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新しい風

2017/9/2

館長の植野から秋のご挨拶です。

さまざまな新しい風が吹き込む季節です。

吹き寄せのように近況とかこれからの事とかブログで少しお話ししたいと思います。

今年は何かが起こる年(なにしろ立花宗茂生誕450年ですから)と予感がありましたが、

ホップ・ステップを省略して大河ドラマ招致キャンぺーンが始まってしまいました。

春頃から少しづつ動き出しておりましたが、いよいよ本格始動。

 復活の武将をテーマにした不死鳥のロゴマーク

沢山の組織や大勢の力が集まって大きな動きになっているのですが、その中でも

もちろん当館は極めて頑張らなければならない立場なのは言うまでもありません。

こういった動きを受けて、

新しいイメージキャラクターとしての立花統虎(宗茂)が立ち上がったのも

驚くべきことです。(これには涙ぐましい裏方の努力があり)

突然ですが、柳川の殿の設定集から一部をご紹介します。

例えて言えば、当館を劇場とすると、史料館監修の舞台劇「宗茂と誾千代の物語」(つまり史実に基づくフィクション!です)で超ロングラン公演中の主役であるというイメージ。

ビジュアルの設定年齢は21~25歳ですが、知識と記憶の設定では宗茂の全人生について熟知しており、
宗茂が現代を生きていれば、このように振舞うであろうという説得力を持たせたいところです。その本務はあくまでも史料館の教育普及事業です。

正式の名前は、名乗り口上でもご披露しましたように「立花左近将監源統虎」あらため「立花宗茂」。

その性格は、

… ここからは長くなるので、何かの機会で披露できればと思います。きっと立花宗茂を通じて当館へ親しんでいただいている皆さまの心の中にあるイメージに近いのではないかと思っています。

…辛口スッキリの見た目ですが、けっこう天然系です…柳川の殿がですよ。

さらに、イメージキャラクターは現代に生きる男子だけでなく、イラストも制作が進行中。

このイラストが、これがよいのです。見せたい!!でもまだ見せられない、のがじれったい。

と言っていたら、作者のご厚意で、まだ準備中の沢山のイラストから一部をご披露。誾千代姫になってどんな殿が現れるか、一緒にドギマギして待ちましょう。

完成した物語を乞うご期待。

もちろん、本資料の写真もかっこいいものを準備したいと企画検討中です。

     

3種類の媒体を縦横に行き来した教育普及活動を展開してゆきますので、親しみを持って迎えていただければと願うばかりです。

そのステージは、

当館公式の新しいインスタグラム、そして宗茂と誾千代大河招致キャンペーンのポータルサイト、です。

どちらも10月から始動を目指して準備中です。頑張ってます。

新しい風と皆さまのご支援が当館の支えとなります。

 

 

 

 

 

 

 

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11/18大慈院イベント準備②立花宗茂の肖像画

2017/9/2

立花家の人々、立花万起子です。
11月18日に京都で開催予定の「立花宗茂ゆかりの京都大慈院で歴史講話とお茶会」の準備を進めております。ブログでイベント準備の進捗状況を時々アップさせていただきます。
私が昔から見慣れている立花宗茂の肖像画は、イベントお知らせのチラシにも掲載しました立花家史料館が持っているものです。お顔が丸くてちょっと色黒で、父(立花宗鑑)に似ているな、といつも思っていました(宗茂が色黒なのは肖像画が古いからかもしれませんが、父の色黒は生まれつきです)。

 立花宗茂肖像画(立花家史料館所蔵)

 立花宗鑑(十七代目当主、立花財団理事長)

ぽっちゃり丸顔、鼻の形、ちょっと似ていませんか?

大慈院も立花宗茂の肖像画を所蔵しています。イベント当日は大慈院の本堂で宗茂の法要をしますが、そのときに大慈院でお持ちの肖像画をかけていただく予定になっています。
私はまだ実物を見たことがありません。父は以前大慈院の肖像画をご住職に見せていただいたそうです。こちらはすこし面長で色白、男前に描かれているとのこと。京都だとちょっとお公家さんのようになるのかしら、と思ってみたり。
大慈院の肖像画の宗茂さんがどれくらい男前か、どうぞ当日の法要のときにチェックしてください。

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11/18大慈院イベント準備①お茶室

2017/8/2

立花家の人々、立花万起子です。

11月18日に京都で開催予定の「立花宗茂ゆかりの京都大慈院で歴史講話とお茶会」の準備を進めております。ブログでイベント準備の進捗状況を時々アップさせていただきます。

この企画は父、立花宗鑑(立花財団理事長)と昨年末くらいから考え始めました。大徳寺塔頭である大慈院の若住職が、どこへでも持ち歩ける竹の茶室「帰庵」をもって、日本各地の自然の中で茶道を楽しまれる記事を読んだことがきっかけでした。

”大慈院・茶道・立花宗茂・450年・・・大徳寺の塔頭でお茶席・・・あこがれる・・・”

そんな思いが頭を巡り、父と一緒に今年の2月にはじめて大慈院さんへ相談にうかがいました。

大徳寺の塔頭でお茶席を使わせていただくことは、茶道のお稽古をしている自分にしてみれば、一生のうちに一度あるかないかの稀な機会。宗茂の生誕450年を記念しての行事ならば、ここで行う意義がある、できれば美しい紅葉の季節であれば「京都感」も高まる!と構想妄想は楽しく順調でした。

そして春から具体的に動き始めました。いろいろと予期していないこともありますが、父と植野館長と、従姉妹で御花の千月香社長、東京の親戚や従姉妹に助けてもらいながら、11月にむけてコツコツと準備しております。

大慈院にはお茶室が二席ありますが、今回は青霄庵(せいしょうあん)を使わせていただく予定です。二面がガラス戸になっている広間は、お部屋にいながらお庭との一体感も味わえる開放的な空間です。紅葉の季節はどんな景色になるか楽しみです。

 

こちらはお茶室へ向かう路地からの眺め。まだ夏の景色です。

 

お茶室にある「青霄」の文字は表千家十三代目即中斎によるものです。

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大広間修復完成記念「武士の姿」に向けて

2017/7/16

館長の植野です。

柳川藩主立花邸御花の大広間(旧立花伯爵邸)は、修復完成まであと一息です。

明治時代に立てられた和館は、天井が高く、開放的で清々しい空気に満ちています。

8月19日のイベント「武士の姿」は、立花邸御花の主催、当館監修でお送りいたします。

まず、対月館2階Over The Moon にて、皆さまには、九州戦国御膳特別版をお楽しみいただきつつ、植野から簡単な武家装束のお話しをさせていただきます。お腹空かせて来て下さい。

修復に関係する材料等、触っていただけるものもここに並べております。文化財は直接触れないものばかりですので、ここで思いっきり触っておいて下さい。

夕暮れの時間帯に大広間へ移動いただきます。この場はお客様をお迎えする畏まった空間ですので、甲冑姿は相応しくないということで、公式サポーターの立花宗茂さんをはじめ、熊本城おもてなし武将隊の方々にはこのテーマと場に相応しい姿でご登場いただき、パフォーマンスを披露いただきます。

大広間でのイベントの最中は照明を落としております。この間、皆さまに十分に鑑賞を楽しんでいただくため、撮影はご遠慮いただきたくご協力お願いいたします。ここで重要な見どころのひとつに、壁紙の金銀や金屏風がどのように見えるかということもお忘れなく。

イベントの最後に、照明を明るくしてから少し撮影のお時間を用意いたします。ただし、和室に座っての鑑賞ですので、三脚の利用はご遠慮下さい。立ち上がっての撮影も周囲の皆さまにはつらい状態になってしまいますので、座ったまま撮影をお願いいたします。公式には撮影をして公開をいたします。また取材関係者も撮影をされますのでご了解下さい。

沢山のコンテンツを短い時間にギュギュっと詰め込んだ記念のイベントです。裏方では準備が山ほどあって御花さんも当館スタッフも忙しく働いております。

おかげ様で、チケットはプラチナ並み(笑)の状況でした。涙をのんだ方もいらっしゃいます。ごめんなさい。もし、会員先行予約でまだ会員の更新がお済みでないままの方がいらっしゃったら忘れずによろしくお願いいたします。それでキャンセルになっちゃうと悲しいので。

 

どうぞ、夏バテにならないよう健康万全体制でお越し下さい、お待ちしています!

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壁際の立花宗茂くん 平成二十九年七月七日条

2017/7/7

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公式サポーター宗茂より-無双の花朗読舞台-

2017/7/1

熊本城おもてなし武将隊が一人、筑後国柳川城城主、立花宗茂である。

「立花宗茂生誕450年記念特別展 公式サポーター」として初の催し『葉室麟「無双の花」朗読イベント 戦国最強の夫婦 立花宗茂と誾千代』に続き、先月皐月十四日に再び朗読の催しが行われた。

前回は清正殿、官兵衛殿、そして語りとして島津殿が参戦して下さり申したが、此度は我が家臣役として、小倉城城主細川忠興殿と清正殿の家臣である森本儀太夫殿に加え、前回同様島津義弘殿が語りとして参戦致した。
家臣役である忠興殿と儀太夫殿は、己を出さず、あくまでも我が家臣として舞台に立ち、葉室麟殿の描く美しき世界を壊さぬ様徹して下さった。
更に、前回同様我が妻誾千代役は「橋本あかね」姫が、そして侍女かのと三人目の妻となる菊子を柳川市内の学徒「吉富千紘」姫が演じてくれた。

橋本あかね姫も、吉富千紘姫も、当世の柳川の民と共に、四百年前の我等時代を見せる事が出来るというのは、誠に不思議であり嬉しき事で御座るな。

話は前回の続き。
誾千代の元を離れ、京に上って暫、誾千代の訃報を受け取る所から始まる。
そして其の後、陸奥国棚倉藩を治める事となったのだが、その際に我が養父戸次道雪様の時代より立花家に支え続けた忠臣、雪下を看取る事となる。

背後には棚倉の風景が映し出され、美しき情景の中、忠興殿は我が家臣雪下として迫真の芝居を魅せてくれた。

 

其の後二十年の時を経て再び柳川へ戻る事となる。
その際、柳川城にて永き眠りについた我が妻と言葉を交わし、己の想いをようやく妻に伝える事が出来る……。

四百年前、儂が柳川城に戻った際の事は今でも鮮明に思い出せる。あの時誾千代が傍に居れば、なんと言葉を交わし、どんな表情を見せてくれたのであろうか。あの時誾千代の本心はどうであったのか……四百年の時が経った今、それを知る術はない。
然し、葉室麟殿の描く世界の中で、誾千代の言葉を聴けたことは何にも代え難き幸せであった。

現在、ゆーのちゅーぶ(youtube)なる処にて、朗読の様子を公開中※である。

※8月31日までの限定公開

其れも此度のだけでなく、前回のものも公開しておるとの事。
見に来てくれた者もそうでないものも、四百年前の我等の葛藤と苦悩、そして決して曲げぬ信念と、葉室麟殿の美しき言葉の世界を堪能して貰えればと思う。

当世に於いて、儂と妻誾千代を題材とした大河ドラマなるものの誘致の動きがあると聞く。
四百年前の過去の人間がこうして当世の人々に知られる事も、そして我等の存在が当世にて役に立つ事も、誠に嬉しい限りだ。
然しその大願を成就させるには、多くの者達の働きが必要であるのは想像に難くない。

大願成就を儂も祈っておるぞ。

その大きな志と、夢の成就に向けて、共に胸を張って歩んで参ろう。

筑後国柳川城城主 立花宗茂

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生誕450年に大河ドラマ招致へスタート 

2017/6/12

館長の植野です。
今年が立花宗茂生誕450年なのは、こちらのブログでは言うまでもありませんが、その年に降ってわいたような…「立花宗茂と誾千代を大河ドラマへ」招致運動へ柳川市が手を上げました、という話題。
もちろん、柳川市も突然思い付いてのことではなく、以前より少しづつ少しづつそういった気運はありました。が、満を持して今年からの急展開ではあります。

私共の財団の重要なミッションのひとつは、武家文化の発信ですし、史料館の取り組みのひとつに立花宗茂とそれに関わる歴史を広く知って親しんでいただく、ということがありますので、

招致に向けて行政と民間がひとつになって教育普及を核としたキャンペーンを展開して取り組むことそのものに大きな意義があると思っています。大河ドラマになるかどうかは、その後からついてくることですね。

結果よりも過程が重要ということで、皆が楽しい!ワクワクする! というようなことをやりたい!と思っています。

まず、5月8日の県庁訪問のすべりだしから金子市長の意気込みが熱い、そしてチャーミングです。

実はこれにはこんな裏話が、

もともとはイメージキャラクター的な方々に宗茂と誾千代に扮していただいて、一緒に県知事訪問をしてもらっては、という希望があったのですが、諸事情によりそれが出来ないことになり…

GW直前のある日、柳川市の某氏より連絡がありました。しかも極秘の、とのこと。

一体何が…とおそるおそる聞くと

某氏「金子市長自ら宗茂に扮することになりました」

植野「エッ!? Σ(゚Д゚)」(そしてなぜ極秘事項…)

某氏「このことは、同行のメンバーにも秘密にして当日サプライズでびっくりさせたいので」

そして、この秘密のプロジェクトの全面支援をすることになりました。

市長はGWの間、口上の練習をして、さらにダイエットまでされたとか。

この様子はこちらでご覧下さい。とても上手だったのにも驚きましたが、何よりやや緊迫した場の空気が一気に和んだのは良かったです。皆さん笑顔に。

こうやって、柳川らしい明るい招致キャンペーンがスタートしたわけです。

私たちは、常に正門を叩いて行こう!と思っています。

その後も様々に計画が進行中。それはまたこちらのブログで最新情報を発信してゆきますので、お楽しみに。

 

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財団からお知らせ 公式サポーター出演イベント

2017/3/9

館長の植野です。

先月から大変慌ただしい毎日であっと言う間に3月。立花宗茂生誕450年が、まだ何もしていないのに、もう三ヶ月も過ぎてしまった…。焦ります。

(実際は舞台裏では様々な事が進行中で大騒ぎになっているのですが)

特別展や、関連イベントの準備もありますが、第一弾は5月14日(日)に柳川水の郷ホールで開催される「小説無双の花 朗読舞台」

上映会だけでなく、小説のその後を朗読する舞台も(柳川市の皆さまの大きなリクエストにより)用意いたしました。

今回はネット予約はいたしませんが、整理券は史料館受付で4月1日より事前配布の予定です。お一人につき5枚まで配布出来ますので、ご家族やお友達の分もいかがでしょう。

 

ここでも活躍中の公式サポーターの立花宗茂さんですが、

実はこのサポーター活動は昨年9月に一年間ということでスタートしましたので、8月末までとなっています。

まだあと半年近く先のお話しですが、そういう訳ですので、ひとつひとつのイベントはどうぞお見逃しなく、お越し下さい。

その次の450年記念イベント8月26日(土)開催予定「武士のすがたをみよう」は、公式サポーターとして最後の登場、見逃せない舞台を用意しています。

こちらは、国指定文化財でもある立花邸大広間の百年に一度の大修理完成記念として、大広間の中で夕暮れから夜にかけて、昔の灯りの中、中世武士の姿を感じていただきたいと思っています。格式のある室内ですので、それに相応しい常とは違う装束にもご期待下さい。初代公式サポーターさんへ感謝の思いを込めて、様々な特別を準備しています。

邸宅内ですので、入室人数には制限があり、別室での夕食には料金がかかることになるだろうと思います。詳細は計画中。

お申し込み方法については、近日中にまたお知らせしますので日程を確保の上お待ち下さいね。

熊本城おもてなし武将隊の立花宗茂さんは、もちろん9月からも熊本で活躍されることと思いますので、柳川からエールを送ります!

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雷切丸あれこれ

2017/1/18

立花家史料館館長の植野です。
いよいよ立花宗茂生誕450年の年が始まりました。
今年は、城下町柳川と武家文化の発見体験プログラムをもっと楽しんでいただく企画をご提供したいと頑張っております。

さて、今日から立花家史料館では雷切丸の特別公開が始まりました。一週間だけですが。
そこで、一年前のあれこれがなつかしく思い出されたましたので、少しそんなお話を。

そもそも、


当財団から、スペシャルサポーターの立花宗茂さんへ新雷切丸拵えを進呈することが決まった時、
私のツイッターアカウントを雷切丸くん(いつのまにか登場してました)が乗っ取って、殿とお話を始めたら楽しい…というアイデアが出できました。
そうなると、雷切丸くんのイメージが必要だと思い、
以前からイラストでお世話になっている大久保ヤマトさんに相談することにしました。

「雷切丸くんってどんな子ですか?」
と、大久保さんからたずねられました。
その後、あらためてまとめたものが、以下のペルソナデータです。

  男子、年齢は、15、6歳くらい。

性格
雷神にきりかかるというやんちゃで無鉄砲なところがある男の子ですが、雷にうたれてもなお、主人道雪に最後まで忠実に付き従う健気さと戦を必ず勝利へと導く頭の良さもある。
中世武士の心を持ちながら、好奇心の強さから柔軟な適応性ももつ。
大きく摺り上げられたため、太刀であった頃の記憶はなくなっている。
二重人格、時おり太刀であったころの荒ぶる雷神の化身が顏を出すことがある。

 素襖姿に描いて下さいとリクエスト。

好きなもの
チョコレート

弱点
誾千代姫

容貌
殿に少し似ている。

 

今までいろんな事を試みてきましたが、こんな取り組みは初めてのことでした。

そして、

雷切丸くん今はお休み中ですが、

「九州戦国御膳プラン」の目覚まし時計特別バージョンでまた出会えます。1/24まで。

 

 

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研究者~宗茂生誕450年はホントか?

2016/11/22

柳川古文書館の白石です。

宗茂の生年

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来年2017年が立花宗茂生誕450周年ということですが、これは宗茂が永禄10年(1567)生まれであることによります。

しかし、戦国武将によくあることなのですが、宗茂の生年には永禄10年説以外にも永禄12年説があります(実は宗茂と同年生まれとされる真田信繁(幸村)の生年にも永禄10年説と元亀元年(1570)説があるようです)。

永禄10年説を採るのは「立花事実記」「立斎公御年譜」などで、永禄12年説には『寛政重修諸家譜』や「立斎公旧聞記」などがあります。

 

 では、なぜ今回永禄10年説が採用されているのでしょうか?

 

 実は、宗茂の跡を継いだ忠茂が「亡父七十六才にて死去に候」(「富士谷文書」)と書いた書状が残っていて、宗茂の没年である寛永19年(1642)から逆算すると永禄10年生まれとなるのです。

さらに、写しではありますが、寛永15年(1638)に宗茂が雪斎(十時連貞)に宛てた書状に当時72才である旨が記されていて、この史料からもやはり永禄10年生まれとなります。このように複数の状況証拠から、宗茂の生年は永禄10年としてよいと思われます。

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