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大広間修復完成記念「武士の姿」に向けて

2017/7/16

館長の植野です。

柳川藩主立花邸御花の大広間(旧立花伯爵邸)は、修復完成まであと一息です。

明治時代に立てられた和館は、天井が高く、開放的で清々しい空気に満ちています。

8月19日のイベント「武士の姿」は、立花邸御花の主催、当館監修でお送りいたします。

まず、対月館2階Over The Moon にて、皆さまには、九州戦国御膳特別版をお楽しみいただきつつ、植野から簡単な武家装束のお話しをさせていただきます。お腹空かせて来て下さい。

修復に関係する材料等、触っていただけるものもここに並べております。文化財は直接触れないものばかりですので、ここで思いっきり触っておいて下さい。

夕暮れの時間帯に大広間へ移動いただきます。この場はお客様をお迎えする畏まった空間ですので、甲冑姿は相応しくないということで、公式サポーターの立花宗茂さんをはじめ、熊本城おもてなし武将隊の方々にはこのテーマと場に相応しい姿でご登場いただき、パフォーマンスを披露いただきます。

大広間でのイベントの最中は照明を落としております。この間、皆さまに十分に鑑賞を楽しんでいただくため、撮影はご遠慮いただきたくご協力お願いいたします。ここで重要な見どころのひとつに、壁紙の金銀や金屏風がどのように見えるかということもお忘れなく。

イベントの最後に、照明を明るくしてから少し撮影のお時間を用意いたします。ただし、和室に座っての鑑賞ですので、三脚の利用はご遠慮下さい。立ち上がっての撮影も周囲の皆さまにはつらい状態になってしまいますので、座ったまま撮影をお願いいたします。公式には撮影をして公開をいたします。また取材関係者も撮影をされますのでご了解下さい。

沢山のコンテンツを短い時間にギュギュっと詰め込んだ記念のイベントです。裏方では準備が山ほどあって御花さんも当館スタッフも忙しく働いております。

おかげ様で、チケットはプラチナ並み(笑)の状況でした。涙をのんだ方もいらっしゃいます。ごめんなさい。もし、会員先行予約でまだ会員の更新がお済みでないままの方がいらっしゃったら忘れずによろしくお願いいたします。それでキャンセルになっちゃうと悲しいので。

 

どうぞ、夏バテにならないよう健康万全体制でお越し下さい、お待ちしています!

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壁際の立花宗茂くん 平成二十九年七月七日条

2017/7/7

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公式サポーター宗茂より-無双の花朗読舞台-

2017/7/1

熊本城おもてなし武将隊が一人、筑後国柳川城城主、立花宗茂である。

「立花宗茂生誕450年記念特別展 公式サポーター」として初の催し『葉室麟「無双の花」朗読イベント 戦国最強の夫婦 立花宗茂と誾千代』に続き、先月皐月十四日に再び朗読の催しが行われた。

前回は清正殿、官兵衛殿、そして語りとして島津殿が参戦して下さり申したが、此度は我が家臣役として、小倉城城主細川忠興殿と清正殿の家臣である森本儀太夫殿に加え、前回同様島津義弘殿が語りとして参戦致した。
家臣役である忠興殿と儀太夫殿は、己を出さず、あくまでも我が家臣として舞台に立ち、葉室麟殿の描く美しき世界を壊さぬ様徹して下さった。
更に、前回同様我が妻誾千代役は「橋本あかね」姫が、そして侍女かのと三人目の妻となる菊子を柳川市内の学徒「吉富千紘」姫が演じてくれた。

橋本あかね姫も、吉富千紘姫も、当世の柳川の民と共に、四百年前の我等時代を見せる事が出来るというのは、誠に不思議であり嬉しき事で御座るな。

話は前回の続き。
誾千代の元を離れ、京に上って暫、誾千代の訃報を受け取る所から始まる。
そして其の後、陸奥国棚倉藩を治める事となったのだが、その際に我が養父戸次道雪様の時代より立花家に支え続けた忠臣、雪下を看取る事となる。

背後には棚倉の風景が映し出され、美しき情景の中、忠興殿は我が家臣雪下として迫真の芝居を魅せてくれた。

 

其の後二十年の時を経て再び柳川へ戻る事となる。
その際、柳川城にて永き眠りについた我が妻と言葉を交わし、己の想いをようやく妻に伝える事が出来る……。

四百年前、儂が柳川城に戻った際の事は今でも鮮明に思い出せる。あの時誾千代が傍に居れば、なんと言葉を交わし、どんな表情を見せてくれたのであろうか。あの時誾千代の本心はどうであったのか……四百年の時が経った今、それを知る術はない。
然し、葉室麟殿の描く世界の中で、誾千代の言葉を聴けたことは何にも代え難き幸せであった。

現在、ゆーのちゅーぶ(youtube)なる処にて、朗読の様子を公開中※である。

※8月31日までの限定公開

其れも此度のだけでなく、前回のものも公開しておるとの事。
見に来てくれた者もそうでないものも、四百年前の我等の葛藤と苦悩、そして決して曲げぬ信念と、葉室麟殿の美しき言葉の世界を堪能して貰えればと思う。

当世に於いて、儂と妻誾千代を題材とした大河ドラマなるものの誘致の動きがあると聞く。
四百年前の過去の人間がこうして当世の人々に知られる事も、そして我等の存在が当世にて役に立つ事も、誠に嬉しい限りだ。
然しその大願を成就させるには、多くの者達の働きが必要であるのは想像に難くない。

大願成就を儂も祈っておるぞ。

その大きな志と、夢の成就に向けて、共に胸を張って歩んで参ろう。

筑後国柳川城城主 立花宗茂

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生誕450年に大河ドラマ招致へスタート 

2017/6/12

館長の植野です。
今年が立花宗茂生誕450年なのは、こちらのブログでは言うまでもありませんが、その年に降ってわいたような…「立花宗茂と誾千代を大河ドラマへ」招致運動へ柳川市が手を上げました、という話題。
もちろん、柳川市も突然思い付いてのことではなく、以前より少しづつ少しづつそういった気運はありました。が、満を持して今年からの急展開ではあります。

私共の財団の重要なミッションのひとつは、武家文化の発信ですし、史料館の取り組みのひとつに立花宗茂とそれに関わる歴史を広く知って親しんでいただく、ということがありますので、

招致に向けて行政と民間がひとつになって教育普及を核としたキャンペーンを展開して取り組むことそのものに大きな意義があると思っています。大河ドラマになるかどうかは、その後からついてくることですね。

結果よりも過程が重要ということで、皆が楽しい!ワクワクする! というようなことをやりたい!と思っています。

まず、5月8日の県庁訪問のすべりだしから金子市長の意気込みが熱い、そしてチャーミングです。

実はこれにはこんな裏話が、

もともとはイメージキャラクター的な方々に宗茂と誾千代に扮していただいて、一緒に県知事訪問をしてもらっては、という希望があったのですが、諸事情によりそれが出来ないことになり…

GW直前のある日、柳川市の某氏より連絡がありました。しかも極秘の、とのこと。

一体何が…とおそるおそる聞くと

某氏「金子市長自ら宗茂に扮することになりました」

植野「エッ!? Σ(゚Д゚)」(そしてなぜ極秘事項…)

某氏「このことは、同行のメンバーにも秘密にして当日サプライズでびっくりさせたいので」

そして、この秘密のプロジェクトの全面支援をすることになりました。

市長はGWの間、口上の練習をして、さらにダイエットまでされたとか。

この様子はこちらでご覧下さい。とても上手だったのにも驚きましたが、何よりやや緊迫した場の空気が一気に和んだのは良かったです。皆さん笑顔に。

こうやって、柳川らしい明るい招致キャンペーンがスタートしたわけです。

私たちは、常に正門を叩いて行こう!と思っています。

その後も様々に計画が進行中。それはまたこちらのブログで最新情報を発信してゆきますので、お楽しみに。

 

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財団からお知らせ 公式サポーター出演イベント

2017/3/9

館長の植野です。

先月から大変慌ただしい毎日であっと言う間に3月。立花宗茂生誕450年が、まだ何もしていないのに、もう三ヶ月も過ぎてしまった…。焦ります。

(実際は舞台裏では様々な事が進行中で大騒ぎになっているのですが)

特別展や、関連イベントの準備もありますが、第一弾は5月14日(日)に柳川水の郷ホールで開催される「小説無双の花 朗読舞台」

上映会だけでなく、小説のその後を朗読する舞台も(柳川市の皆さまの大きなリクエストにより)用意いたしました。

今回はネット予約はいたしませんが、整理券は史料館受付で4月1日より事前配布の予定です。お一人につき5枚まで配布出来ますので、ご家族やお友達の分もいかがでしょう。

 

ここでも活躍中の公式サポーターの立花宗茂さんですが、

実はこのサポーター活動は昨年9月に一年間ということでスタートしましたので、8月末までとなっています。

まだあと半年近く先のお話しですが、そういう訳ですので、ひとつひとつのイベントはどうぞお見逃しなく、お越し下さい。

その次の450年記念イベント8月26日(土)開催予定「武士のすがたをみよう」は、公式サポーターとして最後の登場、見逃せない舞台を用意しています。

こちらは、国指定文化財でもある立花邸大広間の百年に一度の大修理完成記念として、大広間の中で夕暮れから夜にかけて、昔の灯りの中、中世武士の姿を感じていただきたいと思っています。格式のある室内ですので、それに相応しい常とは違う装束にもご期待下さい。初代公式サポーターさんへ感謝の思いを込めて、様々な特別を準備しています。

邸宅内ですので、入室人数には制限があり、別室での夕食には料金がかかることになるだろうと思います。詳細は計画中。

お申し込み方法については、近日中にまたお知らせしますので日程を確保の上お待ち下さいね。

熊本城おもてなし武将隊の立花宗茂さんは、もちろん9月からも熊本で活躍されることと思いますので、柳川からエールを送ります!

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雷切丸あれこれ

2017/1/18

立花家史料館館長の植野です。
いよいよ立花宗茂生誕450年の年が始まりました。
今年は、城下町柳川と武家文化の発見体験プログラムをもっと楽しんでいただく企画をご提供したいと頑張っております。

さて、今日から立花家史料館では雷切丸の特別公開が始まりました。一週間だけですが。
そこで、一年前のあれこれがなつかしく思い出されたましたので、少しそんなお話を。

そもそも、


当財団から、スペシャルサポーターの立花宗茂さんへ新雷切丸拵えを進呈することが決まった時、
私のツイッターアカウントを雷切丸くん(いつのまにか登場してました)が乗っ取って、殿とお話を始めたら楽しい…というアイデアが出できました。
そうなると、雷切丸くんのイメージが必要だと思い、
以前からイラストでお世話になっている大久保ヤマトさんに相談することにしました。

「雷切丸くんってどんな子ですか?」
と、大久保さんからたずねられました。
その後、あらためてまとめたものが、以下のペルソナデータです。

  男子、年齢は、15、6歳くらい。

性格
雷神にきりかかるというやんちゃで無鉄砲なところがある男の子ですが、雷にうたれてもなお、主人道雪に最後まで忠実に付き従う健気さと戦を必ず勝利へと導く頭の良さもある。
中世武士の心を持ちながら、好奇心の強さから柔軟な適応性ももつ。
大きく摺り上げられたため、太刀であった頃の記憶はなくなっている。
二重人格、時おり太刀であったころの荒ぶる雷神の化身が顏を出すことがある。

 素襖姿に描いて下さいとリクエスト。

好きなもの
チョコレート

弱点
誾千代姫

容貌
殿に少し似ている。

 

今までいろんな事を試みてきましたが、こんな取り組みは初めてのことでした。

そして、

雷切丸くん今はお休み中ですが、

「九州戦国御膳プラン」の目覚まし時計特別バージョンでまた出会えます。1/24まで。

 

 

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研究者~宗茂生誕450年はホントか?

2016/11/22

柳川古文書館の白石です。

宗茂の生年

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来年2017年が立花宗茂生誕450周年ということですが、これは宗茂が永禄10年(1567)生まれであることによります。

しかし、戦国武将によくあることなのですが、宗茂の生年には永禄10年説以外にも永禄12年説があります(実は宗茂と同年生まれとされる真田信繁(幸村)の生年にも永禄10年説と元亀元年(1570)説があるようです)。

永禄10年説を採るのは「立花事実記」「立斎公御年譜」などで、永禄12年説には『寛政重修諸家譜』や「立斎公旧聞記」などがあります。

 

 では、なぜ今回永禄10年説が採用されているのでしょうか?

 

 実は、宗茂の跡を継いだ忠茂が「亡父七十六才にて死去に候」(「富士谷文書」)と書いた書状が残っていて、宗茂の没年である寛永19年(1642)から逆算すると永禄10年生まれとなるのです。

さらに、写しではありますが、寛永15年(1638)に宗茂が雪斎(十時連貞)に宛てた書状に当時72才である旨が記されていて、この史料からもやはり永禄10年生まれとなります。このように複数の状況証拠から、宗茂の生年は永禄10年としてよいと思われます。

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館長~「いい夫婦の日」に戦国最強の夫婦

2016/11/22

館長の植野です。

今日1122日はいい夫婦の日。

 

そして、昨年は某アンケートで忠興・ガラシャ夫婦に完敗をしたことを結構根に持つ私は、宗茂・誾千代についてちょっと振り返ってみることにしました。

やっぱり知名度ですよね。いまだに「誰?」って言われること甚だ多いのが心外ですが、こちらの努力がまだまだ足りないのだと思い返し、今期はペア押し、大プッシュで行きたい!と決意を新たにしました。

 

立花宗茂と誾千代、この二人の生い立ちをここで詳しく説明はいたしませんが、

ネット上でも、いろんな雑誌でも「二人は不仲」説が大変に多いのです。

なわけで、誾千代は柳川城ではなくて宮永村に屋敷を建ててずーーと離れたところで別居していた、という話になっております。(実際は宮永の館は柳川城のすぐ近くだし、水路で繋がっていたと思えるし、海のそばだった)

こともあろうに、不仲だから子供がいなかったとか言われる始末。今時こんな危険な意見はあっちへ置いといて、この不仲説は真実か?

平成2522()414()特別展「誾千代姫伝説と立花家記」でご紹介しましたが、

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宗茂の正室誾千代は、確実な史実を伝える資料に乏しく、謎の多い生涯と言わざるをえません。この展覧会は、誾千代姫伝説の謎を、誾千代が生きた時代と取り巻く人々のわずかな手掛かりを通して考え、1次資料からどこまでが確実に言えるのかを検証してみました。

 

結論から言うと、夫婦仲のことなどわからないのです。

不仲を示すような確実な史料などどこにもありませんでした。だからと言ってラブラブという史料もないわけですが。

二人が不仲という文言が出てくる後世の聞書き等の文書はいくつかあります。何がその典拠なのか、曖昧ではありますが、『浅川聞書』(宗茂家臣、浅川安和が自らの見聞をまとめたもの)がその出現の最初の頃ではないかと思われます。後の史料はそれをもとにして作っていると考えられます。(長くなるので『浅川聞書』についての話は別の機会にやらせていただきますね)

研究者から一定の評価をもって引用されている『豊前覚書』(宗茂家臣、城戸清種が、誾千代の守役を務めた父、城戸知正の武勇談や自らの見聞等を記したもの)には、そのような記述は全くありません。

なぜ、別居とか不仲とか言われるようになっていったのか、

中野等氏は、宗茂と誾千代との「別居」は単に個人間の問題ではなく、背景に誾千代をいただく勢力と宗茂を中心とした勢力との隠然たる対立を想定することも可能かもしれません。(『新柳川明証図会』より)と述べています。

 

そうだとすると、少々泣けますね。

 

共にあの厳しい時代を必死に生き抜いて立花家を守ってきた二人。

生きて柳川に帰る事叶わなかった誾千代のために良清寺を建立し、「茶湯等の儀、懈怠あるべからざる者也」と寄進状にしたためた。

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やはりいい夫婦の日にもう一度紹介したいと思いました。

 

葉室麟 小説『無双の花』朗読イベントでは、沢山の観客が二人の別れのシーンに涙してくれました。

2部の葉室さんのトークショーでは、「宗茂の小説を書いているうちに誾千代さんが好きになってきて、誾千代へのラブレターのつもりで書いていました。」というコメントがあり、だからこその説得力なのですね。

 

研究者や学芸員では埋められない史実の空白部分を小説家は一枚の美しい布に織り上げてくれました。そこに立ち現れた宗茂と誾千代は、こうありたいという夫婦の結晶のような二人でした。

小説と史実、その絡み合いの中に新たな戦国最強の夫婦のイメージを膨らませていただければとの思いで取り組んだ朗読の舞台でしたが、舞台の上の宗茂さんと誾千代さんは、まさに416年前に別れた頃の二人を彷彿とさせてくれたと思います。

 

 

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『無双の花』朗読イベントの一日は

2016/11/15

1113日 葉室麟 小説『無双の花』朗読イベント当日のお話をしたいと思います。

8月から続いた読み合わせの稽古、裏方はその間着々と準備を進め、前日の夜遅くまで作業をし、当日は朝9時から会場入です。

通しのリハが始まりました。

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実はその時まで、ミスがあったりしたのですが、

流石に本番では皆さんノーミスで仕上げてこられました。

 

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ロビーで『無双の花』販売の準備中の御花売店の平川くん。

本当に沢山お買い上げいただいたと報告がありました。良かった。

 

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大型バナーも設置完了。これは、当日会場での撮影等が禁止のため、記念撮影用にと作ってみました。またどこかでお目にかけることになるかもしれません。

 

次第にお客さんの列が出来、駐車場もすごいことになり、会場は満杯になってゆきます。

 dsc04530

開演前に流す告知画像を作ったのですが、

そこで、注意事項もと考えて…そうだ、ツイッターでのリレー告知の時に、果敢に参加してきた庄林隼人さんに(もしかしたら出るかもしれない…などと言ってたことだし)映画泥棒やっていただこう!となりましての登場でした。

どうもありがとうございました。

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そして、開演です。

 

私は、裏方でしたのでほとんど会場の様子がわからなかったのですが、涙する方も多かったと聞きました。

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著作権の関係上、フリーでの撮影録音は禁止でしたが、主催者での記録は万全の体制で行っております。動画撮影は、柳川フィルムコミッションの風間さんが大活躍でした。ありがとうございました。

 

特別に、事務局撮影の画像を少しご覧いただきます。

 

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舞台袖での朗読出演者の皆さまは気合と同時に大変な緊張状態で、声をかけることもためらわれるくらいでした。

今までで最高の出来!

(私は声しか聴けませんでしたが)

 

後で後援者の皆さまにおうかがいしたところ、正直言ってこれほどのクオリティーとは思っていなかったと驚かれている方が多かったです。

 

私が一番気になっていた、葉室さんの感想は…

朗読終了後、舞台裏での第一声が「よかったよ!」

きっと優しい気遣いも含んでおられるのだと思いますが、うそではないと感じられる言葉に心底ほっとしました。

心から感謝いたします。

 

文藝春秋の池田さんからも、この朗読スタイルは今まで見たことがなく新鮮だったと評価をいただき、「いい若者たちでした」という言葉もありました。

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2部のトークショーでは、とても素敵な3人のおじさま方にによる軽妙で面白い、そして深いお話をいただきました。

個人的に一番印象に残ったのは、葉室さんの「…あと、一歩」でした(笑)

これが何も意味しているのか、は、来年514日の上映会をお楽しみに。

 

その、あと一歩が、すごく大股の一歩かもしれません。

 

最後の武将隊演舞は、会場の手拍子に驚いた、という地元のおじ様方の言葉がありました。一階モニタールームの方々には大変見づらくて申し訳なかったのですが、それでも楽しそうに手拍子をされるご年配のお客さまが多かったと聞いてうれしかったです。

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これに懲りずに上映会に来て欲しいです。

今度は大画面ですごく綺麗に編集された特別版をご覧いただけますよ。

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勝鬨での会場の様子は、この写真で私は初めて見たのですが、

いかに皆さん気分が上がって楽しんでいるのかがわかりました。よかった。

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お見送りでは、安堵の表情も見えます。お疲れ様でした。

来ること叶わなかった方も、ぜひ上映会にチャレンジしてみて下さい。

期待以上のものをご提供できるよう準備を進めております。

来年、平成29514日は、柳川へ。

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葉室麟「無双の花」朗読イベント 戦国最強の夫婦 立花宗茂と誾千代 

2016/11/14
熊本城おもてなし武将隊が一人、筑後国柳川城城主、立花宗茂である。
「立花宗茂生誕450年記念特別展 公式サポーター」に就任してから初の大きな催しが行われた。
葉室麟「無双の花」朗読イベント  戦国最強の夫婦 立花宗茂と誾千代
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此度の戦、見事勝戦となり申したが、まだまだ此れだけでは終わらぬ。
何故なら本番は来年。来年こそ儂が生を受けて四百五十年目なのである。
今後も来年が更に盛り上がるよう、立花家史料館を始め、柳川の多くの者達と協力し、尽力致す所存。
春夏秋冬、どの季節に来ても不思議な心地良さと美味なる食。
柳川には一言で語れぬ魅力が山ほどある。
其れは城主たる儂の力ではなく、四百年以上受け継いで来た柳川に住まう民達の尽力の成果であると儂は思う。
少しでも多くの方に柳川の魅力を知ってもらい、感じて頂く。
その為にやれる事は全てやる所存。
今後此の武録(ぶろぐ)には様々な情報が掲載されていく事であろう故、是非こまめに確認して下され。
此れを見ておる柳川の民よ。
四百年前と同じく、儂一人の力などたかが知れておる。
皆々の力が必要である。
儂と共に、更に柳川という土地を全国に知らしめて参ろうぞ。
皆々、宜しゅうお願い致す。
筑後國柳川城城主 立花宗茂

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