「骨喰藤四郎」の御礼状[大友家文書]を高精細画像で見る
2024/10/42024年9月30日に、所蔵者の立花家史料館と寄託先の柳川市(柳川古文書館)そして東京大学史料編纂所の三者で連携協定が結ばれ、大友家文書・旧柳川藩主立花家文書(立花家史料館所蔵分)の高精細デジタル画像がWEB公開されました。
立花家史料館所蔵・柳川古文書館寄託史料のデジタル画像を、東京大学史料編纂所のHi CAT Plusで公開しました。https://t.co/s2CeLipZ6M今回公開した画像は、大友家文書の全点および立花家文書の一部です。大友家、立花家の歴史を語る文書類を、高精細でお楽しみください。 pic.twitter.com/nqA5F9NoZQ
— 立花家史料館 (@TachibanaMuseum) October 1, 2024
実現に至るまでの経緯やWEB公開の意義などは、いずれくどくどと語るつもりです。
ともあれ、さっそく活用してみましょう!
わたしのイチオシ「豊臣秀吉書状」[大友家文書・書簡12-2]。
天正13年(1585)9月27日に 豊臣秀吉が大友左兵衛督/義統に宛てた手紙です。
秀吉が「吉光骨啄刀(骨喰藤四郎)」を所望したところ、義統がすぐに進上したので、大変満足であると述べられています。
包紙や裏面の画像もあって惑わされますが、本紙表は00000491です。
せっかくなので、先に本紙裏 00000490も見てみましょう!
「切封 キリフウ」の形と〆の墨跡がよくわかります。「切封」とは下図のとおり、手紙を奥から袖に向かって折りたたみ、切った端を帯にして結わえ、その上に封締を印す封式のこと。
東大史料編纂所 Hi-CAT Plusの高精細デジタル画像じゃなきゃ見逃しちゃうところです。
あらためて書状の文面 00000491 を見てみましょう!
本文一行目冒頭にたっぷりとした墨で書かれた「吉光骨啄刀」が目に入ってきますが、続く文章を読み進められそうにありません。
でも、安心してください!
さすが東京大学史料編纂所。
明治34年(1901)から現在まで刊行が続けられている日本史の史料集『大日本史料』のデータベースをWeb公開しているので、活字化された翻刻文をすぐに確認できます。
《東京大学史料編纂所HP》→《データベース検索》→《大日本史料総合データベース》→東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第11編之20』1997 東京大学394-7頁
天正13年9月27日 大友義統、骨啄刀を秀吉に進む、是日、秀吉、之を謝す、
頁をめくると、「骨喰藤四郎」についての参考文献も紹介してくれています。
『大友興廃記』‼️ ⇒
『大友興廃記』で語られる 「雷切丸」の話(巻六「鑑連雷を斬事」)はコチラ⇒
『大友興廃記』によると、「骨喰藤四郎」は大友家重代の宝刀でしたが、九州に下向した足利尊氏に献上され、足利将軍家の「御物」となったようです。いつしか松永久秀の元に渡っていたところ、大友宗麟/義鎮(義統の父)が先祖の重宝だと望み、永禄8年(1565)229年ぶりに大友家に帰ってきたと語られていますが、真偽は定かではありません。
「豊臣秀吉書状」[大友家文書・書簡12-2]こそが、年紀がはっきりした一次史料なのです。
少なくとも、天正13年(1585)に大友義統から豊臣秀吉に「骨喰藤四郎」が進上されたのは確かなことでしょう。
ちなみに、当館所蔵の【国宝】短刀 銘吉光は、建武3年(1336)に足利尊氏から拝領したと伝わるので、『大友興廃記』のとおりなら「骨喰藤四郎」とは入れ違いになったとみられます。
せわしなく天下人の元を移った「骨喰藤四郎」とは対照的に、立花家にて秘蔵され続けた【国宝】短刀 銘吉光についてはコチラ⇒
「豊臣秀吉書状」[大友家文書・書簡12-2]は、柳川古文書館の特別展『大友家文書の世界』(2017.10.11~12.6)で初めて展示されました。
わたしは【重要文化財】薙刀直シ刀 無銘伝粟田口吉光/名物骨喰藤四郎(豊国神社蔵) は何度も見に行っていたのに、当館が「骨喰藤四郎」の御礼状を所蔵しているとは思いもしませんでした……だって、近世大名立花家のことを調べるのに、よそのお宅の中世の文書である「大友家文書」を気にする必要がなかったから……
「大友家文書」は、豊臣秀吉により改易された大友家22代・義統が23代・義乗に譲ったあと、時期と理由はわかりませんが、 遅くとも延宝7年(1679)までには柳川藩主立花家の所有となっているようです。そのまま立花家に伝来し、そのうち290通が平成5年(1993)に国の重要文化財に指定されています。
大友家と立花家の関係が気になる方にオススメ
「雷切丸」「【国宝】短刀 銘吉光」の話もアリマス
◆販売中◆解説本『大友と立花、歴史の絆ー九州の名門が紡ぐ戦国史 』500円(税込/送料別)西国大名の名門武家であった大友家と、近世大名家として唯一その歴史を受け継いだ立花家。両家の関係を重要文化財の「大友家文書」「立花家文書」や、大分県立先哲史料館所蔵文書を使って紐解く◎ A5判40頁オールカラー
大友家文書・旧柳川藩主立花家文書は当館の所蔵ではありますが、寄託先の柳川古文書館で長年にわたって整理・研究が進められ、丁寧に目録化されていたからこそ、今回の公開へとつながりました。東京大学史料編纂所の高精細なデジタルアーカイブズで簡単に検索できるので、当館学芸員が誰よりも喜んでいます。
優秀な研究者の方々の尽力により公開が実現したデジタルアーカイブズ「立花家史料館所蔵史料」を、お気軽にどんどん活用いただけましたら幸いです。
◆◇◆ 立花家伝来史料モノガタリ ◆◇◆
立花家伝来史料として、現在まで大切に伝えられてきた”モノ”たちが、今を生きる私たちに語ってくれる歴史を、ゆっくり読み解いていきます。