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番外編-館長ブログ-「我が殿のイラスト」

2015/10/30

あれは、確か…九州国立博物館での特別演舞の時でしたか、控室にて我が殿より「立花宗茂イラストコンテストに儂も描いてみたいぞ!」(←実際は大変丁重なお申し入れでしたが、殿のお言葉に翻訳するとこうなります)

と、驚きの宣言がありました。

 

あれから、柳川からは遠く離れた熊本城のみならず全国でお忙しい日々をお過ごしのご様子…大丈夫だろうか…心配…でもきっと我が殿のことですので、この宿題見事仕上げていただけるだろうと信じて待つこと数か月…。

 

武録(ブログ)ではずいぶん悩んでいるご様子…。

柳川ではスタッフ皆で心配しておりました。が、

 

締切りのせまったある日、突然我々のもとに届いたのがこの作品。

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最初に開封した私の秘書が一言 「く、暗い…と思って裏をみたら、殿ですよ!」 「きっと何度も書き直したんだと思います(涙)」

苦闘のあとを感じさせる作品ではありましたが(しかも絵具お買いになられたんですね)、当館スタッフには概ね好評。

 

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その後私、隅々までじっくり鑑賞いたしました。

普段の展示では見えない甲冑の後姿をあえて描いているとは、さすが我が殿! と、褒めポイントを探しつつも、暗闇に迷子になったような幼気なうしろ姿に母心を感じて涙。

 

応募用紙には、

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私には、我が殿が、蘇ってしまって熊本城で今後を月を眺めつつ考える…そんな姿に重なりました。

が、一年が過ぎ、最近とみに脂が乗りきったような(フィジカルでは困ります…)ご様子に感心しきりです。

きっと仕送りも必要ないでしょう…と、よく見ると腰にあるのは、金熨斗(きんのし)の拵(こしらえ)ですか…さりげなく国許にアピールとお見受けしました。

熊本城に居並ぶ大名方に我が殿が見劣りするようなことは、私が許しませんので、しばしお待ちを。

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第3回イラストコンテスト表彰式

2015/10/30

今年は立花宗茂が大活躍の年。
展覧会やテレビ番組、書籍など、いろんなところに登場しています。

立花宗茂大活躍の一例

立花宗茂大活躍の一例(九州国立博物館にて)

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな2015年夏、立花家史料館では「立花宗茂イラストコンテスト」を開催しました。

9月5日の締切までに応募のあったイラストの数は
●イラスト部門 23点
●小中学生絵画部門 255点
●こどもぬりえ部門 654点

過去最高の応募数でした。

 

イラスト部門は、中学生から40代まで、全国各地から作品が届きました。
その中にはプロの方、アマチュアで活躍されている方、学校の美術の先生なども。

小中学生絵画部門の作品は
柳川とその周辺地域はもちろんのこと、関東地方からも届きました。
さらに宗茂生誕地のある豊後高田市の小・中学校からも
たくさんの作品をお送りいただきました。

こどもぬりえ部門では
宗茂ゆかりの柳川市・豊後高田市・大木町・棚倉町からは団体でのご応募が。
さらに九州国立博物館「戦国大名」展会場、福岡市博物館「大関ヶ原展」会場に設置していた箱にも
素敵な作品が応募されていました。
もちろん個人でお送りいただいた作品もあります。

 

さて作品の審査についてですが
イラスト部門の審査は以下のように行いました。
特別審査員(葉室麟氏、大久保ヤマト氏、熊本城おもてなし武将隊のみなさん)と
公益財団法人立花財団理事長・立花宗鑑(立花家17代当主)のそれぞれが、1位~5位を選出。
1位:5点、2位:4点、3位:3点、4位:2点、5位:1点として
各作品に点数を加算していき、総合点の高い作品から順に
千熊賞、百熊賞、柳川市長賞、豊後高田市長賞、「大関ヶ原展」賞に決定しました。

小中学生絵画部門の審査は、柳川市教育委員会にお願いしました。

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こどもぬりえ部門・三柱神社賞の審査は、三柱神社の宮司さんにお願いしました。
こどもぬりえ部門・「大関ヶ原展」賞は、三柱神社賞選外作品の中から事務局が決定しました。

 

イラスト部門と小中学生絵画部門の全応募作品と
こどもぬりえ部門の入選作品は
立花家史料館facebookページに、順次掲載しています。

 

そして10月3日、第3回イラストコンテストの表彰式を開催しました。
会場は、柳川藩主立花邸御花・元禄の間

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会場内には、小中学生絵画部門とこどもぬりえ部門の受賞作品を展示。

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イラスト部門の受賞作品は、プロジェクターで上映しました。

ご来賓として、柳川市長、豊後高田市教育長、大木町長
「大関ヶ原展」福岡会場実行委員会より福岡市博物館の堀本一繁さん
特別審査員である大久保ヤマトさんのご臨席を賜りました。

また審査結果の発表から表彰式まで、日がなかったにも関わらず
多くの受賞者とそのご家族にご参加いただきました。

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最初に主催者を代表して
公益財団法人立花財団理事の立花寛茂がご挨拶いたしました。

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次にご来賓の方々を代表して
柳川市長、大木町長よりご挨拶をいただきました。

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実は表彰式当日の朝、九州自動車道が事故の影響で一部通行止めになり
豊後高田市からの来賓および受賞者の到着が遅れる
というアクシデントがありました。
そのため豊後高田市教育長には、到着後ご挨拶をいただきました。

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つづいて
こどもぬりえ部門、小中学生絵画部門、イラスト部門の順に表彰されました。

その後は大久保ヤマトさんと立花家史料館館長・植野かおりによる講評。

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最後に来賓のみなさんと受賞者のみなさんで記念撮影をして
表彰式は終了しました。

なお通行止めの影響で到着の遅れた、イラスト部門受賞者の方々には
式後に表彰が行われました。

 

このたびのイラストコンテストのテーマは
「立花宗茂、〇〇の地に立つ」でした。
みなさん思いをこめて、宗茂をさまざまな地に立たせてくださり
本当にありがとうございました。

豊後高田市や棚倉町の小中学生の中には
自分の故郷に縁のある「立花宗茂」という人物のことを
初めて知った人が多かったことでしょう。
作品にこめた思いに「郷土の偉人」「りっぱなとのさま」と
書かれているものがいくつかあり、大変嬉しく思いました。

 

スタッフの思いつきと雑談から生まれ、第3回まで続いたイラストコンテストですが
次回の開催は未定です。
スタッフの体力と精神力と仕事のスケジュールによっては
そのうちまた開催するかもしれないし、しないかもしれません。

 

※このあとの番外編もご覧ください。

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宗茂イラスト募集してます

2015/8/10

立花家史料館では、これまでに2回のイラストコンテストを実施してきました。

第1回 わたしの誾千代姫
第2回 戸次道雪と九州戦国絵巻

そして3回目となる今回、遂にこの人が登場。

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この夏一番熱い戦国武将*・立花宗茂。(*当館調べ)

テーマは「立花宗茂、〇〇の地に立つ」

人生山あり谷ありであった立花宗茂ですが
どんな時もどんな地でも、流されずに懸命に立ち
今につながる立花家の歴史を守りぬきました。

皆さまの心にはどんな宗茂が立っていますか。
名前を耳にして思い浮かぶ姿を、楽しんで描いて送ってください。

 

そして今回も、みなさまのモチベーションアップのために
さまざまな賞をご用意いたしました。

◆イラスト部門
・千熊賞:柳川藩主立花邸御花ペア宿泊券(2食付) 1名

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賞の名前は宗茂の幼名・千熊丸(せんくままる)に由来しています。
柳川藩主立花邸御花までの交通費は各自ご負担ください。
また、ご利用いただけない期間もございますので、その点はあらかじめご了承ください。

 

・百熊賞:柳川藩主立花邸御花お食事券 2名
「ももくましょう」と読みます。
百熊という人はいませんが、千熊賞と対にしてみました。

 

・柳川市長賞:柳川市の特産品 1名
柳川市がある場所は、宗茂が豊臣秀吉から与えられた地。
そして関ヶ原合戦後改易されながらも、20年後に再び戻ってきた地。

 

・豊後高田市長賞:豊後高田の特産品 1名

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宗茂が生まれたのは、現在の豊後高田市にある筧。
史料館スタッフは先日、研修旅行で訪れました。

 

・「大関ヶ原展」賞:展覧会オリジナルトートバッグ入り展覧会図録+クリアファイル 3名
立花宗茂所用の武具類も多数展示されている
「大関ヶ原展」福岡会場(福岡市博物館)からの賞。
図録は厚さ約2.8cm、ハードカバー。解説も充実。

 

◆小中学生絵画部門    ※応募者全員に参加賞贈呈

・柳川市長賞:1名

・大木町長賞:1名
柳川市の北にある大木町は、関ヶ原合戦の局地戦である
江上・八院の戦い(佐賀では柳川合戦という)の舞台となった地。

・豊後高田市長賞:1名

・柳川市観光協会会長賞:1名
柳川の観光を牽引する柳川市観光協会からの賞。

・「大関ヶ原展」賞:1名

 

◆こどもぬりえ部門
・三柱神社賞:20名

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戸次道雪・立花宗茂・誾千代を祭神とする三柱神社
立花宗茂のように「復活」することを望む人が、日々訪れているようです。

・「大関ヶ原展」賞:10名

 

小中学生絵画部門・こどもぬりえ部門の副賞は
もらってからのお楽しみ。

 

さて今回のイラストコンテストでは、3組の特別審査員をお願いしました。

●葉室麟氏

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映画化もされた『蜩ノ記』で第146回直木賞を受賞。
受賞第一作として、立花宗茂の後半生を描いた『無双の花』が刊行されました。
現在『無双の花』は文庫化され、解説は当館館長が書いています。

 

大久保ヤマト

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漫画家、イラストレーターの大久保ヤマトさんは
戦国武将を主人公にした漫画を発表されています。
主な作品は『猛将妄想録』(現在は電子書籍版が発売中です)。

大久保さんには、ぬりえ台紙のかっこいい宗茂を描いていただきました。

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ぬりえ台紙はこちらからダウンロードできます。
周囲も自由に描いて、宗茂を様々な地に立たせてください。

 

熊本城おもてなし武将隊

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熊本城を拠点に、日ノ本一のおもてなしをめざし、日々活躍中の武将隊。
昨年10月に加わった立花宗茂さんも、大人気のご様子。

審査はみなさんでしていただくのですが
宗茂さんはイラスト部門にご応募くださるとのことです。
どんなイラストが送られてくるか楽しみですね。ふふふ。
途中経過は宗茂さんの武録(ブログ)でときどき報告されます。

 

さて
「いざイラストを描こうと思ったけど、宗茂について詳しくは知らない」
もしくは
「どこに立たせようか迷ってしまう」
というあなた。

立花家史料館公式サイトの「あなたが描きたいのはどんな宗茂?」をご覧ください。
おすすめの書籍や展覧会を紹介しています。

 

テーマである「立花宗茂、〇〇の地に立つ」。
〇〇に入るのは、歴史上有名な地でも、みなさんのお住まいの地でも
観光地でも、地球外や架空の地でもかまいません。

自由な発想で、自由に宗茂を立たせてください。
立っていなくても、座っていても逆立ちでもOKですが。

自由なことも多いですが、「既存のキャラクターを想起させないもの」など注意事項もあります。
あのゲームや、あのアニメや、あの漫画などのキャラクターを想起させるものは
審査対象外となりますのでご注意を。
詳しくは応募規定をよくお読みください。

 

締切は9月5日(土)。
たくさんのご応募をお待ちしております。

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殿の帰還、そして旅立ち

2015/3/13

おなじみ「今日の宗茂くん」 の元絵でもある
立花家史料館所蔵の立花宗茂像は
立花家とも縁の深い大徳寺の152世蘭渓宗瑛が着賛し
宗茂の十三回忌のために制作されたと考えられます。

 

このたび公益財団法人立花財団では、この立花宗茂像の修復を行いました。
修理を手がけてくださったのは、熊本の冨永米山堂さん。

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修理の内容が報告書に詳しく記されています。

 

経年劣化していたところは、補絹や剥落止めされ
表具はふさわしいものに改装されました。

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きれいになって、おかえりなさい。

 

さて帰ってきたばかりの殿ですが、その2日後には、また旅立っていきました。
3月28日から開催される「大 関ヶ原展」に展示されるためです。

おそらく三代藩主・立花鑑虎の時代に大徳寺から立花家に戻され
その後の長い間を、柳川で過ごした立花宗茂像。
初めてのお江戸です。

修復後初のお披露目となる今回の展示。
近郊の方は、ぜひお出かけください。

 

なお当館所蔵の立花宗茂像が展示されるのは
東京会場(江戸東京博物館)と福岡会場(福岡市博物館)の2会場です。
九州近郊の方は、8月7日の福岡会場の開会をお楽しみに。

 

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戦国武将ライダー

2013/11/29

この10月から始まった、新しい仮面ライダーシリーズ「仮面ライダー鎧武(ガイム)」。
ご覧になったでしょうか。

戦国武将とフルーツがモチーフとなった、斬新なデザインのライダーです。
主人公の兜は明らかに東北の独眼竜がモチーフと思われます。
そしてフルーツは、オレンジ、バナナ、メロン、ブドウ、そしてドリアンなどなど。
それらが頭上から降ってくる変身シーンは必見です。
特にバナナが。

お子様に大人気の仮面ライダーに、戦国武将の甲冑が採用されたことから
もしや子どもたちの間で甲冑人気が巻き起こるのでは(錠前の方が人気ありそうだけど)。
そんな淡い期待を胸に、天下の仮面ライダーに便乗するべく
立花家史料館でも新しい戦国武将ライダーを考案してみました。

 

   仮面ライダーソーモ

 

変身前の姿

 

[あらすじ]
高橋家の長男である主人公は、父の同僚である戸次家の養子となる。

立派な青年に成長し戦乱の世に身を投じた主人公は
ひょんなことから仮面ライダーソーモに変身してしまう。
二人の父を失いながらも、ソーモとして活躍を続ける主人公。
やがて権力者に認められ、大きな町を統治する立場となったが
天下分け目のライダー合戦に負け、町を追われてしまう。
流浪の日々を送る主人公に、果たして明るい未来はくるのか。

回を追うごとに主人公の名前が変わっていくところも、見どころのひとつ。

 

[名前の由来]
「ソーモ」の名は、主人公の最後の名前「立斎宗茂(りっさいそうも)」から付けられた。

 

立斎宗茂時代の花押

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[鎧と兜]

「ムーンリングアームズ」

 

鉄皺革包月輪文最上胴具足

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主人公が「統虎」「宗虎」「正成」と名乗っていた頃の装備。
月の輪を表した胸の赤いリングは、友達の加藤君のと似てる。

 

「ブッダボディアームズ」

 

伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主人公が「親成」「政高」「尚政」と名乗っていた頃の装備。
ソーモはブッダボディアームズに変身して、天下分け目のライダー合戦を戦ったが
味方側が負け、町を追い出されることになった。

 

[武器]

「ナガミツソード」

剣 銘 長光

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主人公が養子として戸次家に行くときに
お父さんのジョーウンからもらったもの。
いつも大切に持っている。

 

「雷切丸」

脇指 無名(雷切丸)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
もとは戸次のお父さん・ドーセツのものだった。
このソードで斬られた雷神が、ときどきリベンジしにやってきて
ちょっと面倒くさい。

 

「スミナワ砲」

火縄銃 銘 墨縄

 

 

 

ご近所の黒田君とちょっとした勝負をしたときの戦利品。
玉がとても真っ直ぐ飛ぶので、この名前がついた。

 

[脚力]

蹴鞠免許「紫組之冠懸」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主人公は脚力があり、キックの精度も高い。
爆弾マリを使って敵を倒すこともできる。

 

[乗り物]

「ギョーヨーサドル」

銀杏葉紋鞍

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これを馬に乗せると、馬の性能が格段にアップする。
友達の加藤君にもらった。

 

「ブラックロッド」

黒漆塗籐巻鞭

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ギョーヨーサドルによって格段に性能が上がった馬が
さらに早く走る。
これは加藤君からもらったものではない。

 

[指揮具]

「クロワッサン扇」

金地三日月図軍扇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

共に戦う仲間を鼓舞するのに使う、 おしゃれなデザインの扇。

 

「マンダラ扇」

日月梵字軍扇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

共に戦う仲間を鼓舞するのに使う、宗教的なデザインの扇。
秘密の書物に書かれている通りに作った自信作。

 

[憩いのひとときの道具]

「笛」

一節切(ひとよぎり)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ときには戦いに明け暮れる日々に疲れるときもある。
そんなときには笛を吹くと、心が穏やかになる。

 

[ガレージ]

柳河旧城図(中野春翠筆)

 

 

 

 

 

 

 

 

大きな町を統治していた頃、主人公が本拠地としていた「城」。
流浪の日々を送っていた主人公は、20年ぶりにこの「城」に戻ってくることとなる。

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三柱神社の流鏑馬における立花宗茂

2013/4/3

福岡では桜もそろそろおしまいかな、という3月31日、
柳川の三柱神社で流鏑馬が奉納されました。

 

今年で9回目となるこの流鏑馬奉納は、
毎年、小笠原総領家に伝わる流鏑馬を継承する「流鏑馬 武徳会」の皆さんによって行われています。

 

お昼過ぎ三柱神社へ行くと、お馬が腹ごしらえをしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日私たち史料室スタッフが流鏑馬に赴いたのには理由があります。
もちろん流鏑馬を見たいというのもありましたが、メインはこちら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

着ているのは弊社社長の立花寛茂です。

直木賞作家の葉室麟さん(『無双の花』発売中!)と
この日ちょうど柳川藩主立花邸 御花にいらっしゃっていたワカマツカオリさん(イラスト展開催中!)も
来賓席でご覧になりました。

 

直木賞作家と戦国武将がご対面

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

柳川市のマスコットキャラクター「こっぽりー」も来ていました。

柳川の2大スター(?)の競演。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみにこの「こっぽりー」ですが、去年のゆるキャラグランプリで61位だったそうです。

 

さて肝心の流鏑馬の方はといいますと、まずは神事が行われます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後馬場まで皆で行列して進みます。

満開の桜の中を歩く宗茂。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お馬も準備万端。
草を食べていたときとは違い、和鞍が装着されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

流鏑馬奉納の詳細については、小笠原流流鏑馬のサイトをご覧ください。
さすがに宗家の騎乗姿は美しかったということだけお伝えしておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは流鏑馬奉納中の宗茂さんの様子を見てみましょう。

 

・馬場での神事を見守る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・伝習館高校弓道部による、的の交換を見守る。
(兜を脱いで烏帽子姿になりました)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・的に矢が当たった瞬間を見守る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・無事に終わってほっとする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

座っていたとはいえ、総重量13キロ超を着ての3時間は、大変疲れたことと思います。

 

全てが終わり、宗茂から寛茂へと戻った社長に聞いてみました。

「社長、来年はどうされますか?」

「うん……戦は1回でよか。」

 

ですよね。

 

 

「一仕事終えた後の草はサイコーだぜ」(馬談)

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ひみつのお茶会

2012/9/25

9月23日(日)。
柳川藩主立花邸 御花 松濤館4階 鶴の間に
怪しげなボードが掲示されました。

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「立花宗茂とすごすディープな昼下がり ティーパーティー」

これはいったい何のパーティーなのか?

話はおよそ一ヶ月前に遡ります……

立花家史料館では、twitter公式アカウント開設以来
順調にフォロワー数が増えていきました。
そしてめでたく500を超えた際には、スタッフのみで宴を開催しました。
その後もさらにフォロワーは増え続け
9月6日、おかげさまで遂に1000を突破いたしました。

1000を超えたらお茶会をしよう!
そういう話は前々からあったので、そろそろ1000の大台が見えてきた8月13日、
室長のアカウントでこのような発表がありました。

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ちなみに「上谷あさ子」は、室長のtwitter名です。
そして1000を超えた時点で、具体的な日程・場所・応募方法が発表されました。

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この「立花宗茂とすごすディープな昼下がり ティーパーティー」(以下、お茶会と略す)は、
室長の個人的なご招待という形式をとりましたので
史料館公式アカウントでの告知はなし(リツイートもなし)。
申し込み受付はtwitter上でのみ。
ですので、会の開催自体をご存知なかった方も多いかもしれません。

スタッフも、どれくらいの参加者があるか、全く見当が付かず、
もし一人もいなかったらみんなでケーキやけ食いの会にしようね
などと言っていたのですが、
いざ蓋を開けてみたら、14名もの参加表明をいただきました。

そしてお茶会当日を迎えます。

お客様には、入口で「合言葉」を言っていただきます。
この合言葉は、お一人お一人違うものが告げられています
しかもそれは立花家家臣の名前。

それぞれご自分の合言葉の席にかけていただくことになっているので
会場は立花家家臣団の会合であるかのような、不思議な雰囲気に。

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会場内には、これまでにブログやtwitterで登場したあれこれをご覧いただけるスペースを設置。

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例えばこちらは、twitterでときどき触れる「境界線上のホライゾン」や「殿といっしょ」などの書籍。
宗茂や誾が出るところには付箋を貼ってあります。
一度ブログでご紹介したブルーレイディスクも。

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こちらもtwitterで紹介した、ポッカコーヒー戦国BASARA缶(全)
すでに中身はスタッフがおいしくいただきました。

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こちらは先ほども少し触れた、フォロワー数500突破記念「はなの舞」での宴で獲得した
無双シリーズカードの数々。

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ゴッドハンドで引き当てた雷切丸・島津義弘と、いただき物の長光。

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コンプリートしたスジャータ戦国武将シリーズ(蓋)と
大江戸鍋祭上映会に持参した「犬」うちわ

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展示期間が短く、あまりにも状態がよかったため
捨てるのがもったいなくなった特集展示バナー

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そして、出張「今日の宗茂くん」(お迎えバージョン)。

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みなさん一通りご覧になったところで、お茶会のはじまり。

これまで立花家史料館が、「宗茂」と名のつくあらゆるものを
網羅的に拾ってきた格闘の歴史や、
今日の宗茂くん、twitter、そして最近始まったfacebookページの話が、室長から語られました。

さらには、肖像画をCGでアンチエイジングした宗茂を紹介。

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左が肖像画。
右は皺とほうれい線を消して、たるんだ顔のラインをフェイスリフト、生え際をちょこっと前進させた
若き日の宗茂(想像)。

さらに、宗茂が着ていた頃の色合いを想像しながら、具足を修正。
そこに金甲を盛ってみました。

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公式行事ではないので、このようなお遊び画像をいろいろ出しちゃいました。

さてティーパーティーというからには、スウィーツが欠かせません。
今回、特別にご用意したケーキがこちら。

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宗茂の兜ケーキ!
柳川藩主立花邸 御花の目の前にある、黒田屋さんに特注しました。
左の画像は前から、右の画像は後ろから見た図です。
しころ部分も絞り出しで再現。
チョコレート層の内側は、紅茶のスポンジケーキに
宗茂ファンにはおなじみのエピソードにちなんで、栗が入っています。

サーブに慣れていない史料室スタッフには任せておけないと、
サーブの得意なNマネージャー(営業)が自ら進んで執事となり
みなさんにコーヒーと兜ケーキをサービス。

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↑出番を待つケーキたち。

ちなみに輪貫部分は、直前にパティシエ氏がとりつけました。

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予備の輪っかたち。
ここの部分だけでもおいしい。
いいチョコ使ってますね。

さてお遊び企画とはいえ、
何事にも全力投球がモットーの史料室では
お土産も全力でご用意。

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今日の宗茂くんが「粗品」とつぶやく封筒には
ちょっとした資料と、
「西国無双が乗ってます」マグネットステッカー(手作り)。
ステッカーは、出来たそばから手近な金属に貼り付けていたので
制作中は書棚がこのような状態。

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西国無双だらけ。

ところで今回のお茶会には、スペシャルゲストがお越しくださいました。
それがこの…

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ソーモくん!
……ではなくて
舞台「戦国BASARA3」瀬戸内響嵐で、立花宗茂を演じられる
加藤靖久さんです。

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弊社の立花専務と一緒にパチリ。

加藤さんがお茶会にご参加くださった経緯を説明いたしますと
舞台「戦国BASARA3」瀬戸内響嵐の情報を得て
史料館アカウントで次のようなツイートをしました。

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するとすぐに、加藤さんから返信があったのです。

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あとでご本人に伺ったところによると
名前を出してもらってすごく嬉しかったんです、とのことでした。
「!」の数に、加藤さんの熱い気持ちを感じます。

その後、室長と加藤さんとの間でしばらくやりとりがあり
いつかご来館されるだろうなと思っていたのですが
お茶会の詳細が発表されるやいなや

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参戦を表明されました。

お茶会参加者で舞台「戦国BASARA」ファンの方は
宗茂役の役者さんの登場が、とても嬉しかったそうです。
お越しいただいて、本当によかった。

加藤さんは、ツイートの「!」からもわかる通り、お芝居に熱い気持ちを持った方でした。
素晴らしい宗茂を演じられることと、確信しております。
今回の参戦が、役づくりに少しでもプラスになりますように。

さてお茶会の方はというと、2時間ほどでお開きとなり
最後に希望者のみ、室長が史料館の展示をご案内して、無事終わりました。

このたびのお茶会、参加者は女性13名・男性1名(加藤さん除く)と、圧倒的に女性率の高い会でした。
みなさん宗茂以外に本命(武将)がいる、という割には宗茂に関しても詳しい。
楽屋裏トークばかりで、新しい立花家情報などは特にないイベントでしたが
楽しんでいただけたようで、安心しました。
そして主催者側としても、いろいろ参考になるお茶会でした。
二回目以降があるかどうかは……今のところわかりません。

【その後の加藤さん】

地元新聞の取材を受け、
柳川藩主立花邸 御花を満喫

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夕暮れ時の川下りを満喫

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史料室スタッフと共にお肉を満喫した後は、
夜の中洲の街へと消えてゆきました。

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特集展示のみどころ紹介

2011/12/8

史料館は今日もまだまだ展示替え中。

ですが、一足お先に今回の特集展示のみどころをおしらせします。

その1.島村速雄から弟茂穂に宛てた手紙

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この手紙は、明治40年(1907)に開催された第2回万国平和会議に
海軍側専門委員として出席するため、オランダのハーグに滞在中、
弟の茂穂に宛てて出した手紙です。
(ちなみに、このときの陸軍側専門委員は秋山好古です)
ハーグ滞在中に、次男が生まれ、
平和の「和」と速雄の「雄」をとって「和雄」と名付けられました。
この和雄がのちに立花家へ養子に入り、16代当主となります。

和雄の名は、茂穂がつけたのですが
こちらの手紙には「和雄トハ好キ思附ノ名ナリ、満足ス」
と書かれています。

ところで、この手紙は
速雄がそのときに泊まっていたであろうホテル
「HOTEL DES INDES」の便箋が使われています。
このホテルが今もあるんです。

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左は便箋に描かれていた、当時の外観、
右はホテルの公式サイトより、現在の外観。
HOTEL DES INDESは、1881年に建てられた高級ホテルで、
これまでに王様や貴族などをもてなしてきたと、公式サイトに書いてありました。
これは是非行ってみなければ。
「島村速雄の足跡を訪ねて」という名目の出張希望。

その2.立花宗茂のお守り

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宗茂から2代藩主忠茂へ伝えられたとされる
全長20cm程の小さな掛軸です。
その大きさから、宗茂が陣中で身につけていた可能性も考えられます。

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描かれているのは剣を持った摩利支天。
摩利支天は、太陽や月の光を神格化したもので
自在の通力を持ちます。
実体が無い為に捉えられず、傷つかないことから
武士の崇敬を集めました。

この「摩利支天掛物」は、
特集展示その2のトップを飾っています。

他にもみどころいろいろの特集展示。
開催は12月10日(土)からです。
速雄さんと宗茂さんのお顔が
史料館入口付近でお待ち申し上げておりますので
そちらを目印にお越しください。

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戦国BASARAの宗茂

2011/11/21

戦国BASARAとは、CAPCOMから発売されている
「スタイリッシュ英雄(HERO)アクション」ゲームです。

「戦国BASARA」というからには、いろんな戦国武将が登場するのですが、
立花宗茂も戦国BASARA3から登場します。
そのときは敵武将だったのが、
今月10日発売の「戦国BASARA3宴」では、遂にプレイヤー武将として登場しました。

見た目はごっついのですが、なんかちょっと不器用で(強いけど)
愛すべきおじさんキャラです。

史実の宗茂は、関ヶ原の戦いで西軍についたために改易され、
上方や江戸で、数年間の浪牢生活を送りました。
ストーリー第1章の、宗茂が島流しになってしまうエピソードは、
なんとなくそのことを想起させます。
鍋を食べるとかお祭りとかは…特に思い至りません。
ちなみに史実の宗茂は、その後奥州棚倉に領地を与えられ、
さらに1620年には旧領柳川に帰ってきました。
関ヶ原の際に改易された武将が旧領に復帰したというのは、他に例がありません。
すごいぞ宗茂。

戦国無双(コーエーのゲーム)の立花宗茂は、
家紋を上手に利用した、かっこいい王子様にデザインされており
これはいいなと思っていました。
一方、戦国BASARAの宗茂は伝来している具足を元にしたと思われる
キャラクターデザインになっており、
これもまたいいなと思います。

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「鉄皺革包月輪文最上胴具足(てつしぼかわつつみがちりんもんもがみどうぐそく)」
おそらくデザインの元になったであろう、宗茂所用の具足です。
この具足は、朝鮮出陣の折に着用したと伝わっています。
これを見ると、チェーンソー雷切は別として、かなり忠実にデザインされているのがわかります。
こちらは現在、立花家史料館で展示中。

ちなみに、本物の雷切丸はこれです↓

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「脇指 無銘(雷切丸)」です。
こちらは、立花宗茂の養父である戸次道雪(誾千代の実父)所用で、
現在は都城島津伝承館で展示中(12月4日まで)
写真は表と裏です。2本あるわけではありませぬ。

さて先日、史料室長が東京へ出張した際に写してきた画像。

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山手線 新大久保駅にいたBASARA宗茂さん。
20日まで山手線の駅にBASARA武将のポスター広告が掲示されていました。
彼は若い女性に囲まれていたそうです。
中には宗茂についてお友達に熱心に語っている、
宗茂ファンと思われる方もいらっしゃったとか。
ありがたいことです。

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立花宗茂の生涯をスジャータでたどる

2011/8/11

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1567年 豊後国国東郡筧において誕生しました。幼名は千熊丸。
この年に生まれた武将は他に、伊達政宗・真田信繁(幸村)がいます。
ちなみにこの3人は、一部ファンの間で「67(ろくなな)トリオ」と呼ばれています。

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1569年 実父高橋紹運が高橋家を継ぎ、宗茂も筑前国御笠郡岩屋城に移ります。
高橋紹運は豊後大友氏の家臣です。
実家は吉弘家ですが、大友宗麟の命で高橋家を継いだのでした。

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1587年 豊臣秀吉から筑後三郡を与えられ、柳川を城地と定めます。
同じ大友配下である戸次道雪の養子となり、やがて立花家を継いだ宗茂は
島津攻めの働きにより、「九州の一物」と讃えられ
筑後国山門郡・三潴郡・下妻郡の領地を与えられます。

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1597年 慶長の役で島津義弘らと共に戦います。
宗茂は朝鮮に出兵し、他の諸将と共に戦いました。
やがて秀吉の死をきっかけに帰還命令が出ます。
このとき島津義弘・小西行長・宗義智ら諸将と会談し、撤退の段取りを決定しました。
撤退途中、小西行長が退路を断たれたときには、義弘らと共に救援に向かいました。

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1600年 関ヶ原の合戦で西軍に加担、大津城攻めで活躍。
秀吉への恩義から西軍についた宗茂は、京極高次の守る大津状を包囲しました。
9月15日に高次は降伏します。
しかし同日、主戦場である関ヶ原で西軍が敗れたため
宗茂は家来を従えて柳川へ帰ります。

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1600年 加藤清正に柳川城を明け渡す旨の使いを送ります。
柳川に戻った宗茂は、江上・八院で東軍勢と戦い多くの家来を失いました。
そうして柳川城を明け渡した宗茂は、大名としての地位を失い
清正の領内である肥後国高瀬に寓居します。

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1606年 徳川秀忠に大番頭役として召し出される。
1601年に高瀬を出た宗茂は京都で牢人生活を送っていました。
そしてやっと秀忠に会うことを許され、大番頭役として召し出されることとなったのです。
このときに奥州南郷に領地をもらっています。

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1620年 田中家の改易に伴い、柳川への再封が決定。
田中家は跡継ぎがなく断絶となってしまったため
宗茂に南筑後(10万9600石)が与えられました。
一度領地を失った大名が、再び元の領地の大名として復活するのは
非常に珍しいことです。

その後の宗茂は天草・島原の乱に参戦したり
将軍家光の側近くに仕えたりしていましたが
1642年、江戸で亡くなりました。76歳でした。

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