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11/18大慈院イベント準備⑤ご先祖さまにご挨拶

2017/10/15

立花家の人々、立花万起子です。

11月18日に京都で開催予定の「立花宗茂ゆかりの京都大慈院で歴史講話とお茶会」の準備を進めております。ブログでイベント準備の進捗状況を時々アップさせていただきます。

お寺まいりをしてきました。

やはりイベントがつつがなく開催されるためにはご先祖さまに見守っていただかなくては!ということで、宗茂さまと誾千代姫にご挨拶。

いつもはお正月に親戚一同でお寺まいりにいきます。そのときは極寒です。晴れ着/正装姿の私たちはお寺に着くと分厚い靴下を履いて、しんしんと冷えたお寺の廊下を歩いてご位牌にご挨拶、外のお墓にご挨拶します。

しかし、今回は9月のお寺まいり。なんと暖かく、心地よいこと!花が咲き、そのまわりを舞うトンボが秋が近いことを教えてくれます。

<良清寺>

まずいきましたのは良清寺(りょうせいじ)、宗茂の正室、誾千代姫の菩提寺です。

初代柳川藩主であった宗茂ですが関ヶ原で敗れたあと改易、浪人となって京都へ上ります。京都滞在中に残念ながら誾千代姫は熊本で病死。夫が大名として返り咲くことを願っていたことと思われますが、それを見届けることはできませんでした。1620年、宗茂が再び柳川藩主として戻ってきてまず取り組んだことは、誾千代姫を弔うお寺を作ることでした。

誾千代姫はいまここで静かに眠っています。

夫婦不仲であったといわれていますが、このお寺は夫婦愛の証だと私は思います。

<福厳寺>

福厳寺は宗茂の養父戸次道雪(誾千代姫の父)から、宗茂、歴代藩主の菩提寺です(非公開です)。こちらには現代にはいってからの先祖、私の祖父母のお墓もあります。藩主一人ひとりのお墓、夭折したお子さまたちのお墓、すべて合わせるといくつのお墓に手を合わせるのかわからないくらい多い・・・。

けれど今回はすべてではなく限定おまいりしてきました。

<天叟寺>

宗茂の実父、高橋紹運公の菩提寺です(非公開)。宗茂は高橋家の長男でしたが息子がいなかった道雪に乞われて15歳で立花家の養子となります。1586年、宗茂が19歳のときに、岩屋城の戦いで島津勢相手に奮戦しながらも亡くなります。やはり宗茂をこの世に送り出した実父紹運公にも挨拶しなくてはと思い、おまいりしてきました。

ご先祖さま、どうぞ見守ってくださいませ。

なお、

どのお寺も、無断でお墓に入ることは出来ないようになっております。お参りをされたい方は事前にお寺さんに許可をとっていただくようお願いいたします。

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11/18大慈院イベント準備④宗茂の書状

2017/10/1

立花家の人々、立花万起子です。

11月18日に京都で開催予定の「立花宗茂ゆかりの京都大慈院で歴史講話とお茶会」の準備を進めております。ブログでイベント準備の進捗状況を時々アップさせていただきます。

柳川古文書館へ行ってきました。さすが柳川、お堀の側に建つ古文書館の外観はお蔵のようでなまこ壁が施されていますので、街の雰囲気にとても馴染んでいます。

 柳川古文書館

ここには立花家ゆかりの文書が多く保管されています。いつもはガラスケース越しにしかみたことがない文書を、田渕館長の解説付きで実際にいくつか見せていただきました。

見せていただいたものは宗茂の書状で、贈り物に対するお礼を述べています。いつごろ書かれたのか、誰宛なのかなど、この書状からだけではわかりません。しかし、宗茂の花押や使われている言葉から、おそらく宗茂の晩年ごろのもので、目下のものへ送られた書状であるとわかるそうです。またもしかしたら書状は端が切り落とされているかもしれないということが、書状についた折り目やシミの具合で推測できるそうです。

 下の方が宗茂の花押

紙に書かれていること以外のこと、折り目、寸法、シミなども文書のことについて色々伝える大切な情報なのだと学び、感動・・・。書かれた時代や人について、今までより立体的に感じることができました。田渕館長、ありがとうございました。

さて、古文書館での見学がイベントとどのような関係があるか・・・。こちらも当日のお楽しみです。

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柳川での公式サポーター立花宗茂としての2年間

2017/9/30

熊本城おもてなし武将隊が一人、筑後国柳川城城主、立花宗茂である。

「立花宗茂生誕450年記念特別展 公式サポーター」そして昨年は「公益財団法人立花財団スペシャルサポーター」として活動し、計二年の間、我が領地柳川の為に尽力して参った。

思えば、多くの事があった。

 

当世に伝わる立花家所縁の品々を紹介する音声を収録したり、

福岡の地を走る鉄の箱「水都」にておもてなしを行なったり、其の儘「御花」を案内も致した。

「戦国時代立花家甲冑プログラム-414年を経て、今再び出会う宗茂と誾千代-」にて細川忠興殿、黒田官兵衛殿と共に「梅鶯東風」の披露や、

 

儂の一人演舞「月高忠心」の初お披露目も御花であったな。

 

「立花宗茂 立花家史料館21周年記念イラストコンテスト」では拙いものであるが、絵を描き披露した。

 

 

「柳川古文書館」にて儂を讃えて下さった秀吉様の書状も拝見した事もあったな。

そうそう、江戸にまで馳せ参じ、我が愛刀である「波游兼光」も見たな。儂の手にあってから四百年。あいも変わらず美しき刀身は見事の一言であった。

愛刀といえば、忘れてはならぬは「雷切丸」であるな。今も昔も変わらず、儂の力となってくれた。共に立花家の話を多くの者に伝えたのも、儂にとってはとても不思議で楽しいひと時であった。

それに其の絵姿を大久保ヤマト殿が描いて下さったのも誠に嬉しかったの。

 

………まあこの雷切丸が雷雲を呼び「七福神夏祭り」では突然雷が落ちて大変であったな。
あの時の祭りのすたっふの皆々の活躍は、儂にとって今でも多くに自慢したいと思う誇りである。

 

柳川にある「みのり幼稚園」にも幾度となく足を運んだ。発表会ではさぷらいずとして演舞を披露した時は、誠に緊張致したぞ。
あの時皆で舞った虎熊一刀は生涯忘れる事ない思い出だ。

 

直木賞作家である葉室麟殿の小説「無双の花」の朗読の催しは、本当に多くの方に足を運んで頂けた。
一度ならず二度も、あの美しき世界と、そして我が立花の歴史を伝えられた事、誠に嬉しく思う。

 

 

歴史とは、その者の受け取り方次第で如何様にも姿を変える。
歴史に関わらず、現実は常に己の感じ方次第。
そんな中、四百年前の人間である儂は、皆にはどう映っていたのであろうか。

……その答えは、其々が思う事であり、儂が知る必要はないと思っておる。
ただ儂は、四百年前と変わらず、立花宗茂として己の限りを尽くした。
その結果、少しでも儂の名が、そして儂を通じて柳川という場所が多くの者達に知られるきっかけとなって居れば、其れだけで充分だ。

儂は多くの方々の支えにより二年を過ごした。

 

常に儂の傍にて守り役を務めてくれた植野館長。
催しの度に忙しい中手助けをしてくれた立花家史料館の皆々、御花の皆々。

誠に美味な飯を振舞ってくれた岸原総料理長。

会う度に笑顔で快く迎えてくれた我が子孫、立花家十七代当主、立花宗鑑殿。

殿、と儂を慕ってくれておるみのり幼稚園の若、姫。

儂の名を伝えると「うちの殿」と笑顔で迎えてくれる柳川の民達。

「橋本あかね」姫を始め、共に戦場を駆け抜けてくれた多くの皆々。

誠に有難う御座った。

此れからは儂は居らぬ。
されど、もう一人の儂がおる。
当世の儂より「少しだけ」背が高く、堂々たる儂がおるのだ。
何も心配する事はない。

然し、立花宗茂という男は、多くの支えがあってこそ、其の力を存分に発揮する男。
皆々の変わらぬ支えが何よりも必要である。

四百年前から変わらぬ男だと、誾千代は笑うかも知れぬが、一人で何か成し遂げたとて、其処に何の意味があるのか。

多くの者と共にあり、絆を育む事こそ、大きな事を成す為に最も大切な事。

 

皆々、もう一人の儂の事を、宜しゅうお願い致す。

誠に良き二年間であった。

柳川の民の御多幸と、柳川のさらなる発展。
そして何より、其の温かき心がいつまでも変わらず受け継がれ続ける事を、願っておるぞ。

誠に、誠に有難う御座った。

筑後国柳川城城主 立花宗茂

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11/18大慈院イベント準備③細川家と立花家

2017/9/16

立花家の人々、立花万起子です。

11月18日に京都で開催予定の「立花宗茂ゆかりの京都大慈院で歴史講話とお茶会」の準備を進めております。ブログでイベント準備の進捗状況を時々アップさせていただきます。

戦国時代の大名たちは茶道をたしなむものが多く、立花宗茂も幼いころから茶道に触れていたのかもしれません。現代のビジネスマンが仕事で交際する上でゴルフが役に立つのと同じように、当時の大名たちは茶道を通して他の大名や商人と交流していたのでしょう。

関ヶ原で敗れてしばらく浪人生活をおくる宗茂ですが、20年後再び大名に取り立てられると、茶人としての素養が大いに役立つこととなりました。二代将軍秀忠の茶会にはたびたび招かれ、三代将軍家光が大名家の茶会へ御成りの際はほとんど相伴しているとのこと。

宗茂は肥後の大名細川三斎(忠興)とも茶道を通して交流があったようです。利休七哲(千利休の七人の高弟たち)の一人であった細川三斎は、宗茂の茶道への造詣を認めており、そのことを息子忠利への手紙で記しています。

 

細川家の19代当主の細川護光さんは陶芸家でらっしゃいます。細川さんとはお能のお稽古を通してご縁ができて間もないのですが、茶道関係の陶芸作品もお作りになっていると聞きましたので、先日護光さんの作品を拝見させていただくため熊本へ行きました。

熊本市中心からすこし離れた立田自然公園内、細川家の菩提寺であった泰勝寺跡へうかがいました。護光さんがご自身の作品でお茶を点ててくださいました。赤楽、信楽、井戸茶碗。現代に作られたものなのに落ち着いた風格のあるお茶碗たち、すてきです。

400年前、細川三斎と立花宗茂もここでこうしてお茶をともにいただいていたのかもしれません。

その後自然公園内にある細川家のお墓とお茶室仰松軒も案内いただきました。2016年の地震のあとお茶室は復旧作業中ということで中は拝見できませんでしたが、豊かな自然の空気に包まれていただくお茶を想像してみました。いつかここでお茶をいただきたいものです。

11月のイベントでは護光さんにお力添えいただけることになりました。どういう形でか・・・、それは当日までの楽しみにしていてください!

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新しい風

2017/9/2

館長の植野から秋のご挨拶です。

さまざまな新しい風が吹き込む季節です。

吹き寄せのように近況とかこれからの事とかブログで少しお話ししたいと思います。

今年は何かが起こる年(なにしろ立花宗茂生誕450年ですから)と予感がありましたが、

ホップ・ステップを省略して大河ドラマ招致キャンぺーンが始まってしまいました。

春頃から少しづつ動き出しておりましたが、いよいよ本格始動。

 復活の武将をテーマにした不死鳥のロゴマーク

沢山の組織や大勢の力が集まって大きな動きになっているのですが、その中でも

もちろん当館は極めて頑張らなければならない立場なのは言うまでもありません。

こういった動きを受けて、

新しいイメージキャラクターとしての立花統虎(宗茂)が立ち上がったのも

驚くべきことです。(これには涙ぐましい裏方の努力があり)

突然ですが、柳川の殿の設定集から一部をご紹介します。

例えて言えば、当館を劇場とすると、史料館監修の舞台劇「宗茂と誾千代の物語」(つまり史実に基づくフィクション!です)で超ロングラン公演中の主役であるというイメージ。

ビジュアルの設定年齢は21~25歳ですが、知識と記憶の設定では宗茂の全人生について熟知しており、
宗茂が現代を生きていれば、このように振舞うであろうという説得力を持たせたいところです。その本務はあくまでも史料館の教育普及事業です。

正式の名前は、名乗り口上でもご披露しましたように「立花左近将監源統虎」あらため「立花宗茂」。

その性格は、

… ここからは長くなるので、何かの機会で披露できればと思います。きっと立花宗茂を通じて当館へ親しんでいただいている皆さまの心の中にあるイメージに近いのではないかと思っています。

…辛口スッキリの見た目ですが、けっこう天然系です…柳川の殿がですよ。

さらに、イメージキャラクターは現代に生きる男子だけでなく、イラストも制作が進行中。

このイラストが、これがよいのです。見せたい!!でもまだ見せられない、のがじれったい。

と言っていたら、作者のご厚意で、まだ準備中の沢山のイラストから一部をご披露。誾千代姫になってどんな殿が現れるか、一緒にドギマギして待ちましょう。

完成した物語を乞うご期待。

もちろん、本資料の写真もかっこいいものを準備したいと企画検討中です。

     

3種類の媒体を縦横に行き来した教育普及活動を展開してゆきますので、親しみを持って迎えていただければと願うばかりです。

そのステージは、

当館公式の新しいインスタグラム、そして宗茂と誾千代大河招致キャンペーンのポータルサイト、です。

どちらも10月から始動を目指して準備中です。頑張ってます。

新しい風と皆さまのご支援が当館の支えとなります。

 

 

 

 

 

 

 

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11/18大慈院イベント準備②立花宗茂の肖像画

2017/9/2

立花家の人々、立花万起子です。
11月18日に京都で開催予定の「立花宗茂ゆかりの京都大慈院で歴史講話とお茶会」の準備を進めております。ブログでイベント準備の進捗状況を時々アップさせていただきます。
私が昔から見慣れている立花宗茂の肖像画は、イベントお知らせのチラシにも掲載しました立花家史料館が持っているものです。お顔が丸くてちょっと色黒で、父(立花宗鑑)に似ているな、といつも思っていました(宗茂が色黒なのは肖像画が古いからかもしれませんが、父の色黒は生まれつきです)。

 立花宗茂肖像画(立花家史料館所蔵)

 立花宗鑑(十七代目当主、立花財団理事長)

ぽっちゃり丸顔、鼻の形、ちょっと似ていませんか?

大慈院も立花宗茂の肖像画を所蔵しています。イベント当日は大慈院の本堂で宗茂の法要をしますが、そのときに大慈院でお持ちの肖像画をかけていただく予定になっています。
私はまだ実物を見たことがありません。父は以前大慈院の肖像画をご住職に見せていただいたそうです。こちらはすこし面長で色白、男前に描かれているとのこと。京都だとちょっとお公家さんのようになるのかしら、と思ってみたり。
大慈院の肖像画の宗茂さんがどれくらい男前か、どうぞ当日の法要のときにチェックしてください。

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11/18大慈院イベント準備①お茶室

2017/8/2

立花家の人々、立花万起子です。

11月18日に京都で開催予定の「立花宗茂ゆかりの京都大慈院で歴史講話とお茶会」の準備を進めております。ブログでイベント準備の進捗状況を時々アップさせていただきます。

この企画は父、立花宗鑑(立花財団理事長)と昨年末くらいから考え始めました。大徳寺塔頭である大慈院の若住職が、どこへでも持ち歩ける竹の茶室「帰庵」をもって、日本各地の自然の中で茶道を楽しまれる記事を読んだことがきっかけでした。

”大慈院・茶道・立花宗茂・450年・・・大徳寺の塔頭でお茶席・・・あこがれる・・・”

そんな思いが頭を巡り、父と一緒に今年の2月にはじめて大慈院さんへ相談にうかがいました。

大徳寺の塔頭でお茶席を使わせていただくことは、茶道のお稽古をしている自分にしてみれば、一生のうちに一度あるかないかの稀な機会。宗茂の生誕450年を記念しての行事ならば、ここで行う意義がある、できれば美しい紅葉の季節であれば「京都感」も高まる!と構想妄想は楽しく順調でした。

そして春から具体的に動き始めました。いろいろと予期していないこともありますが、父と植野館長と、従姉妹で御花の千月香社長、東京の親戚や従姉妹に助けてもらいながら、11月にむけてコツコツと準備しております。

大慈院にはお茶室が二席ありますが、今回は青霄庵(せいしょうあん)を使わせていただく予定です。二面がガラス戸になっている広間は、お部屋にいながらお庭との一体感も味わえる開放的な空間です。紅葉の季節はどんな景色になるか楽しみです。

 

こちらはお茶室へ向かう路地からの眺め。まだ夏の景色です。

 

お茶室にある「青霄」の文字は表千家十三代目即中斎によるものです。

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大広間修復完成記念「武士の姿」に向けて

2017/7/16

館長の植野です。

柳川藩主立花邸御花の大広間(旧立花伯爵邸)は、修復完成まであと一息です。

明治時代に立てられた和館は、天井が高く、開放的で清々しい空気に満ちています。

8月19日のイベント「武士の姿」は、立花邸御花の主催、当館監修でお送りいたします。

まず、対月館2階Over The Moon にて、皆さまには、九州戦国御膳特別版をお楽しみいただきつつ、植野から簡単な武家装束のお話しをさせていただきます。お腹空かせて来て下さい。

修復に関係する材料等、触っていただけるものもここに並べております。文化財は直接触れないものばかりですので、ここで思いっきり触っておいて下さい。

夕暮れの時間帯に大広間へ移動いただきます。この場はお客様をお迎えする畏まった空間ですので、甲冑姿は相応しくないということで、公式サポーターの立花宗茂さんをはじめ、熊本城おもてなし武将隊の方々にはこのテーマと場に相応しい姿でご登場いただき、パフォーマンスを披露いただきます。

大広間でのイベントの最中は照明を落としております。この間、皆さまに十分に鑑賞を楽しんでいただくため、撮影はご遠慮いただきたくご協力お願いいたします。ここで重要な見どころのひとつに、壁紙の金銀や金屏風がどのように見えるかということもお忘れなく。

イベントの最後に、照明を明るくしてから少し撮影のお時間を用意いたします。ただし、和室に座っての鑑賞ですので、三脚の利用はご遠慮下さい。立ち上がっての撮影も周囲の皆さまにはつらい状態になってしまいますので、座ったまま撮影をお願いいたします。公式には撮影をして公開をいたします。また取材関係者も撮影をされますのでご了解下さい。

沢山のコンテンツを短い時間にギュギュっと詰め込んだ記念のイベントです。裏方では準備が山ほどあって御花さんも当館スタッフも忙しく働いております。

おかげ様で、チケットはプラチナ並み(笑)の状況でした。涙をのんだ方もいらっしゃいます。ごめんなさい。もし、会員先行予約でまだ会員の更新がお済みでないままの方がいらっしゃったら忘れずによろしくお願いいたします。それでキャンセルになっちゃうと悲しいので。

 

どうぞ、夏バテにならないよう健康万全体制でお越し下さい、お待ちしています!

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壁際の立花宗茂くん 平成二十九年七月七日条

2017/7/7

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公式サポーター宗茂より-無双の花朗読舞台-

2017/7/1

熊本城おもてなし武将隊が一人、筑後国柳川城城主、立花宗茂である。

「立花宗茂生誕450年記念特別展 公式サポーター」として初の催し『葉室麟「無双の花」朗読イベント 戦国最強の夫婦 立花宗茂と誾千代』に続き、先月皐月十四日に再び朗読の催しが行われた。

前回は清正殿、官兵衛殿、そして語りとして島津殿が参戦して下さり申したが、此度は我が家臣役として、小倉城城主細川忠興殿と清正殿の家臣である森本儀太夫殿に加え、前回同様島津義弘殿が語りとして参戦致した。
家臣役である忠興殿と儀太夫殿は、己を出さず、あくまでも我が家臣として舞台に立ち、葉室麟殿の描く美しき世界を壊さぬ様徹して下さった。
更に、前回同様我が妻誾千代役は「橋本あかね」姫が、そして侍女かのと三人目の妻となる菊子を柳川市内の学徒「吉富千紘」姫が演じてくれた。

橋本あかね姫も、吉富千紘姫も、当世の柳川の民と共に、四百年前の我等時代を見せる事が出来るというのは、誠に不思議であり嬉しき事で御座るな。

話は前回の続き。
誾千代の元を離れ、京に上って暫、誾千代の訃報を受け取る所から始まる。
そして其の後、陸奥国棚倉藩を治める事となったのだが、その際に我が養父戸次道雪様の時代より立花家に支え続けた忠臣、雪下を看取る事となる。

背後には棚倉の風景が映し出され、美しき情景の中、忠興殿は我が家臣雪下として迫真の芝居を魅せてくれた。

 

其の後二十年の時を経て再び柳川へ戻る事となる。
その際、柳川城にて永き眠りについた我が妻と言葉を交わし、己の想いをようやく妻に伝える事が出来る……。

四百年前、儂が柳川城に戻った際の事は今でも鮮明に思い出せる。あの時誾千代が傍に居れば、なんと言葉を交わし、どんな表情を見せてくれたのであろうか。あの時誾千代の本心はどうであったのか……四百年の時が経った今、それを知る術はない。
然し、葉室麟殿の描く世界の中で、誾千代の言葉を聴けたことは何にも代え難き幸せであった。

現在、ゆーのちゅーぶ(youtube)なる処にて、朗読の様子を公開中※である。

※8月31日までの限定公開

其れも此度のだけでなく、前回のものも公開しておるとの事。
見に来てくれた者もそうでないものも、四百年前の我等の葛藤と苦悩、そして決して曲げぬ信念と、葉室麟殿の美しき言葉の世界を堪能して貰えればと思う。

当世に於いて、儂と妻誾千代を題材とした大河ドラマなるものの誘致の動きがあると聞く。
四百年前の過去の人間がこうして当世の人々に知られる事も、そして我等の存在が当世にて役に立つ事も、誠に嬉しい限りだ。
然しその大願を成就させるには、多くの者達の働きが必要であるのは想像に難くない。

大願成就を儂も祈っておるぞ。

その大きな志と、夢の成就に向けて、共に胸を張って歩んで参ろう。

筑後国柳川城城主 立花宗茂

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