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豊後旅行記⑤ ミッション・イン・豊後大野

2013/8/1

緒方駅に到着し、さてまずは豊後大野市歴史民俗資料館へ。
と思って駅を出たら、資料館のスタッフの方々が車で迎えに来てくださっていました。

電車の時間の都合で、私たちの豊後大野での滞在時間が少ないため
大変ありがたいことに、時間短縮を図ってくださったようです。

 

豊後大野でのミッションその1。
「戸次道雪寄進と伝わる鰐口を見に行く」

その鰐口は、大野町の上津神社の宮司宅に伝わっています。
お宅にお邪魔すると、強面だけどとても気のいい大分弁ばりばりの宮司さんが、早速見せてくださいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鰐口とは、神社仏閣の正面の軒に、布で編んだ縄と一緒に吊して
その縄でたたいて音を鳴らすためのものです。
この鰐口には永禄12年に戸次道雪奉納、祭礼奉行が由布惟人と記されており
大分県の文化財に指定されています。

ここにはもうひとつ、金弊も伝わっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

永禄4年、寄進者は戸次道雪と記されています。
こちらは豊後大野市指定文化財です。

宮司さんのお話を聞きながら、
豊後大野市歴史資料館スタッフさんと共に、バシバシと写真を撮ったり
宮司さんのお母様手作りの煮物をおいしくいただたりして
上津神社へ移動。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

案内板によると、上津神社の開基は203年、
724年に応神天皇・神功皇后を勧請して上津八幡大神と号したとのこと。
その後もいろいろな人がいろいろなものを寄進していますが
1461年には、鎧ヶ岳城主・戸次親載(戸次家9代)が一の鳥居を寄進。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どっしりした造りの鳥居です。
こちらも大分県指定文化財
元はこのずっと上の山頂に社殿があったそうですが、
参拝するのに不便なので、昭和42年に麓の現在地に移転したらしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鰐口や金弊を寄進した道雪(戸次家15代)も登ったと思われる、昼なお暗い山頂への道。
これは確かに参拝には不便かも。

今回は先を急ぐ旅なので、ここは登らずに(急がなくてもあまり登りたくはない山道)
次の目的地へ向かいます。

 

豊後大野でのミッションその2。
「鎧ヶ岳に行く」

立花家の系図によると、戸次道雪の誕生地は
「豊後大野郡藤北鎧ヵ嶽ノ城中藪河原之舘」とあります。
現在までに藪河原の館はおろか、鎧ヶ岳城についても、正確な位置などはわかっていません。
これから研究が進めば、詳細がわかるときがくるかもしれませんが
今回はとりあえず鎧ヶ岳の登山口を目指します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当然ながら結構な山道。
向こうに見える山が鎧ヶ岳。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

登山口への途中、車から降りて景色を眺めると、まさしく「下界」といった展望です。
こういう所にある城なら、戦のときにはとても役立つかも。
狼煙とかあげてみたいなと思いながら再び車に乗り込み、登山口への道へ戻ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして着いたここが、鎧ヶ岳の登山口。
標高は847m(ちなみに立花山は367m)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実際に登って確かめたわけではありませんが、
途中は鎖場もあるような急勾配があり、頂上は少し開けているようです。
でも道雪の生まれた藪河原の館は、ここら辺ではなくてもっと麓の辺りにあったんでしょうね、
とみんなで話しながら鎧ヶ岳(登山口)を後にしました。

鎧ヶ岳と、そこからの景色を実際に見ることができたことは
本当によい経験となりました。

 

つづく。(次回やっと最終回)

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