學「古典文化学」事業)、尾崎士郎『現代語訳 平家物語 下』青空文庫文化遺産オンライン(文化庁)、黒田智「ニワトリ 神意を告げる霊鳥」(中澤克昭 編『人と動物の日本史2歴史のなかの動物たち』2009.1.10 吉川弘文館)、日本家禽学会HP「日本鶏の紹介」、小山七郎『日本鶏大観』1979.4.15 ペットライフ社

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2023.5.12改稿

オンラインツアー「立花宗茂の甲冑大解剖~すべて魅せます!表も裏も細部まで~」は、オンラインだからこそできる内容を目指した当館初企画です。第1回目は「伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足」。展示中の甲冑を脱がせながら、裏側をのぞいたり細部に肉迫したりと、植野館長が直接カメラで撮影をしながら解説します。付録の「立花宗茂の甲冑大解剖解説冊子」(B6版16頁オールカラー)も充実しているので、例えば徳川家康とか、他の武将の当世具足を鑑賞するときにも必ずお役に立つはずです。

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立花宗茂はニワトリの羽根で兜を飾っていた?![前半]

2023/1/11

立花宗茂の兜を飾るニワトリの羽根について、フカボリします。

現存する立花宗茂の甲冑は、当館所蔵の2領 「鉄皺革包月輪文最上胴具足」と「伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足」です。どちらも兜に鳥の羽根で作られた飾り(鳥毛後立)が付いています。

鉄皺革包月輪文最上胴具足
永禄~天正年間頃
伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足
慶長5年(1600)直前頃



















ただ、動物性の素材は経年劣化が進みやすく、今の羽根飾りは、20年程前の修理時に補修されたものです。残されたわずかな羽根を頼りに探し求めた末、熊本県八代市の久連子鶏(熊本県指定天然記念物)の尾羽と近しいことが分かり、同地区の保存会の皆様のご厚意により貴重な尾羽をご恵贈いただきました。

久連子鶏 雄(写真提供 八代市)
久連子鶏 雄・雌(写真提供 八代市)


このお陰で、光を受けて玉虫色に輝く鳥毛後立が再現され、宗茂の勇姿がイメージしやすくなっています。

つまり、宗茂の兜の羽根(鳥毛後立)は、ニワトリの尾羽を束ねたものです。

現代の修復時には貴重な久連子鶏の尾羽を使わせていただきました。
しかし、400年以上もの昔の人物である宗茂が、希少だからという理由で、自分の兜を「久連子鶏の尾羽」で飾ったわけではありません。



久連子鶏は、平安時代に日本に渡来してきた小国鶏等を基とする、古い日本鶏種です。九州の秘境と呼ばれる五家荘久連子地区では、平家の落人たちが都を偲んで舞ったと伝わる「古代踊り」が連綿と踊り継がれてきました。そこでかぶる花笠は、長さ40cmほどの久連子鶏の雄の尾羽300枚以上がつかわれ、顔を隠すほどもっさりと飾られています。

久連子古代踊り(写真提供 八代市)

踊りに欠かせない、黒く長い尾羽のため、久連子鶏も大切に伝承されてきたのです。


関係者の方々が大変なご苦労を重ねてきた結果、久連子鶏は現在まで保存されましたが、近代化による外来種の流入や交通網の発達が、他の多くの日本鶏を雑種化させ、絶種させてしまいました。


裏を返せば、宗茂の生きていた戦国時代において、日本鶏は珍しくない家禽であったはずです。


ニワトリといえば外国鶏種のブロイラーを思い浮かべてしまう現代っ子のわたしには、兜の飾りに「ニワトリの羽根」を選ぶセンスは、すんなりとは受け入れ難い……



それでも実物は、一見すると黒単色ですが、光を受けるとキラキラと輝き、とても美しいのです。



この美しさは、展示ケースのガラス越しでは伝わらず、歯がゆく思っておりました。だからこそ、今回のオンラインツアーは絶好の機会です。
ぜひとも、宗茂のセンスの良さをつぶさにご見聞ください。

オンラインツアー「立花宗茂の甲冑大解剖Ⅱ~すべて魅せます!表も裏も細部まで~」(2023.6.2開催)では、「鉄皺革包月輪文最上胴具足」の内側や細部を植野館長が直接カメラで撮影しながら解説。付録ブックレット(B6版フルカラー 24頁)も大充実。他の武将の当世具足を鑑賞するときにも必携の書となるはずです。



それでは、美しいというだけで、宗茂はこの羽根を選んだのでしょうか?
宗茂がどのようにニワトリを見ていたのか、さらにフカボリしてみます。




参考文献
八代市HP「久連子鶏」、八代市HP「久連子の古代踊り」、熊本県HP「久連子鶏」、日本家禽学会HP「日本鶏の紹介」、農林水産省HP 広報誌AFF 2016年12月号「特集1とり」、今村安孝「久連子古代踊りと久連子鶏-ヒトとニワトリの関わりと久連子鶏のルーツ」(『畜産の研究』第59巻第3号 2005.3.1 養賢堂)、松崎正治・山下裕昭「熊本県のニワトリ遺伝資源」(『動物遺伝資源探索調査報告書』第16号 2006.3.31 農業・食品産業技術総合研究機構農業生物資源研究所)

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2023.5.12改稿

オンラインツアー「立花宗茂の甲冑大解剖~すべて魅せます!表も裏も細部まで~」は、オンラインだからこそできる内容を目指した当館初企画です。第1回目は「伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足」。展示中の甲冑を脱がせながら、裏側をのぞいたり細部に肉迫したりと、植野館長が直接カメラで撮影をしながら解説します。付録の「立花宗茂の甲冑大解剖解説冊子」(B6版16頁オールカラー)も充実しているので、例えば徳川家康とか、他の武将の当世具足を鑑賞するときにも必ずお役に立つことでしょう。

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【スタッフに聞きました】大河ドラマ妄想キャスト2021

2022/2/14

柳川藩主立花邸 御花スタッフと立花財団スタッフへのアンケートシリーズ第2弾は

「大河ドラマ妄想キャスト2021」

大河ドラマ「立花宗茂と誾千代」が実現したら、どんなキャストに演じてもらいたいかを、自由に妄想してもらいました。

(2022年でないのは、アンケートをとったのが昨年だったからです。)

それでは早速みていきましょう。
ブログを彩るイラストは大久保ヤマトさんによるものです。
(以下、主に敬称略)

【立花宗茂】

 

 

 

 

 

綾野剛
(理由)アクションできるし、戦いのシーンがかっこよく決まりそうということと、私の中ではほかの武将のイメージや漫画のキャラが定着しているということもなさそうだったので選びました。宗茂は人望に厚く、城主を追われても慕う部下が大勢いたと聞いたので、綾野剛さんのイメージが出てきました。

池松壮亮
(理由)肖像画の丸顔がなので。福岡県出身でおばあちゃん家が大川にある。

坂口健太郎
(理由)朝ドラで『俺達の菅波』と視聴者から人気大!

福士蒼汰
(理由)カッコ良いから可愛いまで演じられそう

藤原竜也
(理由)肖像画の顔が丸いから

田中圭

小関裕太
(理由)高身長で、育ちのよさそうな雰囲気がある。

 

【誾千代】

 

 

 

 

 

土屋太鳳
川口春奈
戸田恵梨香
(理由)立花家のお姫様は「御姫様」というイメージではなくて、運動ができて、ハートが強くて、さっぱりしたところが素敵なイメージが勝手にあるため選びました。イメージする人がいろいろ出てきて選べませんでした・・・・

広瀬すず
(理由)誾千代がキリッとしたイメージで、広瀬すずさんもキリッとしてそうなので。

大久保ヤマトさんも広瀬すずさんに演じていただきたいそうです。

武井咲
(理由)芯がしっかりしてそう

高畑充希
(理由)もしくは八千子でも

橋本愛
(理由)冷たそうで笑顔が可愛い

小松菜奈

清野菜名

浜辺美波

沢尻エリカ
(理由)視聴率とれそう

杉咲花

久保田紗友
(理由)きりっとした顔立ちがいい

 

【戸次道雪】

 

 

 

 

 

大沢たかお
(理由)大きくて強そう

市川海老蔵
(理由)力強そうな目が肖像画と重なるので
(理由)目のインパクトで!!

渡辺謙
(理由)似合いそう

佐藤浩市
(理由)目力がある

 

【高橋紹運】

 

 

 

 

 

役所広司
(理由)大きくて強そう

中井貴一
(理由)中井貴一さんと坂口健太郎さん親子を観てみたい
(理由)個人的に好き

唐沢寿明
(理由)歳はあいませんが、イメージです

鈴木亮平
(理由)鈴木亮平さんが好きなので

竹中直人

 

 

【豊臣秀吉】

 

 

 

 

 

柄本明

 

【加藤清正】

 

 

 

 

 

オダギリジョー

 

【黒田長政】

妻夫木聡
(理由)童顔なので、官兵衛より長政かなぁ

 

【大友宗麟】

 

 

 

 

 

陣内孝則

伊武雅刀

 

【宋雲院】

 

 

 

 

 

小泉今日子

 

【八千子】

 

 

 

 

 

吉岡里帆

今田美桜

 

以上です。

以前、同じように「立花宗茂がドラマ化された場合、どなたに演じてほしいですか」というアンケートをとったことがありました。
2013年4月に「葉室麟 トークライブ」が開催されたときのことです。

そのときの結果はこちらのブログでご覧いただきたいのですが
見比べてみると、いくつかの共通点があることがわかります。

 

①朝ドラの影響力

2013年の宗茂1位に松坂桃李さんがあがっていたのは、前年に放映された「梅ちゃん先生」で人気が爆発していたことからでした。
今回は「おかえりモネ」から、俺たちの菅波がランクイン。

 

②道雪のキャスティングのポイント

ずばり「目力」。

 

③宋雲院のキャスティング

2013年の2021年も小泉今日子さん。
これはもう決まりですね。

 

④柳川にゆかりのある役者さん

陣内孝則さん、妻夫木聡さん、今田美桜さんなど。

 

一方、前回との相違点もいくつか。

①誾千代のキャスティング

誾千代は若くして亡くなったということもあってか、2013年からはだいぶ変化がありました。

 

②ジャニーズがいない

今回はアンケート回答者の範囲が限られていたせいもあると思います。

 

いずれまた、もっと広くみなさんにご回答いただけるような
妄想キャストアンケートを実施する機会を設けたいと思っています。

そのときまでに、みなさんもぜひ、妄想力を全開にして
「立花宗茂と誾千代」大河ドラマのキャストやシナリオを考えておいてください。

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立花家の令和コンビ

2019/4/23

5月1日からの新元号が「令和」と発表されて
3週間と少し経ちました。

今年のゴールデンウィークは長いお休みだし
令和ゆかりの地めぐりでもしてみようか
という方もいらっしゃるでしょう。

全国各地に令和ゆかりの地があるようですが
その中でも今人気が高いのは太宰府でしょうか。
新元号が発表されてからというもの
人々が押し寄せているとの噂を聞きました。

太宰府天満宮(立花家の古写真より)

 

 

 

 

 

 

 

 

令和にゆかりがなくてもいいけど
なんとなく令和が感じられる場所に行きたいな、という方に
ぜひおすすめしたい場所があります。
それはここ、柳川です。

 

 

 

 

 

 

実は歴代立花家当主の中に「なんとなく令和な」コンビを見出しました。

 

 

さて、ここでまずは新元号「令和」の出典をみてみましょう。

初春令月
気淑風和
梅披鏡前之粉
欄薫珮後之香

『万葉集』の「梅花の歌三十二首」の序だそうです。
この中で注目したいのが
初春の令「月」と白粉のような「梅」です。

 

立花家で「月」といえば、立花宗茂(立花家2代)。

 

 

 

 

 

 

 

 
月輪モチーフの甲冑を身に着けた戦国武将です。

鉄皺革包月輪文最上胴具足

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして「梅」といえば、戸次道雪(立花家初代)。

福厳寺蔵

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
戒名は「福厳寺殿梅岳道雪大居士」。
葬られた立花山養孝院は後に梅岳寺と改名されています。

 

 

 

 

 

 

 

つまり立花家の初代と2代は、なんとなく令和なコンビなのです。

令和コンビの2人

 

 

 

 

 

 

 

立花家の令和コンビにゆかりのものを見ることができるのが
柳川にある「立花家史料館」です。

7月15日まで開催している特集展示「刀を見る、伝来を知る 柳川藩主立花家伝来の刀剣」では
二人にゆかりのある刀剣を紹介しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まずは「梅」担当、戸次道雪ゆかりのこちら。

脇指 無銘(雷切丸)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戸次道雪が雷を切ったと伝わる刀です。
梅担当武将は、実は雷担当武将としての方が有名だったりします。

 

次に「月」担当、立花宗茂ゆかりがこちら。

【重要文化財】剣 銘 長光

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実父高橋紹運から譲り受けた剣です。
ほかにも、ずばり月モチーフの兜も展示しております。

伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「令和」とは特につながりませんが
なんだかおめでたい気分になる国宝もおすすめです。

【国宝】短刀 銘 吉光

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

令和ゆかりの地・太宰府から、令和コンビゆかりの地・柳川までは、西鉄電車が便利です。
太宰府観光列車「旅人」や、柳川観光列車「水都」で、素敵な旅をお楽しみください。

 

まもなく始まるゴールデンウィークには、「なんとなく令和」を感じる立花家史料館へ。
令和コンビゆかりの刀剣たちが、みなさまのご来館をお待ち申し上げております。

 

[おまけ]
毎年、館長の誕生日にオーダーするオリジナルケーキ。
今年は令和ケーキにしてみました。
宗茂の金地三日月図軍扇に梅の花が一輪。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

柳川藩士の末裔であるパティシエに作っていただきました。

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「むねしげ小袖手拭」の使い方あれこれ

2018/5/26

このたび立花家史料館のノベルティとして新たに製作した
「むねしげ小袖手拭」。

 

 

 

 

 

 

近年その存在が確認された、立花宗茂晩年の肖像画(センチュリーミュージアム所蔵)で
宗茂が着用している浅葱地の小袖をイメージした手拭です。

この漢字の「美」みたいなものは祇園守紋です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

立花家では数多くの祇園守紋が使用されてきましたが
この形は宗茂の時代のものを元に、江戸時代中期に再度意匠化されたものです。

祇園守紋と「Tachibana Museum」「Tachibana Muneshige」の文字を配したデザイン。
種々の事情により全面プリントではありませんが
白枠はフレームだと思ってくだされば幸いです。

このてぬぐいは、立花家史料館友の会にご入会の際
または会員さまの入館スタンプが貯まった際にプレゼントします。
さらに近日中には、柳川藩主立花邸御花の売店で販売される予定です。

 

さて、「てぬぐいを手に入れたはいいけど、いったい何に使おうか」と
お考えの方もいらっしゃるかもしれません。
そこで、てぬぐいの使い方をいくつか紹介いたします。

 

まずは水分をぬぐうという使い方。

 

 

 

 

 

 

 

「てぬぐい」という名のとおり
手や顔をふいたりするのに最適です。
濡れてもすぐに乾きます。
てぬぐいの本分とも言える使い方でしょう。

 

これからの季節、汗をかくことが多くなります。
そんなときには首に巻いてみましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

汗を吸い取るだけでなく、日焼け防止にもなり一石二鳥。
冷房が寒いときにはマフラー代わりにもなるので一石三鳥。

 

てぬぐいは何かを包むことにも使えます。

たとえば本。

 

 

 

 

 

 

 

偶然にも白枠がいい仕事をしました。
(包み方は各自検索してみましょう)

 

 

 

 

 

 

 

今回は『無双の花』を包んでみました。
宗茂と誾千代の物語に涙があふれて止まらなくなった、そんなときは
さっとはずしてそっと涙をふくこともできるので便利。

 

たとえばペットボトル。

 

 

 

 

 

 

水滴を吸い取り、持ち運びもしやすい。
(包み方は各自検索してみましょう)

宗茂と誾千代ゆかりの地めぐりのお供にもぴったりです。

 

たとえばティッシュペーパー。

 

 

 

 

 

 

お部屋のアクセントにもなります。
(包み方は各自検索してみましょう)

ちなみにこれは「むねしげ小袖手拭」ではなく
島原の「かんざらし手づくり体験オリジナル手ぬぐい」です。
館長室にこの状態で置いてあったので
ちょっと借りてきました。

 

このほかにも、アイデア次第であらゆる使い方ができます。
友の会や売店で「むねしげ小袖手拭」を手に入れたら
しまっておかずに、どんどん使ってください。
最後の最後は雑巾になるくらいまで長くご愛用いただければ本望です。

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特別展における干支別おすすめ作品

2017/12/20

立花宗茂生誕450年にあたる2017年。
記念の年の最後を飾る最大のイベント、特別展「立花宗茂と柳川の武士たち」
柳川古文書館と立花家史料館の2会場で、12月9日から始まりました。

 

今年もあっという間に時が過ぎ、気がつけばもう年末。
そこで全展示作品、2会場合わせて130点余りの中から
干支別のおすすめ作品をご紹介したいと思います。

 

【「子年」生まれのあなたへのおすすめはこの作品!】
第4章 改易 より
「立花宗茂書状」(個人蔵)

部分

 

 

 

 

 

 

 

慶長17年(子年)に出された書状です。
肥後加藤家に仕える十時成重が
奥州南郷(棚倉)領主となった宗茂のもとへ
転仕したいと希望するも
加藤忠広の家督相続という大事な時期だから
転仕願いは当分控えなさい、という内容です。

 

【「丑年」生まれのあなたへのおすすめはこの作品!】
第2章 立花山城へ、第3章 柳川城主となる より
「金箔押桃形兜」(立花家史料館蔵)

修復復元

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おなじみ金甲です。
なぜ丑年なのか。
裾黒の後立が、白と黒でなんとなくホルスタイン色かな、と思ったので。

 

【「寅年」生まれのあなたへのおすすめはこの作品!】
第3章 柳川城主となる より
「火縄銃 銘 大虎・小虎」(個人蔵)

大虎 部分

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝鮮出兵の時に米多比鎮久が虎狩に用いたとされる火縄銃です。
一緒に伝来した「虎の歯」も並べて展示しています。

なお寅年生まれの方には他に
「加藤清正書状」なども併せておすすめいたします。

 

【「卯年」生まれのあなたへのおすすめはこの作品!】
第6章 ふたたび柳川へ より
「鉄黒漆塗縹糸素懸威最上胴具足」(個人蔵)

部分

 

 

 

 

 

 

 

 

生形家に伝来した甲冑です。
杏葉部分を見ると、こちらを向いたウサギさん(真向兎)がいます。
全展示の一番最後に登場する甲冑なので
「さよなら、また来てね」と言っているようにも見えます。

 

【「辰年」生まれのあなたへのおすすめはこの作品!】
第6章 ふたたび柳川へ より
「鉄黒漆塗桶側二枚胴具足」(個人蔵)

部分

 

 

 

 

 

 

 

 

由布家に伝来した甲冑です。
いかつい龍頭の前立が、こちらを威嚇するように睨みをきかせています。
誰もいない夜中には、金色の羽で飛び回っているかもしれません。

 

【「巳年」生まれのあなたへのおすすめはこの作品!】
第2章 立花山城へ より
「誾千代肖像(写真パネル展示)」(良清寺蔵)

部分

 

 

 

 

 

 

 

 

7歳にして立花山城の女城主となった誾千代は
永禄12年、巳年生まれです。

 

【「午年」生まれのあなたへのおすすめはこの作品!】
第6章 ふたたび柳川へ より
「刀 無銘 伝清綱」(個人蔵)

白鞘 部分

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後に儒学者となった安東省菴(親善)が
「有馬之役」つまり島原の乱で佩びたことが
白鞘に記されています。
「有馬之役」。
有「馬」之役。

 

【「未年」生まれのあなたへのおすすめはこの作品!】
第6章 ふたたび柳川へ より
「鉄黒漆塗碁石頭伊予札紺糸素懸威二枚胴具足」(立花家史料館蔵)

部分

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十時家に伝来した甲冑です。
胴に配された鼻紙入(緑色のポケット部分)は、おそらく羊の毛織物製。

 

【「申年」生まれのあなたへのおすすめはこの作品!】
第3章 柳川城主となる より
「豊臣秀吉朱印状」(立花家史料館蔵)

 

 

 

 

 

 

 

宗茂に筑後三郡を与えますよという、豊臣秀吉の朱印状です。
これがなぜ申年なのかは、お察しください。

なお申年生まれの方には他に
豊臣秀吉から拝領した「唐物茶壺(呂宋壺)」なども併せておすすめいたします。
こちらも理由はお察しください。

 

【「酉年」生まれのあなたへのおすすめはこの作品!】
第2章 立花山城へ より
「脇指 無銘(雷切丸)」(立花家史料館蔵)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大人気の雷切丸。
戸次道雪が雷を斬るまでは「千鳥」という刀でした。

 

【「戌年」生まれのあなたへのおすすめはこの作品!】
第3章 柳川城主となる より
「金白檀塗色々威壺袖」(柳川古文書館蔵)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宗茂と家臣との仲をものがたる袖として、テレビや新聞で取り上げられた作品。
話題になったおかげで、YAHOO!ニュースの見出しに
「立花宗茂」の文字を見ることができました。
宗茂が小野にこの袖を与えたところ、小田部が袖を献上し云々
の話が記されている道具帳は
安永7年(戌年)に作成されたもの。

 

【「亥年」生まれのあなたへのおすすめはこの作品!】
第3章 柳川城主となる より
「軍神掛物」(立花家史料館蔵)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宗茂が陣中に持参した御守本尊と伝わる資料。
中央の摩利支天が乗っているのは猪です。

 

 

立花宗茂生誕450年記念特別展「立花宗茂と柳川の武士たち」
会場は
第1章~第2章 柳川古文書館
第3章~第6章 立花家史料館
2018年2月4日まで、会期中無休。
今度のお正月休みは柳川でゆっくりとお過ごしください。

そして観覧の際には、それぞれの干支のおすすめ作品に
注目してみるのも楽しいかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なお、立花家史料館は通常、展示作品の撮影が可能なのですが
本特別展は借用資料が多いため
写真撮影をご遠慮いただいています。

 

 

 

 

 

 

 
入口付近に撮影スポットを用意しましたので
そちらで存分に撮影した後、展示作品はご自分の目でご堪能ください。

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夏のごあいさつ(イメージ画像を添えて)

2017/8/23

こんにちは。
夏ですね。

関東地方は涼しい夏で、アイスの売れ行きが云々といったニュースを聞きますが
ここ柳川は、毎日アイスが欲しくなる暑さです。

 

画像はイメージです

 

 

 

 

 

 

 

 

外は暑いですが、史料館内は空調で温度管理をしていますので
とても涼しくなっています。

 

画像はイメージです

 

 

 

 

 

 

 

 

暑いけどどこかへ出かけたい。
そんな日は、涼みがてら立花家史料館へお越しください。

こども企画展「いろトリどりの宝モノ」は9月25日まで開催中です。

見学後は横の売店で西洋炭酸水を買って
しゅわしゅわののどごしを楽しむのがおすすめ。

 

画像はイメージです

 

 

ところで最近、立花宗茂の知名度が少しずつ上がってきているのを確実に感じています。
ありがたいことに、テレビの取材も増えました。

 

 

画像はイメージです

 

 

 

 

 

 

 

 

29日午後10時からは「先人たちの底力 知恵泉」(NHK Eテレ)で
立花宗茂が取り上げられます。
宗茂の生涯から果たしてどんな知恵が見出されるのか。
どうぞお楽しみに。

 

 

画像はイメージです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて立花家史料館では先日、当館イメージキャラクターのお披露目を行いました。

 

画像はイメージキャラクターです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これまで2年間、熊本城おもてなし武将隊の立花宗茂さんに
サポーターとして当館の活動を応援していただき
おかげさまで、教育普及事業を活性化することができました。

今後、こちらの佐藤響さんが当館所属の「立花宗茂」として
宗茂の生涯と歴史資料について、広く親しんでいただく様々なイベントに登場する予定です。

みなさまの応援をどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

画像はイメージです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

処暑とはいえ、まだまだ暑い日が続きそうです。

みなさまにおかれましては、水分補給と適切なエアコン利用を心がけ
どうぞお健やかにお過ごしください。

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