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立花伯爵邸「家政局」七変化

2023/9/24

立花伯爵邸の「大広間」「家政局」を100年前の姿に!を目的とした、平成28~31年(2016-2019)の大修復工事は、株式会社 河上建築事務所の設計・監理のもと、株式会社 田中建設により施工されました。

まずは前回の、「大広間」修復工事のビフォーアフターをご確認ください。





そして、「家政局」のビフォーアフターは、こうなりました。

どうして…どうして…




安心してください。

取り戻したかった、100年前の「家政局」の姿は、こちらなのです。

おそらく昭和40年代(1965~75)の「家政局」



ただし、この写真は昭和40年代(1965~75)に撮影されたと推測されるもので、厳密には100年前の姿とは言えません。
実は、「家政局」の昔の写真は、あまり残されていないのです。



明治43年(1910)に新築お披露目された立花伯爵邸は、西洋館・大広間・御居間・御子様御部屋・仏間・御宝蔵・女中部屋などの多くの棟が連なり、廊下で繋がれていました。

立花伯爵邸全域の航空写真 1930~1937年



「家政局」棟は、木造2階建。1階に家政局の事務所と職員の控室が、2階には会議室2部屋と客間1部屋が設けられていました。
もともと家政局とは、伯爵立花家の財産管理などを担う家政機関の名称です。
当時「御役所」と呼ばれていたオフィス棟を、今は「家政局」と呼んでいます。

現在、伯爵邸時代に撮影された「家政局」の外観写真は、撮影日が不明の、この2点しか確認できていません。伯爵立花家の家族が生活する場所ではなかったので、立花家のアルバムに写真が残されなかったのです。



立花家のアルバムに残る「家政局」っぽい室内写真は、今のところコレだけ。
上の2点の外観写真の、高欄の形などから推測しました。

伯爵邸時代の「家政局」?の室内写真
「家政局」は昭和62年(1987)頃にサッシ窓に替えられました。

かわいい。


ですが、伯爵邸時代の「家政局」については、また別のおはなしで。

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時代はとんで昭和20年(1925)、第二次世界大戦の終結後。
戦後改革により華族制度が廃止され、農地が開放され、財産税が課せられた上に相続税も重なったため、立花家は収入源を確保しようと、 料亭・旅館業をはじめます。

昭和25年(1950)5月、立花伯爵邸の一部は、立花家が経営する料亭旅館「御花」となりました。
立花家が伯爵ではなくなると、家政機関は不要となり、「家政局」は役割を失います。


立花家17代目の想い出話では、16代当主・和雄は、空きスペースとなった「家政局」を赤の他人に気前よく貸し出し、そのあげく「家政局」でダンスホールが営業されていた時もあったようです。 *これもまた別のおはなしで。



現時点で最も古い、撮影日が確かな「家政局」の写真は、昭和45年(1970)10月30日、「焼肉とイタリアンスナック 御花 一番館」オープン時のものです。

当時「家政局」は60歳、外観を一変して再出発がはかられました。
墨漆喰の黒壁を、なまこ壁風白壁に変えたところに、当時の流行を感じます。
ただし、骨組は変えていません。



昭和39年(1964)の東京オリンピックと昭和45年(1970)の大阪万博を画期として全国的に整備された交通網が牽引し、マイカーの大衆化や高速道路網の発展が推し進めた観光ブームは、柳川にも波及しました。

はじめは伯爵時代の建物・食器・布団などを贅沢に流用して料亭旅館を営んでいた立花家も、昭和46年(1966)に株式会社 御花となり、観光ブームに乗り遅れないよう設備の充実をはかるようになります。
「家政局」の改装も、その一環でした。



「御花」を訪れる観光客はドンドン増え続け、昭和49年(1974)には10万人、昭和56年(1981)は20万人を突破します。



観光地として大賑わいをみせる「御花」では、ホテル棟やレストラン棟が新築され、代わりに「焼肉とイタリアンスナック御花 一番館」は閉店します。

今度は「御花」の来園受付兼土産物店となった「家政局」。
当時は団体旅行で来園した大勢の旅行客がひっきりなしに出入りして、芋の子を洗うような混雑も見られたようです。

残念ながら、当時の写真はありませんが、修復工事の直前の「家政局」のそこここにも、往時の名残が感じられます。



平成6年(1994)に、ショップ「お花小路」を併設した史料館棟が新築、受付の機能が他に移されたため、再びお役御免に。その後は、株式会社御花の事務所として使われるようになりました。

しかし、現代オフィスには必須の、電気設備も空調設備もネット回線も想定されていない旧「家政局」は使い勝手が悪く、すきま風に煩わされない現代建築への大改装を望む声が日に日に大きくなっていきます。


ちなみに、家政局の別の一区画では、すでに昭和26年(1651)頃から柳川藩主立花家に伝来した美術工芸品が展示されていました。

「立花家史料室」 1970年代の「御花のしおり」掲載写真

史料館棟の新築後は、民具を展示していた時期もあります。



ところが、にわかに「家政局」は見直されます。

福岡県西方沖地震(2005.3.20発生)の災害復旧をめざした、立花伯爵邸「御居間」修復工事(2005-06)を機にご縁ができた、建築の専門家の方々が、「家政局」の歴史的価値を一目で見抜いたのです。
立花家をはじめとする関係者一同は思いもよらず、大改装も考えていた時でした。

奇跡的に生き残り、築100年にならんとする「家政局」。

全国的にみても、旧大名家の家政機関であった建物は残されておらず、いつの間にか希少な一例となっていました。よそのお宅の「家政局」は、役割を失った際にダンスホールにはならず、すぐに更地にされたのでしょう。



そして平成23年(2011)年、もともと旧立花伯爵邸の敷地【下図青色範囲】は、昭和53年(1978)に「松濤園」の名で国の名勝に指定されていましたが、指定範囲が追加され【下図赤色範囲】、名称も「立花氏庭園」と改められました。

ついに「家政局」も、名勝の重要な構成要素として、文化財に!

たちまち、河上建築事務所の綿密な調査により、「家政局」棟の骨組の大部分が建築当初のまま維持されていることが確認され、改造前の姿に戻す「復原」兼、修復工事が計画されました。


また、工事準備にあたり、昭和末期から「家政局」内で営まれていた社員食堂をふくむ、すべての事務所機能がホテル棟へ移されました。



伯爵邸時代から現在まで、一貫して人が集う場所でありつづけた「大広間」と、それとはまさに対照的に、めまぐるしく役割を変えてきた「家政局」。
それぞれ異なる問題を抱えていましたが、様々なハードルを乗り越え、平成の大修復工事が実施されたのです。



100年前の姿を取り戻した「家政局」。
白い「西洋館」との組合せが映える、クラシカルな美しさをご覧ください。

「家政局」修復および外観復元後 2019年4月

「家政局」の過去を知っていると、実際の3倍ほどステキに見えてきませんか?

わたしは、ここに書ききれなかった伯爵時代からの七変化の詳細を知っているので、実際の7倍ほどステキに見えています。


「家政局」を7倍ステキに見たい方は、是非ともオンラインツアーへ。



【立花伯爵邸たてもの内緒話】
明治43年(1910)に新築お披露目された立花伯爵邸の建物・庭園の、内緒にしている訳ではないのにどなたもご存知ない、本当は声を大にして宣伝したい見どころを紹介します。また、(株)御花 が取り組んでいる文化財活用の一環である、平成28~31年(2016-2019)の修復工事の記録や裏話もあわせてお伝えします。

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