6代藩主 立花貞則、豊前大里浜で暴死す
2023/5/3前回は、6代藩主貞則の生涯を、丁寧に江戸時代の史料をひもときながら見てきました。前回で完結する話を今回までひっぱったのには理由があります。
前回で紹介した江戸時代の史料と、現代の柳川市史編さん事業の刊行物。
その間に挟まれた近代の史料に、ある懸念があるのです。
7代 貞則公〔引用者註:貞則は6代柳川藩主かつ立花家7代当主]
(中略)
延享3年 〔1746〕 6月20日江戸を発し、入部の途に就く
7月17日豊前大里浜に於いて暴死す。
同21日遺骸生存の如くして柳城に入る。同27日喪を発す。8月5日福厳寺に葬る。享年21。法号等覚院殿廊融性営大居士と云ふ 。
公 子なし。弟を以て嗣とす。
渡辺村男 『旧柳川藩志』上巻 60頁(下記の書誌 53コマ目)
渡辺村男 著 ほか『旧柳川藩志』上巻,福岡県柳川・山門・三池教育会,1957.
国立国会図書館デジタルコレクション 〔 公開範囲:送信サービスで閲覧可能〕
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この『旧柳川藩志』を著したのは、立花家伝来の史料を調査研究の対象とする、我らの大先輩、渡辺村男です。
柳川市史の編纂事業が開始する80年前、大正3年(1914)に、立花家が主体となり、藩史編纂の事業がはじめられました。その編纂に携わった中学伝習館教諭の岡茂政や、岡とともに明治44年(1911)に柳川史談会を創立した渡辺村男は、どちらも長年の調査の集大成をまとめた、柳川の歴史についての大著を残しています。この二人の著作は、柳川市史の刊行がはじまるまで、柳川の歴史を知るための必携の書であり、他に代わる書籍はありませんでした。
岡茂政 著 ほか『柳川史話』,青潮社,1984.9.
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わたしも、当館展示室の年表パネルを作成するために、当時未刊の『柳川の歴史』シリーズを切望しながら、ほかに頼るあてもないので、渡辺村男『旧柳川藩志』と岡茂政『柳川史話』 を熟読したものです。
今なら、絶対に柳川市史の刊行物を頼ります。だって、読みやすいし、わかりやすいし、何より信頼がおけます。
村男さんも岡さんも、尊敬できる大先輩ですが、戦前と現在とでは情報量に圧倒的な差があり、今の基準でみると、二人の史料の精査は全く足りていません。当時の印刷技術の事情もあるでしょうが、年号のズレや漢字の誤記も少なくないので、その都度、江戸時代の史料とのつき合わせが必要となります。それでも、活字は流し読みができるので、崩し字解読が苦手な身には助かりました。
あらためて引用部分にもどります。
注目すべきは「豊前大里浜に於いて暴死す」。
え!
おだやかでない響きですが、どういうこと?
江戸時代の系譜や、その他の文書類を確認しても、よくわかりません。
安心してください。辞書にちゃんと記されていました。
【暴死】 ぼう‐し
広辞苑・大辞泉・ 日本国語大辞典 の記述を集約
にわかに死ぬこと。急に死ぬこと。頓死。
な~んだ、あっさり解決です。
貞則の「急死」を村男さんが劇的にあらわしただけでした。当時の貞則の近臣たちの気持ちを慮ると、「暴死」という表現がマッチしているように感じます。
結局のところ、前回で周知の事案「死体の偽装」と「公文書偽造」、これ以外のことはどこにも書かれていません。懸念もなにもなかったのです。
ちなみに、貞則の事案の約90年後には、より大きな事案「藩主すり替え」があるのですが、それはまた別のおはなし。
実はいま、「立花貞則 大里」とWeb検索すると、貞則が暴漢におそわれて亡くなった風に説くサイトが上位にあがってきます。遺憾ながら、数も多いです。
※検索結果をご覧になるだけで、各サイトを訪れるのはご遠慮いただけますと嬉しいです。
前回と今回とで皆さまと共に見てきたように、これはまったくの空言です。
ただ、「暴死」にひっかかった身として、状況証拠から推測できる気がします。
長年、柳川の歴史を記述する図書や雑誌には、だいたい渡辺村男の著作が引用されてきました。「立花貞則が豊前大里浜で暴死」は、そのまま孫引き、ひ孫引きされていきます。その間に、どこかのだれかに魔が差したのでしょうか?
先のブログ「殿さんが騙された?大広間の瓦の疑惑」の事例と同じく、ここでも誰かが、貞則の死の隠蔽の理由を、自分の知識の範囲で辻褄を合わせ、幻想を作ってしまったのでしょう。
そして、”暴” “死” “浜”の組合せが、センセーショナルなイメージを掻き立てるような、しないような。
インターネットに漂う仇花、その発生の経緯は大変興味深いのですが、誰にとっても迷惑でしかありません。存在しないものを無いという証明は難しく、流れてくる全てを摘み取るのはとても面倒……
願わくば、世の人々が「立花貞則」をWeb検索したときに、このブログのタイトルが上位あがってきますように。
参考文献
渡辺村男著 柳川山門三池教育会編 『旧柳川藩志』1957 福岡県柳川・山門・三池教育会 、柳川市史編集委員会 編 『新柳川名勝図絵 』2002.9.30 柳川市( 「渡辺村男と柳河史談会」123-126頁、「対山館文庫」138・9頁、「立花家の歴史編さん」143・4頁)
◆◇◆ 立花家伝来史料モノガタリ ◆◇◆
立花家伝来史料として、現在まで大切に伝えられてきた”モノ”たちが、今を生きる私たちに語ってくれる歴史を、ゆっくり読み解いていきます。