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豊後旅行記⑥ 先祖の寺、子孫の寺、そして滝

2013/8/9

鎧ヶ岳を後にした我々が次に向かったのは
戸次道雪の甥・鎮連(戸次家16代)の子である
戸次統常(17代)のものと伝わる墓のある常忠寺です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは豊後大野で活動されている「大友氏を顕彰する会」の事務局長さんがご案内くださいました。

統常の戒名は「常忠寺殿節宗義圓大居士」
天正14年に島津軍との戦いで亡くなりました。
立花家の過去帳には、天保6年に250回忌を行ったと書かれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お堂の左手奥に階段があるのですが
その下と上に五輪塔がいくつかあります。
中には戸次家初代・能直のものと伝わるものも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少し奥まった場所にありますので、
行かれる方は、この紫色の旗を目印に行きましょう。

 

次に向かったのは、常忠寺から一キロほど離れた場所にある勝光寺。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勝光寺は大友家初代・能直を弔うために建てられたお寺です。
能直は鎌倉時代の御家人で、戒名は「勝光寺殿豊州能連大禅定門」。

常忠寺のお位牌には「貞応2年11月27日」没とありました。
またまた立花家の過去帳によると、文政5年に常忠寺で600年忌が行われたそうです。
なお常忠寺には600年忌の石碑もあります。

能直関連がやたら常忠寺にあるような気がしますが、
これは能直が亡くなったのも墓があるのも常忠寺だと、言い伝えられてきたからでしょうか。
もちろんここ勝光寺にも能直ゆかりと伝わる石塔類があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さな庭園もある勝光寺は、赤い旗が目印です。

 

旅の最後に向かったのは、豊後大野市歴史民俗資料館スタッフさんのおすすめ「原尻の滝」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

広がる麦畑の中に突如として現れるこの滝は、別名「東洋のナイアガラ」。
日本の滝100選にも選ばれています。

滝の下流にある吊り橋から全景が見えるというので、いざ吊り橋へ。
と思ったら、滝の上流に不思議な光景が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

川の中に鳥居。

少し目を移すと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(キリンビール用の)麦畑に鳥居。

これらは、近くにある二ノ宮神社の鳥居。
この辺りには源平争乱期に緒方を拠点として活躍した緒方三郎惟榮の建立と伝わる
一ノ宮八幡宮・二ノ宮八幡宮・三ノ宮八幡宮があります。
一ノ宮八幡宮には仲哀天皇(父)、二ノ宮八幡宮には応神天皇(子)、
三ノ宮八幡宮には神功皇后(母)が祀られており
年に一度11月の下旬に、父と母が子のいる二ノ宮にやってきて、親子水入らずで一夜を過ごします。
これが「緒方三社川越しまつり」です。
祭では、三ノ宮と一ノ宮の御神輿が二ノ宮に集まるのですが
三ノ宮は川の向こうにあるため、二ノ宮に行くには川を渡らねばなりません。
11月の寒い夜に褌姿の男衆が御神輿をかついで川を渡るというその祭の様子は、さぞや勇壮でしょう。

 

そんな話を聞きながら、吊り橋へ到着。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結構長いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東洋のナイアガラを一望できる橋の中間付近。
広がる景色は壮大。
滝壺を遊覧するボートもあるようで、夏はいいかも。

 

滝の見学を終えたら、今回の旅もいよいよおしまい。
滝近くにある緒方駅へ戻ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お世話になった豊後大野市歴史民俗資料館の方々とお別れして
帰りの電車を待ちます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅員さんと駅猫さんが、同じ方向を見つめていました。
この駅猫さんは人に馴れているようで、近づいても逃げませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さあ、電車がやってきました。
江戸時代の道雪顕彰の旅は、当然ながらずっと歩きでしたが(豊後旅行記①参照)
現代版道雪顕彰の旅では、ずっと電車移動でした。
ここから豊肥本線で大分駅へ、そして特急で福岡へ帰ります。

 

一泊二日ではありましたが、我々にとっては実りある旅となりました。
しかしながら今回行けなかったところが まだまだあります。
2回目の旅を企画する所存ではありますが、さていつのことになるか。

 

そしてこれを書き終えた今、やっと旅が終わった気分です。
諸事情により長々とかかってしまいましたが、
お付き合いくださった皆様、ありがとうございました。

 

おわり。

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豊後旅行記⑤ ミッション・イン・豊後大野

2013/8/1

緒方駅に到着し、さてまずは豊後大野市歴史民俗資料館へ。
と思って駅を出たら、資料館のスタッフの方々が車で迎えに来てくださっていました。

電車の時間の都合で、私たちの豊後大野での滞在時間が少ないため
大変ありがたいことに、時間短縮を図ってくださったようです。

 

豊後大野でのミッションその1。
「戸次道雪寄進と伝わる鰐口を見に行く」

その鰐口は、大野町の上津神社の宮司宅に伝わっています。
お宅にお邪魔すると、強面だけどとても気のいい大分弁ばりばりの宮司さんが、早速見せてくださいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鰐口とは、神社仏閣の正面の軒に、布で編んだ縄と一緒に吊して
その縄でたたいて音を鳴らすためのものです。
この鰐口には永禄12年に戸次道雪奉納、祭礼奉行が由布惟人と記されており
大分県の文化財に指定されています。

ここにはもうひとつ、金弊も伝わっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

永禄4年、寄進者は戸次道雪と記されています。
こちらは豊後大野市指定文化財です。

宮司さんのお話を聞きながら、
豊後大野市歴史資料館スタッフさんと共に、バシバシと写真を撮ったり
宮司さんのお母様手作りの煮物をおいしくいただたりして
上津神社へ移動。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

案内板によると、上津神社の開基は203年、
724年に応神天皇・神功皇后を勧請して上津八幡大神と号したとのこと。
その後もいろいろな人がいろいろなものを寄進していますが
1461年には、鎧ヶ岳城主・戸次親載(戸次家9代)が一の鳥居を寄進。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どっしりした造りの鳥居です。
こちらも大分県指定文化財
元はこのずっと上の山頂に社殿があったそうですが、
参拝するのに不便なので、昭和42年に麓の現在地に移転したらしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鰐口や金弊を寄進した道雪(戸次家15代)も登ったと思われる、昼なお暗い山頂への道。
これは確かに参拝には不便かも。

今回は先を急ぐ旅なので、ここは登らずに(急がなくてもあまり登りたくはない山道)
次の目的地へ向かいます。

 

豊後大野でのミッションその2。
「鎧ヶ岳に行く」

立花家の系図によると、戸次道雪の誕生地は
「豊後大野郡藤北鎧ヵ嶽ノ城中藪河原之舘」とあります。
現在までに藪河原の館はおろか、鎧ヶ岳城についても、正確な位置などはわかっていません。
これから研究が進めば、詳細がわかるときがくるかもしれませんが
今回はとりあえず鎧ヶ岳の登山口を目指します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当然ながら結構な山道。
向こうに見える山が鎧ヶ岳。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

登山口への途中、車から降りて景色を眺めると、まさしく「下界」といった展望です。
こういう所にある城なら、戦のときにはとても役立つかも。
狼煙とかあげてみたいなと思いながら再び車に乗り込み、登山口への道へ戻ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして着いたここが、鎧ヶ岳の登山口。
標高は847m(ちなみに立花山は367m)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実際に登って確かめたわけではありませんが、
途中は鎖場もあるような急勾配があり、頂上は少し開けているようです。
でも道雪の生まれた藪河原の館は、ここら辺ではなくてもっと麓の辺りにあったんでしょうね、
とみんなで話しながら鎧ヶ岳(登山口)を後にしました。

鎧ヶ岳と、そこからの景色を実際に見ることができたことは
本当によい経験となりました。

 

つづく。(次回やっと最終回)

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豊後旅行記④ デジャヴ特急に乗って

2013/7/12

別府湾沿いにあるホテルの部屋からは、海から朝日が昇る様子が見られます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日の日の出は5時半くらい。
まだ早いので、写真を撮ってからもう一眠り。

 

改めて起床し、「あまちゃん」を見ながら朝ご飯。
名残惜しいけれど、素敵なお部屋ともこれでさようなら。

 

チェックアウト後は電車の時間まで、別府の町を散策しつつ、昼食の調達。
ガイド役は、別府を地元とする我らが室長です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソルパセオ銀座商店街では、シャッターに世界各国をモチーフとした絵が描かれています。
これらの絵は、別府大学や立命館アジア太平洋大学の学生によるものだそうです。
写真のシャッターはタイを描いたもの。
それにしてもこのお店、上の「ナショナル」の看板もすごく気になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

竹瓦温泉までやってきました。
竹瓦温泉は、明治12年創設。
(その頃立花家では、柳川に御本邸・御隠邸を建設中)
現在の建物は、昭和13年に建てられたそうです。
(その頃立花家では、蜜柑園を開墾していました)
2009年には近代化産業遺産に認定されています。
(その頃福岡県立美術館では、「柳川 立花家の至宝」展開催中)

竹瓦温泉からのびるアーケードは、日本に現存する最古のアーケード・竹瓦小路アーケード。
こちらも近代化産業遺産。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このアーケードを修復し、保存しようという願いを込めて作られたのが「たみこの夢弁当」です。
JR九州の駅弁ですが、駅では売っていません。
JR九州の窓口で引換券を受け取り、竹瓦小路の端、竹瓦温泉の目の前にあるTAKEYAで引き換えます。
ちりめん、しいたけ、豊後牛などの名物がたくさん入っており、デザートにはカレーパンとゆずようかん。
室長イチオシのお弁当なのですが、今回はTAKEYAがお休みだったため、食べることができませんでした。
残念。

そこで、「一番古い」つながりで、お昼ご飯はこちらで購入。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

創業大正5年、友永パン。
大分県で一番古いパン屋さんです。
お客さんが多い!なにしろ安い!
ついついたくさんのパンを買い込んだところで、そろそろ電車の時間。

 

これから九州横断特急に乗って、戸次道雪誕生地・鎧岳城があった豊後大野市の、緒方駅へ向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

電車の中で、早速買ったパンを食べる。
味付パンが想像以上においしいのでびっくり。
バターフランスもおすすめです。

自由席だったので一番前に座りました。
運転席越しに前方の景色が見えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

特急で単線、そして車窓に広がる緑色の景色……この感じ、なんとなく覚えが。
そう、都城島津邸で「柳川立花家と島津家」展が開催されたときに
鹿児島中央駅から西都城駅まで乗った、特急「きりしま」の雰囲気に似てる!

 

思い出したことに安心しながら、3人でわいわいしていると(パンは食べ終わった)、
車内改札に来た車掌のお姉さんが「緒方で何かあるんですか?」
私たちそんなに楽しそうにしちゃってましたか。
イベントとかそういうのではないんですけど、歴史民俗資料館にちょっと
とむにゃむにゃ答えはしましたが、
車掌さんは、わかったようなわからないような笑顔を残して去っていかれました。

 

のんびりした景色にまったりとしてきたところで、緒方駅に到着。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さあ、まずは豊後大野市歴史民俗資料館に向かい、
それから鎧岳を目指します。

 

つづく。

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豊後旅行記③ 湯は別府

2013/7/2

戸次にある帆足本家を後にして、いざ今夜の宿へと向かう史料室スタッフ3人衆。
宿泊の地は、温泉都市・別府です。

大分駅から別府駅までは電車で12分。
意外と近い。
別府駅に降り立った私たちを、
ヤッターマンのガンちゃん(13歳)が、歓迎してくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

別府ではこの春から、「エンタテイメントシティ・別府」プロジェクトが始動し
タツノコプロとコラボしたあれこれを展開中の模様です。

駅前にある、別府観光の父・油屋熊八の像も
浴衣姿のボヤッキー(自称25歳)と一緒。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

逆光ながら、なんだか楽しそうな熊八さん。
油屋熊八は、亀の井ホテルの創業者で、
「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」というキャッチフレーズを考案したり
日本初の女性バスガイドの案内付観光バスを走らせたりしたアイデアマン。
私財を使って別府温泉の名を全国区にした人でもあります。

2007年に建てられたこの像は、
天国から舞い降りた熊八が「やあ!」と呼びかけているイメージらしいです。
マントにはぶらさがる小鬼。

 

熊八さんの前でタクシーをひろい、今夜の宿へ向かいます。
3人で乗ると、運転手さんが「同窓会ですか?」
なぜ同窓会?木曜日なのに?
えーと、そうではなくて、出張じゃないし、研修?旅行?
説明が難しいなぁと思って、むにゃむにゃしている内に目的地に到着。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宿は「別府ホテル うみね」(外は工事中:当時)
別府湾が一望できる、海沿いのホテルです。

お部屋がこちら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オー!ワンダホーなお部屋!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「パウダールーム」にはダイソンの羽根無し扇風機。
仕組みはよくわかりませんでしたが、涼しい風はくる、そして後ろからは風が出ない、
ということを無事確認しました。

 

ホテルのサイトにあった「僕らだけの隠れ家」っぽい雰囲気にするにはどうすればいいか
と、電気を点けたり消したり、テーブルを動かしたり、あれこれ試したなんてことは
恥ずかしいからここだけの秘密です。
結局うまく演出できなかったことは、もっと秘密です。

 

おいしい晩ご飯(鉄板焼き)を食べて

 

デザート

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

屋上展望露天風呂、部屋の半露天風呂、岩盤浴と、
三者三様好みのお風呂を堪能したあとは
ホテルの側の海岸で、線香花火タイム。

 

筒井時正玩具花火製造所は、柳川の隣、みやま市にある花火製造所。
ここ数年テレビや雑誌でもよく見かけます。
西の線香花火・スボ手牡丹、東の線香花火・長手牡丹と、二種類の線香花火を製造しているのは
日本でここだけだそうです。

火薬は飛行機には乗せられません。
今回の旅は電車移動のみなので、ここまで持ってくることができました。

東と西、両方の線香花火で遊んでみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スボ手牡丹(西の花火)は、着火のときも、火が点いてからも、
火先を上向きにして持つものだそうです。
長手牡丹(東の花火)は、斜め45度下向きにして楽しむもののようです。
東の花火の方が少し長持ちしたように感じました。

 

花火の後は、フロント横にある「お部屋でご自由にお楽しみください」のDVDを鑑賞し
ほどよき時間に3人並んで就寝。
長かった一日もやっと終わりです。

 

今回は、道雪のことがひとつも出てきませんでしたが
まぁそんなこともあります。

 

つづく。

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豊後旅行記② 戸次・帆足本家

2013/6/13

さて、無事に中判田駅に到着した、我ら史料室スタッフ3人衆。

これから向かうのは「帆足本家 富春館」です。
前回の「豊後旅行記①」で述べたように
笠間葆光と山田興孝は、戸次道雪・立花宗茂顕彰事業の一環で
天保9年に日出の儒学者・帆足万里を訪ねました。
このとき山田は、万里から「借竹亭」の号をもらっています。

我らも山田に倣って、帆足家を訪ねることにしました。
ただしこちらは日出の帆足さんではなく、大分市中戸次(なかへつぎ)の帆足さん。
戸次家本貫地の帆足さんです。

 

中判田駅からタクシーで5分ほど行ったところに帆足本家はあります。
3人でタクシーに乗ると、運転手さんが「初夏を訪ねる旅ですか?」
初夏を訪ねる旅……
それがどういうものなのはわかりませんが、
私たちのはそんな爽やかなものではなく、戦国武将の本貫地を訪ねる旅です。
と言うのもなんだかなぁと思って、むにゃむにゃしている内に目的地に到着。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この帆足家は、12世紀に玖珠郡に興った家で
大友家と主従関係を結び、1586年戸次(へつぎ)に居を構え
江戸時代には庄屋だったそうです。
帆足家には田能村竹田や頼山陽などいろいろな文人が訪れ
幕末から明治に活躍した帆足杏雨は、この家の人とのこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帆足本家の前には「戸次市村」の碑があります。
近世以前は戸次市村と呼ばれていたこの地区は
在郷の中心として形成された日向街道筋の在町(ざいまち)でした。
現在、歴史的な町並みの保存とにぎわいの復活を目指した街作りをされているそうです。

 

さて現在の「帆足本家 富春館」は、レストランやカフェ、アートギャラリーなどの施設となっています。
門をくぐると立派なお庭、奥に母屋。
母屋が気になるところですが、この時点ですでに13時半。
まずは、門を入ってすぐ右にあるレストラン桃花流水でお昼ご飯です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大正5年に蔵から洋館へと姿を変え、応接室として使われていた建物を利用したレストランでは、
戸次の特産物・ごぼうと野菜のコース料理を楽しむことができます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これはごぼうと魚の南蛮漬け。
他にも豆腐、グラタン、天ぷら、デザートなど、ごぼうが七変化。
さらに驚きが、ごぼうコーヒー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コクのある深い味のコーヒーです。
上に渡してあるゴボウスティックは、浸して食べてもそのまま食べても絶品。
ごぼうって意外と変幻自在です。
きんぴらとごぼう天うどん(福岡名物)だけと思うなかれ
と、肝に銘じる。

 

お腹もふくれたところで、いざ母屋へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

慶應元年築。
武家の家構えです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二間続きに縁側のついたこちらの部屋には
頼山陽の「富春館」という揮毫の額がかけてあります。
山陽が南画への志に燃える帆足杏雨のために、新品の硯を用いて書いたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガラスは柳川藩主立花邸 御花と同じ古ガラス。
建築当初のもの。
外の景色が歪んで見えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トイレのサインがおしゃれさん。

母屋の奥と離れ座敷はギャラリーになっており、
現代の作家さんたちの作品が 展示販売されています。
かつて多くの文人墨客を迎え入れた帆足家は
今では、現代の文人サロンとしての役割を果たされているのです。

 

母屋などのある敷地の向かいには
4月27日にオープンしたばかりの「Life&Deli富春館」 。
富春館オリジナルのお菓子や、レストランでも出しているドレッシングなどを売っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初にあげた「戸次市村」の碑は、このお店の前にあります。
そしてもうひとつ、この前にあるのが

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごぼう君」

立派な収穫物を手に誇らしげなごぼう君。
左手には何を持っているの?

戸次のごぼうは軟らかくて風味がいいのが特長だそうです。

 

かつて酒造業を営んでいた帆足家なので、
敷地には酒蔵も残っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
今は大分市が管理しており、中の見学もできます。
その酒蔵の案内看板に気になるものが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

左の杏葉紋っぽい人は戸次道雪と思ってもいいでしょうか。
ここは戸次だし。
右の人は大友宗麟?
着ているのが柞原八幡宮所蔵の宗麟が寄進したと伝わる腹巻に似てますが。

 

若干の謎を残しつつ、帆足本家とはこれでお別れ。
ご飯にお茶にギャラリーにお庭に。
長時間楽しめる施設でした。

 

山田興孝は帆足万里から号をもらって帰りましたが
私たちは現代の文人の作品を1つずつ買って帰りました。

 

再びタクシーで中判田駅に戻り
豊肥本線と日豊本線を乗り継いで、今夜の宿へ向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく。

 

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豊後旅行記① 山田さんの歩いた道

2013/6/7

立花家の家譜「御内實御系譜下調」によると、今年は戸次道雪誕生からちょうど500年。

道雪関連のイベントもあちこちで開かれているようです。
立花家史料館では「近世立花家初代・戸次道雪生誕500年記念・シリーズ展示」を開催中。
史料室の主も、去年はソーモくんだったのが、

今年はドーセツくんに変身。

 

ところで戸次道雪っていったいどんな人だったんでしょう。
雷を斬ったとか、家臣には優しかったが軍令には厳しかったとか、
宗麟の飼猿を鉄扇で叩き殺したとか、たくさんの逸話が残されています。
小説や漫画もたくさんあって、どれも面白いのですが、
史実に基づいた道雪像について知りたい方は、
柳川の歴史4『近世大名 立花家』(中野等・穴井綾香著)をお読みください。

さて江戸時代後期、柳川藩で道雪・宗茂顕彰事業が行われたことがありました。
この事業に携わったのが、笠間惟房・笠間葆光・山田興孝の3人。
彼等は筑前や豊後など、道雪・宗茂にゆかりの土地へ赴き、調査を進め、
最終的に「祖宗懋績録」を完成させました。

その過程において、笠間葆光と山田興孝は天保9年に日出の儒学者・帆足万里を訪ねました。
このとき山田は、柳川を出て日出に着くまでのことを「豊国日記」に記しています。
「豊国日記」には、途次にあたる各地の歴史・出来事・見たものなどが文学調で書かれていて
これを読むと、彼等の通った道のりを知ることができます。

そこで「豊国日記」にある地名をGoogleマップで検索して山田の旅程を調べてみました。
その結果がこちらです。
なお各ポイントはおおよその場所です。

これを見ると
筑後街道→日田までは日田街道→耶馬溪あたりでは日田往還→
→宇佐神宮あたりでは10号線付近→日出までは豊前街道
を通ったことがわかります。

さて
道雪生誕500年を記念して、我ら史料室3人衆も
現代版道雪顕彰の旅に出ることにしました。

目的地は大分。
旅の資金は年末にもらった「フェアプレー賞」の賞金+室長のポケットマネー。

山田の旅(往路のみ)は9月21日から6泊7日でしたが、我らの旅(往復)は5月23日から1泊2日。
山田の旅は全行程徒歩でしたが、我らの旅の始まりは特急「ゆふいんの森」号。

JR九州の誇る素敵特急のひとつです。

リゾート気分が存分に味わえる車内からは
耳納連山や、広がる麦畑を眺めることができます。
慈恩の滝付近では速度を緩めるので、写真撮影も可能です。

別府まで行く便もあるのですが、
今回は到着時間の関係で、湯布院までの便にしか乗れなかったため
特急「ゆふいんの森」とは、由布院駅でお別れ。

せっかくの「いで湯のまち湯布院」ではありますが、ホームの足湯につかる間もなく
久大本線大分行きに乗り換え。

車窓から見えるガードレールに茶色いのがある!とか
駅舎のベンチがカラフルで面白い!とか思っているうちに
大分駅に到着。

昨年できたばかりらしい大分駅のコンコース。

格天井風の天井に鶏のマーク。
休みの日には、真ん中に見えるミニトレイン「ぶんぶん号」が駅内を走るそうです。

さて大分駅からさらに豊肥本線・豊後竹田行きに乗ります。

ホームでふと足元を見ると、ドアの位置案内が。

「黄色い車両」「赤い車両」「白い車両」でドアの位置が違うようです。
わかりやすい。

「赤い車両」のドアをくぐって列車に乗り込み、揺られること約15分。
旅の最初の目的地の最寄り駅、中判田に到着。

駅舎の文字が出迎えてくれました。

「おつかれさまでした おかえりなさいませ」
はい、ちょっとだけ疲れました。

とはいえ、江戸時代に山田興孝が7日間かけて歩いた距離を
現代の我らは約3時間半でやってきたのでした。

つづく。

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「柳川立花家と島津家」展顛末記 〜その3 史料返却(本宅画像付)〜

2011/12/23

おかげさまで、都城島津伝承館における企画展「柳川立花家と島津家」も
12月4日をもちまして無事に終了いたしました。
ご来館くださいましたみなさま、ありがとうございました。

ここでひとつおわびせねばなりませぬ。
その2の次回予告では「〜その3 本宅見学〜」としておりましたが、
更新の機会がないままに会期も終了し、史料も戻ってきました。
そこで、都城島津邸の本宅につきましては、
画像を並べていきますので
それでなんとなくご容赦ください。

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20111223_0720111223_06

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少しでも本宅の魅力が伝わったでしょうか。

さて、会期終了から1週間ちょっとたった12月15日のこと、
貸し出していた史料が返ってきました。

20111223_09

搬出のときと同じように、きれいに梱包されています。
おかえり、君たち。

20111223_10

史料を丹念に見て、キズやホツレなどが無いかチェックします。
もし何かが見つかったときは、
貸出のときに記入したチェックシートや、撮った画像を調べて
それが貸出以前からあったものなのか
それとも貸出後に新たに生じたものなのかを判断します。
そのため、貸出時のチェック作業はとても大切なことなのです。

20111223_11

チェックが終わった史料は、
保管するために、再びきちんと包みます。
最後に収蔵庫のしかるべきところに収めて
すべて終了です。
おつかれさまでした。

ところでここ最近、近隣の館の学芸員に会う度に
「戦国鍋TV」を布教する日々なのですが、
都城島津邸の学芸員さんからは逆に
「これ面白いんですよ」というのを教えてもらいました。

鹿児島のローカルヒーロー「薩摩剣士隼人」です。
秋田の超神ネイガーや、沖縄の琉神マブヤーみたいな感じのヒーローです。
考証などはきちんとされているようで、しっかりとした作りなのですが
全体的にゆるい雰囲気が漂っています。
仮面の口のところをぱかっと開けて
食べたり飲んだりするところが素敵です。
公式サイトでは、これまでの回がネット配信されていますので
ぜひ一度ご覧下さい。

とまあ、そんなこんなで無事に史料も戻ってきましたので
今回で「柳川立花家と島津家」展顛末記もおしまい。
お粗末様でした。

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「柳川立花家と島津家」展顛末記 〜その2 展示替えと開会式〜

2011/10/28

間に行事を挟んでしまったため、その2の更新が遅くなりました。
あの日の出来事が忘却の彼方へ消える前に、記しておかなければなりませぬ。

さて、展示替えのため、立花家史料館の学芸員2名が都城へ旅立ったのは、
10月5日のことでした。
出発前に施設管理の志岐さんからもらったオニビシ(茹でてある)を、
新幹線内でもくもくと食べつつ(栗みたいでおいしかった)、
在来線を乗り継いで、昼頃に西都城駅へ到着。
車でちょっと行くと、都城島津邸です。

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どどーんと立派な門を入って右が伝承館、左が本宅です。
今回の展示は伝承館で開催されています。
館長さんやスタッフのみなさんにご挨拶を済ませ、いざ展示作業開始。

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一週間のご無沙汰の史料たちです。
これらを、これから開封して展示していきます。

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展示室は、10月2日まで行われていた「都城の『おとのさま』」が
片付けられて、すっきりした状態です。

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展示ケースを奥から順にうめていきます。
これは点数の多い婚礼調度。
梱包の際チェックシートに記入した、取り扱い上の注意を確認しながら
ひとつづつ丁寧に開封します。
今回も日通さんが大活躍。

私たちには普段から見慣れた婚礼調度ですが、
包みが解かれる度に「わ〜」とか「お〜」とか
声をあげる日通の方がいらして(梱包作業にはいらっしゃらなかった)
作品のすばらしさに改めて気付かされました。
新鮮な気持ちは大切です。

さて、展示作業は進んでいきます。

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宗茂の兜に後立をつけるの巻。
ピッとさして、横棒でとめて固定します。

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完成したら、4人がかりで展示ケースをそーっと回転させ
定位置に置きます。

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最終的にはこんな感じです。
こちらの具足は、展示室の一番最初でお待ちしております。

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こちらは、展示されるのを整列して待つ有職雛さんたち。
古いものですので、髪の毛や首が取れやすく、要注意です。

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最初は、壁付のケースに入れる予定でしたが、諸事情により、のぞきケースに収まりました。
繊細な人たちですので、ケースに衝撃を与えないように気をつけてご覧ください。

展示作業中、地元の高校生が見学にきていました。

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何の授業だったのでしょう。
「立花家」という名前だけでも覚えて帰ってもらえれば、幸いです。

「注文したパネルがなかなか届かない」とか、ちょっとしたあれこれはありましたが、
あまり焦るようなこともなく、史料室長も到着した展示作業最終日の夕方には、すべて終了。

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ライティングも格好良くきまりました。
雷切丸もいつもよりぴかぴかしてるみたい。
所用者である戸次道雪の肖像(福厳寺蔵)と並んで展示されています。

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外には看板が出て、あとは開会を待つばかりとなりました。

そして10月7日の夕刻、いよいよ開会式です。

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立派なゲートがつきました。
テープの向こうにちらりと宗茂の具足が見えてます。

開会式は、伝承館2階の交流室で行われました。
参加したのは、市の関係者やボランティアガイドのみなさん、新聞記者が少し。
司会は館長さん御自らされました。

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長峯都城市長の式辞。市長、お若いですね。

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テープカットは市長・市教育長・都城島津家当主代理の方・立花家史料館史料室長の4人。
このあと内覧会があったのですが、
当館室長が、都城のボランティアガイドのみなさんから質問攻めにあっていたことを
ここに記しておきます(ガイドのみなさんは本当に勉強熱心です)。

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なお、ロビーでは柳川藩主立花邸御花オリジナルグッズも販売しております。
(大事な写真がぼけぼけになってしまいました。売店のみなさんごめんなさい。)
これから寒い季節になりますが、お風呂上がりの「西洋炭酸水」はお勧めです。
ベイクドドーナツと一緒にどうぞ。

こうして、無事に幕を開けた「柳川立花家と島津家」展。
12月4日(日)まで好評開催中です。

さらに11月3日には、東京大学史料編纂所の山本博文氏をお迎えして
記念講演会も開催されます。
詳しくは、都城島津のサイトをご覧あれ。

【次回予告】
展示作業の休み時間に
都城島津邸本宅をちょっとだけ見学。
かわいらしい欄間に喜んだり、「昭和天皇御宿泊の部屋」をしげしげと見たり
しっかり満喫しました。

次回「柳川立花家と島津家」展顛末記 〜その3 本宅見学〜
お楽しみに。

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お江戸見聞記 後編 〜雷切丸、空を飛ぶ〜

2011/9/30

9月25日(日) 晴れ

ホテルをチェックアウトし、
皇居ランナーを横目に、半蔵門から地下鉄に乗車。
電車を乗り継いで飯田橋で降り、小石川後楽園へ。
方向感覚に難ありの二人なだけに、なぜかウインズ後楽園まで彷徨い歩き
さらに、入園口と反対側の門にたどり着いてしまうという紆余曲折がありつつも、
なんとか到着。

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突然ですが、
先日、立花氏庭園がめでたくも国の名勝に正式に指定されました。
立花氏庭園の中にある東庭園は、大きな池を中心とし、
その周囲に起伏のある地形を配した池泉回遊式庭園で
池の周りを散策できるようになっています。
小石川後楽園は、徳川御三家のひとつ、水戸徳川家のお屋敷であったところ。
ここも池泉回遊式庭園であり、その造成に朱舜水(柳川にも縁のある儒学者)が関わっている
ということから、見学に訪れたのです。

受付で入園料を払って、さあ園内へ。

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小石川後楽園は、東京ドームを借景とし……なわけないですね。

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ごみ箱も風景になじんでいます。
さて、お庭はどんな感じでしょうか。

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むむ、池が広いな。
東庭園の池だって、江戸時代には今よりもは広かったのですが。

さあ、気をとりなおして、次へ進もう。

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おお!庭の中に森がある。
木曽の山を表してるようです。
山を抜けると...

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また池が。
書院のお庭です。

この先にも清水観音堂とか(手ブレ注意)、

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琉球山とか、

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西湖堤とかが...

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他にも渡月橋に滝に松原に梅林に八つ橋にと、
日本のみならず、中国までも、ありとあらゆるものがこのお庭に集結。
水戸光圀は諸国漫遊しなかったと言われていますが、
お庭を巡れば、諸国を巡った気分になれたのではないでしょうか。
ね、黄門さま。

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「・・・・・・」
今は田んぼの番に忙しいようです。
「助さん、格さん、稲を荒らす者をこらしめておやりなさい」

ちなみに、円月橋は修復工事中でした。

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やはり徳川御三家は規模が全然違います。
外様が生意気言ってすみませんでした。
いよっ、特別名勝!

では、今回の出張の真の目的
「撮影の為に預けていた雷切丸を受け取って、無事に持ち帰る」
のために九段へ向かいましょう。

雷切丸の撮影をお願いしたのは、刀剣藤代さん。

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研師の藤代興里さんは、優しい雰囲気ながら、目に職人魂を感じる方でした。
撮影をして下さったのは、娘さんの冥賀明子さんです。
冥賀さん撮影の雷切丸の写真は、10月8日から都城島津伝承館で開催される
「柳川立花家と島津家」展の図録で初お目見えします。
お楽しみに。

受け取った雷切丸をしっかり梱包して大事に抱っこし、藤代さんの前から即タクシーへ乗車。
(刀を持っているので、安全のため電車には乗りません)
事前に「定額タクシー」を予約してあったので、
千代田区からなら、6000円プラス高速代のみで羽田空港まで運んでもらえます。
メーターを気にしなくていいのは気が楽〜。
「お、国会議事堂」
「皇居ランナーって、いついかなる時間にもいるんだね」
「東京タワーだ」
「あぁ!スカイツリー!」
「レインボーブリッジ渡るよ〜」
おのぼりさん丸出しではしゃぐ車内。
日曜日なので道がすいていたこともあり、30分かからずに羽田に到着。

カウンターで刀を預け、時間もあるので空港見学。

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展望デッキに登ると、全日空機だらけでした。
中に少しだけエアDO。

空港の中にディスカバリーミュージアムというのがあり、
何をディスカバーさせてくれるのかなと入ってみると...
なんとここは、永青文庫の常設企画展として開設されたものでした。
ここ近年、いたるところで企画展も開催してますよね。
どれだけ史料もってるんだ、永青文庫!

永青文庫の史料の多さに、ディスカバーではなくサプライズしてしまっているうちに
あっという間に搭乗時刻となりました。
端っこの搭乗口まで歩いて歩いて歩いて...やっと到着。
飛行機は「揺れます」と言われた割には、それほど揺れることもなく、
雷切丸と共に有明佐賀空港に着陸した頃には、外はもう真っ暗になっていました。
暗くなってしまったので、以下写真はありません。

手荷物受け取り所でジュラルミンケースから出てきた雷切丸と再会。
これまた予約していたリムジンタクシーに揺られることしばし。
無事御花に到着しました。

ぼんやり明かりの灯った西洋館に出迎えられ、
刀を抱っこしたまま転ばない様、足元に注意しながら史料室に向かいます。
史料室の通用口付近は電灯が無く、夜は真っ暗になってしまうので、
ぶつけないように、さらに慎重に狭い道を歩きます。
(業務連絡:電灯を付けたいです。人に反応してぴっかーんて光るアレ。)

収蔵庫に刀を納め、史料室長にミッション完了のメールを送る。
すぐに室長よりねぎらいのメールが届き、これにて全て終了。
おつかれさまでした。

さあ帰ろう、と思って外に出ると、いつの間にか雨模様。
空も雷切丸の帰還を喜んでいるのでしょう。

そして、通勤用の定期券を家に忘れてきて心が雨模様の私は、
片道の電車代830円也を泣く泣く手出しし、自宅にたどりついたのでした。

以上、おわり。

【その後の雷切丸は...】

柳川帰還後3日目にして、展示の為、都城へ再び旅立っていきました。

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そのときの模様は、また別の機会にでも。

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お江戸見聞記 前編 〜広いよ上屋敷〜

2011/9/26

9月24日(土) 晴れ

朝7時の飛行機に乗り、四国上空で朝ご飯を食べ、
8時40分頃羽田に到着。
それから、モノレールやら地下鉄やらを乗り継いで半蔵門へ。
皇居ランナーを横目に見ながら
今夜宿泊予定のホテルで、前日入りしていた同僚と合流。
いざ、お江戸の町へ。

最初に向かったのは九段にある「千秋文庫」です。

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ここは旧秋田藩主の佐竹家に伝わる文化資料を集めた博物館です。
立花家と佐竹家は、江戸上屋敷同士がお向かいさんでした。
千秋文庫は、耐震耐火構造で蔵のような造りの堅牢な建物。
現在は、開館30周年記念「秋田の国と城」が開催中(12月10日まで)。
大きな絵図を工夫して展示してありました。

次に向かったのは、立花家の江戸上屋敷跡。
大江戸線の新御徒町駅A1出口を出ます。

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出口を出て振り向くと、そこはほら上屋敷跡。
さて、周囲を歩いてみましょう。
現在の住所では、台東区東上野1丁目1番〜11番及び20番〜28番の範囲です。
清洲橋通り沿いの現在の様子はこちら。

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ちょうど写真に見えている範囲全部がそれにあたります。
広い!
では角を曲がってみましょう。

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写真の右手にある信号(見えますか?)のあたりでちょうど半分です。
さらに広い!
大名屋敷の規模がいかに大きかったかがよくわかります。
江戸時代には周囲を堀と塀で囲っていたそうです。
ところで、この上屋敷には太郎稲荷が祀られていました。
それが現在も残っています。

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ビルの谷間にひっそりと。

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西町太郎稲荷です。「西町」は以前ここが「下谷西町」であったことに由来します。
かつて上屋敷には御稲荷が2社あったのですが、これはそのひとつ。
地域のみなさんによって、今も大切に維持管理されています。

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ほらお掃除だってばっちり。

ちなみに、お向かいの佐竹さん(秋田藩)は、商店街にその名が残っていました。

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続いて、西郷さんをチラ見しながら

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上野公園へ。
なるほど、上野公園だもんねぇという看板を眺めつつ歩き、

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東京国立博物館へ到着。

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ちょうど「空海と密教美術」展開催中でしたが、今回は常設展だけを見学しました。
足を棒にしながら館内を巡り、やっぱり国の施設はすごいなあと思うことしばし。
地下のミュージアムショップで、参考になりそうなグッズをあれこれと物色して
表慶館を外から眺める。

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正面のレリーフが、御花の西洋館の煙突にあるレリーフにちょっと似てるかな。

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ライオンさんも素敵。

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「誰にも見られずに背中にまたがれば…」とかいう伝説は…...ありませんよね、やっぱり。

さてこのあと新宿へ移動。
THEちょんまげ軍団SUPERの「道雪」で立花宗茂役を演じられた、
竹尾一真さんがご出演の劇団なんでやねん(その劇団名がなんでやねん)の
「ミッシング・リンク」を観にシアターサンモールへ。
(これについては出張費に計上しておりませんのでご安心ください、T室長。)

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お芝居って面白いですね。
おかげさまで新しい世界が開けました。
立花家史料館は、これからも竹尾一真さんを応援します。

長かった一日も終わり、再び半蔵門へ。
皇居ランナーを横目にやっとホテルに戻りました。
(写真は昼間に撮影したものです)

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この日の宿泊先はホテルふくおか会館。
福岡県民は安く泊まれます。わーいわーい。

こうして一日目は無事に終わりましたとさ。

【次回予告】
祝・立花氏庭園名勝指定ということで
同じ池泉回遊式庭園の小石川後楽園へ。
ところがびっくり。そのわけは・・・。
さらに今回の出張の真の目的達成のため九段へ!
果たしてミッション達成なるのか?
次回、お江戸見聞記 後編。
おたのしみに。

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