「大広間」のヒミツ-明るさと軽やかさと新しさ-
2023/2/6立花伯爵邸「大広間」の明るさと軽やかさのヒミツは、実は修復前の写真でも見えてます。
お分かりいただけますでしょうか?
現代を生きる私たちは、明るくて広い室内空間に慣れすぎているので、驚きなく「大広間」を受け入れてしまいます。よく畳の数を質問されますが、わたしが宣伝したいのは軽やかな開放感です。
ただし、元々「大広間」は襖で3室に区切られるのですが、近年はすべての襖を除いているので、より開放感が増しております。
立花伯爵邸「大広間」は、室町時代にはじまる住宅建築の様式「書院造」をきちんと踏襲し、旧大名家にふさわしい格式を備えています。
*「書院造」については『NHK for School』の動画解説 がわかりやすいです*
*「書院」とは、本来は呼称のとおりの書斎でしたが、[例:『吉水神社書院』【重要文化財】、『慈照寺東求堂』【国宝】(NHK for Schoolの動画解説)] 時代が下がると、接客や儀礼の場として使われるようになり、大規模な書院もつくられました。[例:『二条城 二の丸御殿』【国宝】、『本願寺書院(対面所及び白書院)』【国宝】、『名古屋城 本丸御殿(復元)』
※例にはネット上で建築の様式がわかりやすい画像が見られるものを選びました。とくに名古屋城本丸御殿は3Dバーチャルツアー『本名古屋城丸御殿(表書院からスタート)』も楽しめます。
しかし、明治43年(1910)築の立花伯爵邸「大広間」には、近代ならではの新しさもあります。
新しさを実感していただくために、近世の書院造と比べてみます。立花伯爵邸「大広間」とだいたい同規模で、使われ方も似てるような気がする、『高山陣屋』(岐阜県高山市)の「大広間」を、見比べる相手として勝手に選んでみました。
高山陣屋も「測定モード」のついた3Dバーチャルツアーが可能です。こちらの『高山陣屋』「大広間」をゆっくりご堪能いただいてから、立花伯爵邸「大広間」に戻ってきてきてください。
このように並べると、よくわかるのではないでしょうか?
立花伯爵邸「大広間」の木材(柱・長押)が細くて、数が少ないのは一目瞭然です。障子・ガラス障子・欄間障子が嵌められていて見過ごしがちですが、とにかく壁がない。加えて天井も高いので、とても明るく軽やかで開放感がある室内空間となっています。
この開放感ある室内空間は、建築当時の新技術によって実現できました。明治時代に日本へもたらされた技術の1つ、トラス構造で屋根を支えているのです。
従来の屋根の構造、いわゆる「和小屋」では、屋根を支える力を下へと流します。他方、三角形のトラス構造「洋小屋」は、力を外に分散させるので剛性が高くなり、各部材をより細く、柱と柱の間をより長くできます。
現在も「和小屋」と「洋小屋」は使い分けられているので、新技術だからといって、日本の屋根の構造が一変した訳ではありません。実際、立花伯爵邸「御居間」棟の屋根は「和小屋」です。
また、立花伯爵邸と同時代の設計例として木子幸三郎「渡辺伯爵邸日本館書院矩計図 」(明治36、7年頃 東京都立図書館蔵)をご紹介しますが、筋交いはあるものの、こちらも「和小屋」です。
立花伯爵邸「大広間」の屋根を、並列する「西洋館」と同じトラス構造としたのは、おそらく意図的で、明るさと軽やかさが求められたからではないでしょうか。
100年も経過すると、当時の人々の新鮮な驚きを追体験するのは不可能に近いのですが、長々と最後までお付き合いくださった皆さまだけでも、その知識を持って「大広間」を訪れ、明るさと軽やかさと新しさを体験していただければと願っております。
【立花伯爵邸たてもの内緒話】は、明治43年(1910)に建てられた立花伯爵邸の建物・庭園の、内緒にしている訳ではないのに誰もご存知ない、本当は声を大にして宣伝したい見どころを紹介します。また、(株)御花 が取り組んでいる文化財活用の一環である、平成28~31年(2016-2019)の修復工事の記録や裏話もあわせてお伝えします。