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立花家のヨメが、徳川家康のヒマゴで、伊達政宗のマゴ!?

2024/4/28

柳川藩主立花家にお嫁入りした女性のなかに、今でも「仙台奥様」や「仙台奥さん」と、なぜか親しげに呼ばれる方がいます。



その方は、2代柳川藩主・立花忠茂(1612~75)の継室となった、鍋子(1623~80)さん。

正保元年(1644)の祝言までの経緯を、柳川古文書館学芸員の白石氏がわかりやすく解説されています。

白石さんによる詳しい経緯の解説はコチラ






忠茂 33歳と鍋姫 22歳の縁組は、いろいろと異例でした。


忠茂の先妻・長子〔玉樹院〕の場合、大御所秀忠に仕える西丸老中の父・永井尚政は、最終的には淀藩(京都府)10万石の藩主となりますが、結婚当時は古河藩(茨木県)8.9万石の藩主でした。
柳川藩(福岡県)11万石と、ほどよく釣り合った縁組だといえます。


しかし、鍋子さんは仙台藩(宮城県)62万石の2代藩主・伊達忠宗の一人娘。

しかも母親は、 姫路藩(兵庫県)52万石の初代藩主・池田輝政の娘、かつ初代将軍・徳川家康の孫であり、2代将軍・秀忠の養女となって嫁いだ正室・振姫です。


ちなみに、振姫の母親は、2023年NHK大河ドラマ『どうする家康』で印象深い役柄だった「お葉」〔西郡局〕であり、北条氏直との離縁後、再婚した池田輝政との間に振姫をもうけました。
「お葉」さんの娘!俄然親しみがわいてきます。
また、父・忠宗の両親、伊達政宗と正室・愛姫についても、1987年NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』のおかげで、よく知っている気がします。

わたしは日頃、血統ではなく「家」という枠で系図を見ていますが、今回はフカボリするほどに意外な血縁が判明して、ワクワクしました。


あいにく振姫の実子3人のうち男子2人は早世したため、側室から生まれた綱宗が3代仙台藩主となります。
つまり鍋ちゃんは、徳川家康と伊達政宗との血を受け継ぐ、一粒種となってしまったのです。

忠茂が 「つりあわぬ身躰」 と感じたのも、無理はありません。

まさに格差婚。
しかも老中が祝言を急かすので、予期せぬ大きな出費が嵩んでムリっぽい。

そこで老中は、本来ならば江戸上屋敷ですべき祝言を、下屋敷で行うよう助言してきました。柳川藩の苦しい財政事情を鑑みた、立花家の負担を減じる指示でしたが、鍋姫や伊達家にとっては不本意だったかもしれません。

いろいろと異例な縁組と祝言には、3代将軍・家光の意向「上意」が働いていたようですが、家光の目的は何だったのでしょうか。


大きな格差はありましたが、忠茂と鍋姫はいい夫婦となれたようです。

二人の間には、夭折した千熊丸、後の3代柳川藩主・鑑虎、先の永井家に嫁いだ、忠茂から「雷切丸」をもらった茂辰、早世した兄から「雷切丸」を引き継いだ茂堅、縁起を担いで養子に出された、旗本として分家を立てた貞晟、福岡藩主黒田家に嫁いだ呂久と、5男2女〔一説には6男2女〕が生まれました。

脇指「雷切丸」の話はコチラ



江戸時代、大名の正室には跡継ぎの確保が期待されました。

幸運にも鍋姫は、実子の鑑虎(1645-1702)が無事に成人して3代柳川藩主となりましたが、その鑑虎が、両親の供養のためにつくらせた位牌もまた異例でした。

忠茂と鍋姫それぞれの位牌が、一つの厨子の中におさめられています。
厨子には、立花家の家紋「祇園守紋」と、伊達家の家紋と思しき「竹に雀紋」があしらわれているのが、かろうじて見て取れます。
夫婦の位牌をまとめて厨子におさめた例は、意外にも少ないのです。


同じ永禄10年(1567)に生まれた立花宗茂と伊達政宗。
勇将として名高い二人の没後に奇しくも結ばれた、養嗣子と孫の縁組。
徳川家康・高橋紹運・池田輝政・伊達政宗の血を継ぐサラブレッド鑑虎の誕生。
今にいたるまで立花家の仏間で祀られてきた、両家の家紋があしらわれた厨子。

なんか、すごくエモくない?

現代から立花家の歴史をふりかえると、2代藩主・忠茂の最大の功績は鍋姫との逆玉婚と言いたくなります。

実際、鍋姫は自らの血縁を活かして、立花家と伊達家との仲介をつとめたり、江戸城大奥を通じた「奥向」の交渉ルートをつかったりと、誰にもできない役割を果たしました。
そして、その威光は実子たちにも及び、彼女の没後も輝き続けるのです。

近世大名家の女性達の名と活躍は、歴史の表舞台に出ることはあまりありませんでしたが、立花家の婚姻を紐解き、彼女たちの生涯を追ってゆくと、歴史の節目にいかに大きな役割を果たしたのかが見えてきます。




6月4日(火)開催のオンラインLIVEツアーでは、 江戸時代の大名家間で行われた婚姻について、遺された豊富な婚礼調度や文書資料を使って実像に迫ります。
立花家から黒田家・毛利家・蜂須賀家へ嫁いだ姫たちもまた、鍋姫にまさるとも劣らぬ物語を紡いでいるので、是非ご参加ください。【終了しました】

オンラインLIVEツアー「華麗なる縁-柳川藩主立花家の婚礼」 (2024.6.4 19時~開催) 立花家の婚姻物語や大名家の婚姻の儀式を紹介、生配信カメラで伝来の婚礼調度に肉迫して解説します。 ◆解説ブックレットA5版カラー・オリジナル紅茶と焼き菓子のセット 付



立花家の歴史に多大な影響を与えた鍋姫の法名は、「法雲院殿龍珠貞照大夫人」。
本来ならば「法雲院さま」と敬称すべきで、「仙台奥様」「仙台奥さん」と気安く呼ぶような感じではないのですが……






参考文献
『寛政重脩諸家譜』1917 榮進舍出版部、作並清亮『伊達略系』(仙台文庫叢書第1集)1905、柳川市史編集委員会 編 『図説立花家記』2010.3.31 柳川市 【正室鍋姫 50~53頁】、中野等・穴井綾香『柳川の歴史4近世大名立花家』2012.3.31 柳川市 【伊達家との婚姻 330~332頁】、柳川市史編集委員会 編 『柳川文化資料集成第3集-3 柳川の美術Ⅲ』2013.5.24 柳川市 【立花家仏間の位牌 218~233頁】、角田市文化財調査報告書第55集『牟宇姫への手紙3 後水尾天皇女房帥局ほか女性編』2022.3.28 角田市郷土資料館

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学芸員として人前で作品解説をする際、ココまで知ればサラに面白くなるけれどと思いながらも、時間等の都合でフカボリせずに終わらせることは少なくありません。そんな、なかなかお伝えする機会のないココサラ話をお届けします。

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