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【スタッフに聞きました】大河ドラマ妄想キャスト2021

2022/2/14

柳川藩主立花邸 御花スタッフと立花財団スタッフへのアンケートシリーズ第2弾は

「大河ドラマ妄想キャスト2021」

大河ドラマ「立花宗茂と誾千代」が実現したら、どんなキャストに演じてもらいたいかを、自由に妄想してもらいました。

(2022年でないのは、アンケートをとったのが昨年だったからです。)

それでは早速みていきましょう。
ブログを彩るイラストは大久保ヤマトさんによるものです。
(以下、主に敬称略)

【立花宗茂】

 

 

 

 

 

綾野剛
(理由)アクションできるし、戦いのシーンがかっこよく決まりそうということと、私の中ではほかの武将のイメージや漫画のキャラが定着しているということもなさそうだったので選びました。宗茂は人望に厚く、城主を追われても慕う部下が大勢いたと聞いたので、綾野剛さんのイメージが出てきました。

池松壮亮
(理由)肖像画の丸顔がなので。福岡県出身でおばあちゃん家が大川にある。

坂口健太郎
(理由)朝ドラで『俺達の菅波』と視聴者から人気大!

福士蒼汰
(理由)カッコ良いから可愛いまで演じられそう

藤原竜也
(理由)肖像画の顔が丸いから

田中圭

小関裕太
(理由)高身長で、育ちのよさそうな雰囲気がある。

 

【誾千代】

 

 

 

 

 

土屋太鳳
川口春奈
戸田恵梨香
(理由)立花家のお姫様は「御姫様」というイメージではなくて、運動ができて、ハートが強くて、さっぱりしたところが素敵なイメージが勝手にあるため選びました。イメージする人がいろいろ出てきて選べませんでした・・・・

広瀬すず
(理由)誾千代がキリッとしたイメージで、広瀬すずさんもキリッとしてそうなので。

大久保ヤマトさんも広瀬すずさんに演じていただきたいそうです。

武井咲
(理由)芯がしっかりしてそう

高畑充希
(理由)もしくは八千子でも

橋本愛
(理由)冷たそうで笑顔が可愛い

小松菜奈

清野菜名

浜辺美波

沢尻エリカ
(理由)視聴率とれそう

杉咲花

久保田紗友
(理由)きりっとした顔立ちがいい

 

【戸次道雪】

 

 

 

 

 

大沢たかお
(理由)大きくて強そう

市川海老蔵
(理由)力強そうな目が肖像画と重なるので
(理由)目のインパクトで!!

渡辺謙
(理由)似合いそう

佐藤浩市
(理由)目力がある

 

【高橋紹運】

 

 

 

 

 

役所広司
(理由)大きくて強そう

中井貴一
(理由)中井貴一さんと坂口健太郎さん親子を観てみたい
(理由)個人的に好き

唐沢寿明
(理由)歳はあいませんが、イメージです

鈴木亮平
(理由)鈴木亮平さんが好きなので

竹中直人

 

 

【豊臣秀吉】

 

 

 

 

 

柄本明

 

【加藤清正】

 

 

 

 

 

オダギリジョー

 

【黒田長政】

妻夫木聡
(理由)童顔なので、官兵衛より長政かなぁ

 

【大友宗麟】

 

 

 

 

 

陣内孝則

伊武雅刀

 

【宋雲院】

 

 

 

 

 

小泉今日子

 

【八千子】

 

 

 

 

 

吉岡里帆

今田美桜

 

以上です。

以前、同じように「立花宗茂がドラマ化された場合、どなたに演じてほしいですか」というアンケートをとったことがありました。
2013年4月に「葉室麟 トークライブ」が開催されたときのことです。

そのときの結果はこちらのブログでご覧いただきたいのですが
見比べてみると、いくつかの共通点があることがわかります。

 

①朝ドラの影響力

2013年の宗茂1位に松坂桃李さんがあがっていたのは、前年に放映された「梅ちゃん先生」で人気が爆発していたことからでした。
今回は「おかえりモネ」から、俺たちの菅波がランクイン。

 

②道雪のキャスティングのポイント

ずばり「目力」。

 

③宋雲院のキャスティング

2013年の2021年も小泉今日子さん。
これはもう決まりですね。

 

④柳川にゆかりのある役者さん

陣内孝則さん、妻夫木聡さん、今田美桜さんなど。

 

一方、前回との相違点もいくつか。

①誾千代のキャスティング

誾千代は若くして亡くなったということもあってか、2013年からはだいぶ変化がありました。

 

②ジャニーズがいない

今回はアンケート回答者の範囲が限られていたせいもあると思います。

 

いずれまた、もっと広くみなさんにご回答いただけるような
妄想キャストアンケートを実施する機会を設けたいと思っています。

そのときまでに、みなさんもぜひ、妄想力を全開にして
「立花宗茂と誾千代」大河ドラマのキャストやシナリオを考えておいてください。

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立花家の令和コンビ

2019/4/23

5月1日からの新元号が「令和」と発表されて
3週間と少し経ちました。

今年のゴールデンウィークは長いお休みだし
令和ゆかりの地めぐりでもしてみようか
という方もいらっしゃるでしょう。

全国各地に令和ゆかりの地があるようですが
その中でも今人気が高いのは太宰府でしょうか。
新元号が発表されてからというもの
人々が押し寄せているとの噂を聞きました。

太宰府天満宮(立花家の古写真より)

 

 

 

 

 

 

 

 

令和にゆかりがなくてもいいけど
なんとなく令和が感じられる場所に行きたいな、という方に
ぜひおすすめしたい場所があります。
それはここ、柳川です。

 

 

 

 

 

 

実は歴代立花家当主の中に「なんとなく令和な」コンビを見出しました。

 

 

さて、ここでまずは新元号「令和」の出典をみてみましょう。

初春令月
気淑風和
梅披鏡前之粉
欄薫珮後之香

『万葉集』の「梅花の歌三十二首」の序だそうです。
この中で注目したいのが
初春の令「月」と白粉のような「梅」です。

 

立花家で「月」といえば、立花宗茂(立花家2代)。

 

 

 

 

 

 

 

 
月輪モチーフの甲冑を身に着けた戦国武将です。

鉄皺革包月輪文最上胴具足

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして「梅」といえば、戸次道雪(立花家初代)。

福厳寺蔵

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
戒名は「福厳寺殿梅岳道雪大居士」。
葬られた立花山養孝院は後に梅岳寺と改名されています。

 

 

 

 

 

 

 

つまり立花家の初代と2代は、なんとなく令和なコンビなのです。

令和コンビの2人

 

 

 

 

 

 

 

立花家の令和コンビにゆかりのものを見ることができるのが
柳川にある「立花家史料館」です。

7月15日まで開催している特集展示「刀を見る、伝来を知る 柳川藩主立花家伝来の刀剣」では
二人にゆかりのある刀剣を紹介しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まずは「梅」担当、戸次道雪ゆかりのこちら。

脇指 無銘(雷切丸)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戸次道雪が雷を切ったと伝わる刀です。
梅担当武将は、実は雷担当武将としての方が有名だったりします。

 

次に「月」担当、立花宗茂ゆかりがこちら。

【重要文化財】剣 銘 長光

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実父高橋紹運から譲り受けた剣です。
ほかにも、ずばり月モチーフの兜も展示しております。

伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「令和」とは特につながりませんが
なんだかおめでたい気分になる国宝もおすすめです。

【国宝】短刀 銘 吉光

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

令和ゆかりの地・太宰府から、令和コンビゆかりの地・柳川までは、西鉄電車が便利です。
太宰府観光列車「旅人」や、柳川観光列車「水都」で、素敵な旅をお楽しみください。

 

まもなく始まるゴールデンウィークには、「なんとなく令和」を感じる立花家史料館へ。
令和コンビゆかりの刀剣たちが、みなさまのご来館をお待ち申し上げております。

 

[おまけ]
毎年、館長の誕生日にオーダーするオリジナルケーキ。
今年は令和ケーキにしてみました。
宗茂の金地三日月図軍扇に梅の花が一輪。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

柳川藩士の末裔であるパティシエに作っていただきました。

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立花家の刀剣展に雷切丸登場!

2016/4/20

4月に入り、毎年恒例の刀剣展の季節となりました。

4月15日から始まった、今年の刀剣展は

特集展示「よくわかる刀剣のみかた-柳川藩主立花家伝来の刀剣-

です。

201604420_02

 

 

 

 

 

 

この展示では、脇指 無銘(雷切丸)をはじめ
国宝「短刀 銘吉光」や、重要文化財「剣 銘長光」など
初代柳川藩主・立花宗茂ゆかりの刀剣を中心に
立花家の歴史をものがたる刀剣と刀装具を紹介しています。

201604420_03

 

 

 

 

 

 

今年は国宝の吉光と重文の長光、それに雷切丸の
3口がそろって展示されていますが
実はこんな機会は、これから数年間はありません。

※追記
熊本地震の余震から文化財を保護するため
国宝「短刀 銘 吉光」と、重要文化財「剣 銘 長光」の
展示期間を制限することとなりました。
4月25日~4月28日、5月2日、5月6日は
どちらも展示しておりませんのでご注意ください。
その他の展示はご覧いただけます。(追記終わり)

※さらに追記
国宝「短刀 銘 吉光」と、重要文化財「剣 銘 長光」の展示期間を
6月5日(日)までに短縮することとなりました。
また6月5日までのうち、以下の日は展示しておりません。
5月10日、11日、12日、17日、19日、20日、26日、27日
6月3日
6月6日(月)からは、国宝「短刀 銘 吉光」と重要文化財「剣 銘 長光」に代えて
初代柳川藩主・立花宗茂所用の鑓2口を展示します。
既にご観覧予定をたてられていた方には大変申し訳ございませんが
何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。(さらに追記終わり)

 

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吉光の向こうに雷切丸。

 

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こちらは長光です。

他にも刀装具や刀筒などもありますが
こんなものもあります。

「御腰物由来覚写」

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立花家の刀剣の由緒が書かれたものです。
開いているページは、雷切丸の箇所。
江戸時代のものですが、比較的読みやすい字で書かれていますので
どうぞじっくり読んでみてください。

 

立花家史料館の展示室は撮影自由です。
ただし一脚や三脚などの使用と、フラッシュ等追加照明の使用は
他のお客様の鑑賞のさまたげとなりますのでご遠慮ください。

 

刀剣展開催に合わせて、新しいグッズも完成しました。

「雷切丸チケットホルダー」

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表面には脇指 無銘(雷切丸)と立花雷切丸くん。
これは2種類というわけではなく、表と裏です。

 

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ぱかっと開けると、雷切丸の説明。
そしてチケットを入れるスペースの他に
カードを入れるスペースが2箇所。

こちらの商品は、立花家史料館前の売店にて
378円(税込み)で販売しています。

 

刀剣展のチラシは、西鉄福岡(天神)駅と西鉄柳川駅のメディアボックスに
5月13日まで設置しています。

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近くをお通りの際は、ぜひ手に取ってご覧ください。

チラシの裏は、新聞の号外風で
これを読めば「雷切丸」の名前の由来がわかります。

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表面にいる、チケットホルダーにも描かれていた、このキャラクターは「立花雷切丸」くん。
雷切丸を擬人化した、当館オリジナルのキャラクターです。(twitterやってます
よくよく見ると、いろんな小ネタが仕込まれているので
じっくり探してみて下さい。

また「千鳥よ!この稲妻を斬ってみよ!!」のコピーは
柳川みのり幼稚園の次回劇の冒頭のセリフから、許可を得て、頂戴しました。

 

お得な情報をもうひとつ。

柳川古文書館の常設展「保存のかたち~史料を守り、伝える~」では
戸次道雪関連文書を特別に公開しています。

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(柳川古文書館の展示室は撮影禁止です。許可を得て撮影しました。)

立花家史料館と柳川古文書館で、道雪三昧しましょう。
このあと三柱神社に行けば、さらに完璧。

 

特集展示「よくわかる刀剣のみかた-柳川藩主立花家伝来の刀剣-」は7月4日まで。
みなさまのご来館を心よりお待ち申し上げております。

 

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豊後旅行記⑥ 先祖の寺、子孫の寺、そして滝

2013/8/9

鎧ヶ岳を後にした我々が次に向かったのは
戸次道雪の甥・鎮連(戸次家16代)の子である
戸次統常(17代)のものと伝わる墓のある常忠寺です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは豊後大野で活動されている「大友氏を顕彰する会」の事務局長さんがご案内くださいました。

統常の戒名は「常忠寺殿節宗義圓大居士」
天正14年に島津軍との戦いで亡くなりました。
立花家の過去帳には、天保6年に250回忌を行ったと書かれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お堂の左手奥に階段があるのですが
その下と上に五輪塔がいくつかあります。
中には戸次家初代・能直のものと伝わるものも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少し奥まった場所にありますので、
行かれる方は、この紫色の旗を目印に行きましょう。

 

次に向かったのは、常忠寺から一キロほど離れた場所にある勝光寺。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勝光寺は大友家初代・能直を弔うために建てられたお寺です。
能直は鎌倉時代の御家人で、戒名は「勝光寺殿豊州能連大禅定門」。

常忠寺のお位牌には「貞応2年11月27日」没とありました。
またまた立花家の過去帳によると、文政5年に常忠寺で600年忌が行われたそうです。
なお常忠寺には600年忌の石碑もあります。

能直関連がやたら常忠寺にあるような気がしますが、
これは能直が亡くなったのも墓があるのも常忠寺だと、言い伝えられてきたからでしょうか。
もちろんここ勝光寺にも能直ゆかりと伝わる石塔類があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さな庭園もある勝光寺は、赤い旗が目印です。

 

旅の最後に向かったのは、豊後大野市歴史民俗資料館スタッフさんのおすすめ「原尻の滝」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

広がる麦畑の中に突如として現れるこの滝は、別名「東洋のナイアガラ」。
日本の滝100選にも選ばれています。

滝の下流にある吊り橋から全景が見えるというので、いざ吊り橋へ。
と思ったら、滝の上流に不思議な光景が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

川の中に鳥居。

少し目を移すと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(キリンビール用の)麦畑に鳥居。

これらは、近くにある二ノ宮神社の鳥居。
この辺りには源平争乱期に緒方を拠点として活躍した緒方三郎惟榮の建立と伝わる
一ノ宮八幡宮・二ノ宮八幡宮・三ノ宮八幡宮があります。
一ノ宮八幡宮には仲哀天皇(父)、二ノ宮八幡宮には応神天皇(子)、
三ノ宮八幡宮には神功皇后(母)が祀られており
年に一度11月の下旬に、父と母が子のいる二ノ宮にやってきて、親子水入らずで一夜を過ごします。
これが「緒方三社川越しまつり」です。
祭では、三ノ宮と一ノ宮の御神輿が二ノ宮に集まるのですが
三ノ宮は川の向こうにあるため、二ノ宮に行くには川を渡らねばなりません。
11月の寒い夜に褌姿の男衆が御神輿をかついで川を渡るというその祭の様子は、さぞや勇壮でしょう。

 

そんな話を聞きながら、吊り橋へ到着。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結構長いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東洋のナイアガラを一望できる橋の中間付近。
広がる景色は壮大。
滝壺を遊覧するボートもあるようで、夏はいいかも。

 

滝の見学を終えたら、今回の旅もいよいよおしまい。
滝近くにある緒方駅へ戻ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お世話になった豊後大野市歴史民俗資料館の方々とお別れして
帰りの電車を待ちます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅員さんと駅猫さんが、同じ方向を見つめていました。
この駅猫さんは人に馴れているようで、近づいても逃げませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さあ、電車がやってきました。
江戸時代の道雪顕彰の旅は、当然ながらずっと歩きでしたが(豊後旅行記①参照)
現代版道雪顕彰の旅では、ずっと電車移動でした。
ここから豊肥本線で大分駅へ、そして特急で福岡へ帰ります。

 

一泊二日ではありましたが、我々にとっては実りある旅となりました。
しかしながら今回行けなかったところが まだまだあります。
2回目の旅を企画する所存ではありますが、さていつのことになるか。

 

そしてこれを書き終えた今、やっと旅が終わった気分です。
諸事情により長々とかかってしまいましたが、
お付き合いくださった皆様、ありがとうございました。

 

おわり。

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豊後旅行記⑤ ミッション・イン・豊後大野

2013/8/1

緒方駅に到着し、さてまずは豊後大野市歴史民俗資料館へ。
と思って駅を出たら、資料館のスタッフの方々が車で迎えに来てくださっていました。

電車の時間の都合で、私たちの豊後大野での滞在時間が少ないため
大変ありがたいことに、時間短縮を図ってくださったようです。

 

豊後大野でのミッションその1。
「戸次道雪寄進と伝わる鰐口を見に行く」

その鰐口は、大野町の上津神社の宮司宅に伝わっています。
お宅にお邪魔すると、強面だけどとても気のいい大分弁ばりばりの宮司さんが、早速見せてくださいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鰐口とは、神社仏閣の正面の軒に、布で編んだ縄と一緒に吊して
その縄でたたいて音を鳴らすためのものです。
この鰐口には永禄12年に戸次道雪奉納、祭礼奉行が由布惟人と記されており
大分県の文化財に指定されています。

ここにはもうひとつ、金弊も伝わっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

永禄4年、寄進者は戸次道雪と記されています。
こちらは豊後大野市指定文化財です。

宮司さんのお話を聞きながら、
豊後大野市歴史資料館スタッフさんと共に、バシバシと写真を撮ったり
宮司さんのお母様手作りの煮物をおいしくいただたりして
上津神社へ移動。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

案内板によると、上津神社の開基は203年、
724年に応神天皇・神功皇后を勧請して上津八幡大神と号したとのこと。
その後もいろいろな人がいろいろなものを寄進していますが
1461年には、鎧ヶ岳城主・戸次親載(戸次家9代)が一の鳥居を寄進。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どっしりした造りの鳥居です。
こちらも大分県指定文化財
元はこのずっと上の山頂に社殿があったそうですが、
参拝するのに不便なので、昭和42年に麓の現在地に移転したらしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鰐口や金弊を寄進した道雪(戸次家15代)も登ったと思われる、昼なお暗い山頂への道。
これは確かに参拝には不便かも。

今回は先を急ぐ旅なので、ここは登らずに(急がなくてもあまり登りたくはない山道)
次の目的地へ向かいます。

 

豊後大野でのミッションその2。
「鎧ヶ岳に行く」

立花家の系図によると、戸次道雪の誕生地は
「豊後大野郡藤北鎧ヵ嶽ノ城中藪河原之舘」とあります。
現在までに藪河原の館はおろか、鎧ヶ岳城についても、正確な位置などはわかっていません。
これから研究が進めば、詳細がわかるときがくるかもしれませんが
今回はとりあえず鎧ヶ岳の登山口を目指します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当然ながら結構な山道。
向こうに見える山が鎧ヶ岳。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

登山口への途中、車から降りて景色を眺めると、まさしく「下界」といった展望です。
こういう所にある城なら、戦のときにはとても役立つかも。
狼煙とかあげてみたいなと思いながら再び車に乗り込み、登山口への道へ戻ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして着いたここが、鎧ヶ岳の登山口。
標高は847m(ちなみに立花山は367m)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実際に登って確かめたわけではありませんが、
途中は鎖場もあるような急勾配があり、頂上は少し開けているようです。
でも道雪の生まれた藪河原の館は、ここら辺ではなくてもっと麓の辺りにあったんでしょうね、
とみんなで話しながら鎧ヶ岳(登山口)を後にしました。

鎧ヶ岳と、そこからの景色を実際に見ることができたことは
本当によい経験となりました。

 

つづく。(次回やっと最終回)

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