Twitter
Instagram
facebook
Twitter
Search:

研究者~宗茂生誕450年はホントか?

2016/11/22

柳川古文書館の白石です。

宗茂の生年

1-%e7%ab%8b%e8%8a%b1%e5%ae%97%e8%8c%82%e7%94%9f%e8%aa%95450%e5%b9%b4%e3%83%ad%e3%82%b42016-09-03

来年2017年が立花宗茂生誕450周年ということですが、これは宗茂が永禄10年(1567)生まれであることによります。

しかし、戦国武将によくあることなのですが、宗茂の生年には永禄10年説以外にも永禄12年説があります(実は宗茂と同年生まれとされる真田信繁(幸村)の生年にも永禄10年説と元亀元年(1570)説があるようです)。

永禄10年説を採るのは「立花事実記」「立斎公御年譜」などで、永禄12年説には『寛政重修諸家譜』や「立斎公旧聞記」などがあります。

 

 では、なぜ今回永禄10年説が採用されているのでしょうか?

 

 実は、宗茂の跡を継いだ忠茂が「亡父七十六才にて死去に候」(「富士谷文書」)と書いた書状が残っていて、宗茂の没年である寛永19年(1642)から逆算すると永禄10年生まれとなるのです。

さらに、写しではありますが、寛永15年(1638)に宗茂が雪斎(十時連貞)に宛てた書状に当時72才である旨が記されていて、この史料からもやはり永禄10年生まれとなります。このように複数の状況証拠から、宗茂の生年は永禄10年としてよいと思われます。

▲ページの先頭へ

館長~「いい夫婦の日」に戦国最強の夫婦

2016/11/22

館長の植野です。

今日1122日はいい夫婦の日。

 

そして、昨年は某アンケートで忠興・ガラシャ夫婦に完敗をしたことを結構根に持つ私は、宗茂・誾千代についてちょっと振り返ってみることにしました。

やっぱり知名度ですよね。いまだに「誰?」って言われること甚だ多いのが心外ですが、こちらの努力がまだまだ足りないのだと思い返し、今期はペア押し、大プッシュで行きたい!と決意を新たにしました。

 

立花宗茂と誾千代、この二人の生い立ちをここで詳しく説明はいたしませんが、

ネット上でも、いろんな雑誌でも「二人は不仲」説が大変に多いのです。

なわけで、誾千代は柳川城ではなくて宮永村に屋敷を建ててずーーと離れたところで別居していた、という話になっております。(実際は宮永の館は柳川城のすぐ近くだし、水路で繋がっていたと思えるし、海のそばだった)

こともあろうに、不仲だから子供がいなかったとか言われる始末。今時こんな危険な意見はあっちへ置いといて、この不仲説は真実か?

平成2522()414()特別展「誾千代姫伝説と立花家記」でご紹介しましたが、

p_ginchiyo

宗茂の正室誾千代は、確実な史実を伝える資料に乏しく、謎の多い生涯と言わざるをえません。この展覧会は、誾千代姫伝説の謎を、誾千代が生きた時代と取り巻く人々のわずかな手掛かりを通して考え、1次資料からどこまでが確実に言えるのかを検証してみました。

 

結論から言うと、夫婦仲のことなどわからないのです。

不仲を示すような確実な史料などどこにもありませんでした。だからと言ってラブラブという史料もないわけですが。

二人が不仲という文言が出てくる後世の聞書き等の文書はいくつかあります。何がその典拠なのか、曖昧ではありますが、『浅川聞書』(宗茂家臣、浅川安和が自らの見聞をまとめたもの)がその出現の最初の頃ではないかと思われます。後の史料はそれをもとにして作っていると考えられます。(長くなるので『浅川聞書』についての話は別の機会にやらせていただきますね)

研究者から一定の評価をもって引用されている『豊前覚書』(宗茂家臣、城戸清種が、誾千代の守役を務めた父、城戸知正の武勇談や自らの見聞等を記したもの)には、そのような記述は全くありません。

なぜ、別居とか不仲とか言われるようになっていったのか、

中野等氏は、宗茂と誾千代との「別居」は単に個人間の問題ではなく、背景に誾千代をいただく勢力と宗茂を中心とした勢力との隠然たる対立を想定することも可能かもしれません。(『新柳川明証図会』より)と述べています。

 

そうだとすると、少々泣けますね。

 

共にあの厳しい時代を必死に生き抜いて立花家を守ってきた二人。

生きて柳川に帰る事叶わなかった誾千代のために良清寺を建立し、「茶湯等の儀、懈怠あるべからざる者也」と寄進状にしたためた。

121%e7%ab%8b%e8%8a%b1%e5%ae%97%e8%8c%82%e5%af%84%e9%80%b2%e7%8a%b6%e5%86%99%e5%85%83%e5%92%8c8%e5%b9%b4-%e7%ab%8b%e8%8a%b1490

やはりいい夫婦の日にもう一度紹介したいと思いました。

 

葉室麟 小説『無双の花』朗読イベントでは、沢山の観客が二人の別れのシーンに涙してくれました。

2部の葉室さんのトークショーでは、「宗茂の小説を書いているうちに誾千代さんが好きになってきて、誾千代へのラブレターのつもりで書いていました。」というコメントがあり、だからこその説得力なのですね。

 

研究者や学芸員では埋められない史実の空白部分を小説家は一枚の美しい布に織り上げてくれました。そこに立ち現れた宗茂と誾千代は、こうありたいという夫婦の結晶のような二人でした。

小説と史実、その絡み合いの中に新たな戦国最強の夫婦のイメージを膨らませていただければとの思いで取り組んだ朗読の舞台でしたが、舞台の上の宗茂さんと誾千代さんは、まさに416年前に別れた頃の二人を彷彿とさせてくれたと思います。

 

 

▲ページの先頭へ

『無双の花』朗読イベントの一日は

2016/11/15

1113日 葉室麟 小説『無双の花』朗読イベント当日のお話をしたいと思います。

8月から続いた読み合わせの稽古、裏方はその間着々と準備を進め、前日の夜遅くまで作業をし、当日は朝9時から会場入です。

通しのリハが始まりました。

 dsc04514

実はその時まで、ミスがあったりしたのですが、

流石に本番では皆さんノーミスで仕上げてこられました。

 

dsc04516

ロビーで『無双の花』販売の準備中の御花売店の平川くん。

本当に沢山お買い上げいただいたと報告がありました。良かった。

 

dsc04518

 

大型バナーも設置完了。これは、当日会場での撮影等が禁止のため、記念撮影用にと作ってみました。またどこかでお目にかけることになるかもしれません。

 

次第にお客さんの列が出来、駐車場もすごいことになり、会場は満杯になってゆきます。

 dsc04530

開演前に流す告知画像を作ったのですが、

そこで、注意事項もと考えて…そうだ、ツイッターでのリレー告知の時に、果敢に参加してきた庄林隼人さんに(もしかしたら出るかもしれない…などと言ってたことだし)映画泥棒やっていただこう!となりましての登場でした。

どうもありがとうございました。

 dsc04540

 

そして、開演です。

 

私は、裏方でしたのでほとんど会場の様子がわからなかったのですが、涙する方も多かったと聞きました。

dsc04525

著作権の関係上、フリーでの撮影録音は禁止でしたが、主催者での記録は万全の体制で行っております。動画撮影は、柳川フィルムコミッションの風間さんが大活躍でした。ありがとうございました。

 

特別に、事務局撮影の画像を少しご覧いただきます。

 

dsc04548 dsc04550

dsc04571

 

舞台袖での朗読出演者の皆さまは気合と同時に大変な緊張状態で、声をかけることもためらわれるくらいでした。

今までで最高の出来!

(私は声しか聴けませんでしたが)

 

後で後援者の皆さまにおうかがいしたところ、正直言ってこれほどのクオリティーとは思っていなかったと驚かれている方が多かったです。

 

私が一番気になっていた、葉室さんの感想は…

朗読終了後、舞台裏での第一声が「よかったよ!」

きっと優しい気遣いも含んでおられるのだと思いますが、うそではないと感じられる言葉に心底ほっとしました。

心から感謝いたします。

 

文藝春秋の池田さんからも、この朗読スタイルは今まで見たことがなく新鮮だったと評価をいただき、「いい若者たちでした」という言葉もありました。

 dsc04561

dsc04563

2部のトークショーでは、とても素敵な3人のおじさま方にによる軽妙で面白い、そして深いお話をいただきました。

個人的に一番印象に残ったのは、葉室さんの「…あと、一歩」でした(笑)

これが何も意味しているのか、は、来年514日の上映会をお楽しみに。

 

その、あと一歩が、すごく大股の一歩かもしれません。

 

最後の武将隊演舞は、会場の手拍子に驚いた、という地元のおじ様方の言葉がありました。一階モニタールームの方々には大変見づらくて申し訳なかったのですが、それでも楽しそうに手拍子をされるご年配のお客さまが多かったと聞いてうれしかったです。

dsc04578

 

dsc04552

これに懲りずに上映会に来て欲しいです。

今度は大画面ですごく綺麗に編集された特別版をご覧いただけますよ。

 dsc04584

勝鬨での会場の様子は、この写真で私は初めて見たのですが、

いかに皆さん気分が上がって楽しんでいるのかがわかりました。よかった。

 dsc04592

お見送りでは、安堵の表情も見えます。お疲れ様でした。

来ること叶わなかった方も、ぜひ上映会にチャレンジしてみて下さい。

期待以上のものをご提供できるよう準備を進めております。

来年、平成29514日は、柳川へ。

s__13959171

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▲ページの先頭へ

葉室麟「無双の花」朗読イベント 戦国最強の夫婦 立花宗茂と誾千代 

2016/11/14
熊本城おもてなし武将隊が一人、筑後国柳川城城主、立花宗茂である。
「立花宗茂生誕450年記念特別展 公式サポーター」に就任してから初の大きな催しが行われた。
葉室麟「無双の花」朗読イベント  戦国最強の夫婦 立花宗茂と誾千代
s__13959176
此度の戦、見事勝戦となり申したが、まだまだ此れだけでは終わらぬ。
何故なら本番は来年。来年こそ儂が生を受けて四百五十年目なのである。
今後も来年が更に盛り上がるよう、立花家史料館を始め、柳川の多くの者達と協力し、尽力致す所存。
春夏秋冬、どの季節に来ても不思議な心地良さと美味なる食。
柳川には一言で語れぬ魅力が山ほどある。
其れは城主たる儂の力ではなく、四百年以上受け継いで来た柳川に住まう民達の尽力の成果であると儂は思う。
少しでも多くの方に柳川の魅力を知ってもらい、感じて頂く。
その為にやれる事は全てやる所存。
今後此の武録(ぶろぐ)には様々な情報が掲載されていく事であろう故、是非こまめに確認して下され。
此れを見ておる柳川の民よ。
四百年前と同じく、儂一人の力などたかが知れておる。
皆々の力が必要である。
儂と共に、更に柳川という土地を全国に知らしめて参ろうぞ。
皆々、宜しゅうお願い致す。
筑後國柳川城城主 立花宗茂

▲ページの先頭へ

大きな人形と大きな夢

2016/11/13

宗茂さん生誕450年おめでとうございます。

私は御花スタッフブログ担当の小柳と申します。

妄想力高めのブログをたまにアップしておりますが、立花家の方が寛容に受け入れてくれるのでありがたいことです。

 

植野館長より「立花宗茂生誕450年記念で色んな人にブログ書いてもらうから、小柳さんもよかったら書いて!」と声をかけていただき、(そうそうたる方々のブログがアップされるだろうに大丈夫だろうか…)と正直困惑しておりましたところ、「ゆるくて大丈夫!」と力強く後押ししていただいたので、ゆるさ全開で書きます。

長文ですが、よかったらお付き合いください。

 

私が住んでいるみやま市瀬高町には古くから伝わる伝統芸能やお祭りがあります。

 

一つは「幸若舞」。能や歌舞伎の原型ともいわれ、日本最古の舞楽が見られるのは全国でもここだけだそうです。

毎年120日に大江天満神社にて奉納されます。

ルーツだけあって動きはシンプルですが、その静かな美しさは700年の歴史を感じることができます。

 

 

あと是非みなさまに紹介したいのが、上庄八坂神社の「大人形と大提灯まつり」です。

__

  二体のでっかいイカつめの顔の人形がドーンと飾られていて、その股をくぐりながら無病息災を祈ります。

下から人形を見上げると圧巻です。たくさんの人が次々と股をくぐる様はまさしく奇祭!

 

この二体の人形は724日の深夜、なんと移動します。

 

 __

この櫓の上に…。

(残念ながら櫓の上に立った大人形の写真が無いので、気になる方はネットで検索してみてください。)

 

さて、この櫓に張られた幕、立花家の家紋の一つである祇園守紋が入っています。はてさて、なんで??

この祭り、立花宗茂と関わりがあるんだろうか…。

気になった私は調べました。

 

奥州棚倉にいた頃、ある夜不思議な夢を見た宗茂。

なぜか八幡太郎義家になり代わった宗茂と、なんだか家康みたいな雰囲気の安倍貞任との間に合戦が起こり、絶体絶命の義家(宗茂)

「やばい、どうする儂…」

 

その時上庄の祇園宮の神が現れ、仲裁をし、いつしか合戦も終わっていた。

夢から覚め、「なんだこの夢は…きっと吉夢だろう!」と心ひそかに感じた宗茂。

 

夢での恩義を忘れず、柳川城に帰ってきた宗茂。そして翌年には、上庄の祇園社復興にとりかかるとともにこのお祭りを始めた。

八幡太郎義家と安倍貞任の人形を作り、その間に祇園宮を据え、人々は宗茂のようにご利益を得られると信じて、人形の股の間をくぐるようになった。

 

ということらしいです。

 義に生きた武将、立花宗茂。

 たとえ夢の中であっても、助けてもらったらきっちり御礼をしないと気が済まない宗茂さん。

ハンパないです。私はそこまで出来ません。

 

西国無双と呼ばれた武将ですが、こんな人間味あるエピソードがチラホラ出てくるので惹かれるんだと思います。

 

 

そんな立花宗茂の450年の記念すべきYEAR

立花家史料館が色々面白いことを仕掛けてくると期待しております!

 

御花 妄想ブロガー    小柳

▲ページの先頭へ

戦国最強の夫婦 朗読イベントスタンバイまで

2016/11/13

こんにちは。
館長の植野です。

立花宗茂450ブログは、平成29年12月から開催予定の立花宗茂生誕450年記念特別展「立花宗茂と柳川の武士たち(仮題)」会期終了までの期間限定、立花宗茂に関わるさまざまな人たちの話題を集めてお送りします。

記念すべき一回目は、そのプレイベント―葉室麟 小説『無双の花』朗読イベント― 開催日の今日。

とはいえ、超絶に慌ただしい日にやろうという暴挙に出たため、慌てています。



今日のイベントにご参加いただいた皆様、楽しんでいただけましたでしょうか。
その舞台裏から、少しお話を。

「朗読をやりたい」と思ったのは一年以上前のことです。
準備期間中には様々なことがありました…話せば長くなり過ぎますので(中略)…。

懸案だった誾千代姫も、灯台下暗し、柳川にこんな素敵な演者がいたとは―観光柳川キャンペーンレディ水の精―として頑張っている橋本あかねさん。
と、もしや身長が殿より高いなどということは…と心配してチェック。
おおっ!絶妙に殿(熊本城おもてなし武将隊の立花宗茂さん)より4cm低い! 合格!



植「この数字、盛ったり引いたり、あるいは伸びたり縮んだりしてませんよね?」
宗・誾「はい!大丈夫です」



胸をなで下ろしたのでした。 (これはきっと神様が遣わした二人に違いない)秘密の草鞋を履いていただかなくてすみました。


その後、出演者の皆さま激務の中、読み合わせの稽古を重ねて次第に仕上がってきました。(稽古中の風景はR400指定ということで公表できません)

朗読の奥深さや難しさ、この期間に深く感じました。

著者の葉室さんには、読み仮名をどうするのか、
例えば「武士」は「ぶし」「もののふ」どちらか、「日本」は「にほん」「ひのもと」どちらか、等、ルビを振っていない以上、こちらで勝手には出来ないと思い、確認をさせていただきました。


葉室さんは「読者が小説を読んでいるときにはそれぞれで流れのよいように脳内で読まれているだろうけれど、舞台にかける場合には少しインパクトの強い読み方にしてもよいのでは」とおっしゃられました。

なるほど。


そして、寛容にも当方にお任せ下さるとの有難いお言葉も。



つまり、今日の朗読舞台は、葉室さんの小説『無双の花』に、当方の解釈が乗っかった表現というわけです。<おしきせ>と言えるかもしれません。
文字の表現と音の表現は違いますね。



最もややこしいと思ったのは、
小説の登場人物、つまりその台詞の朗読者をそれぞれ、熊本城おもてなし武将隊で該当人物にあたる方に担当していただくこと。

一見簡単そうなのですが、武将隊の官兵衛さん、清正さん、宗茂さんが、史実をもとに葉室麟さんが小説の中で作り上げた如水、清正、宗茂を演じなくてはならない…というのはかなり難しいことなのです。

この両者はイコールではないけれども、どこか本質的に繋がっていて欲しいとは思ってのぞみました。


皆さんにも両者を比較して、さらに歴史の扉を次々と開いて奥へ進んでいただきたいです。そのためには、小説『無双の花』を読み込んでいただけたら嬉しいです。

そういう意味では、由布雪下を武将隊の忠興さん、十時摂津やその他の家臣を儀太夫さんが演じて下さったのはやりやすかったように思います。

お二人とも上手い!
立花の家臣たちが生き生きと蘇ってきてくれました。



そして、隼人さんもご協力ありがとうございました。ついにこの日がきました(笑)

よい舞台にするため最後のリハまで綿密にチェックをする演者のみなさま

舞台袖では真剣そのものの厳しい、そして緊張した表情でした。



トークショーでは、作者の葉室麟さん、文藝春秋の池田さん、立花理事長の3名で、朗読無双の花の感想からお話しがスタート。とてもよいお話しをされていたのですが、会場に来られなかった方は気になりますよね。

そこで、

来年5月14日に今回のもようを上映会でご覧いただけるように準備中です。
詳しくはHPや、こちらのブログからもお知らせしますのでお待ちください。



会場からブログをアップしたかったのですが、機器の不調によりこんな時間、ぎりぎり13日となりました。


これからもどうぞよろしくお願いいたします。



最後は戦国最強の夫婦、宗茂と誾千代の朗読後のほっとした充実感ある写真でお別れです。

立花財団立花家史料館から植野がお送りしました。

▲ページの先頭へ

壁際の立花宗茂くん 平成二十八年十一月十三日条

2016/11/13

20161113

▲ページの先頭へ