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〚館長が語る5〛立花宗茂、柳川藩主への復活

2024/7/1
立花宗茂[1567~1642]

宗茂は、関ケ原合戦で敗軍の将となり、慶長6年(1601)に浪人の身となりました。









5年の月日が流れ、慶長11年(1606)9月ようやく2代将軍秀忠に拝謁が叶いました。長年の浪牢生活を終え、奥州南郷(現在の福島県棚倉町付近)に1万石の領知を与えられ、大名という身分に復帰することができたのです※。

※ 徳川将軍の家臣のうち、知行高1万石以上からが「大 名」となり、1万石未満のものは「直参 ジキサン」と呼ばれます。


さらに慶長15年(1610)、宗茂は加増を受け、領地高は3万石となります。

2010年「宗茂」の名乗りから400年を記念して
御花史料館(現立花家史料館)で特別展を開催

実は、これまで煩雑さを避けるため、立花宗茂という名に統一して書き進めていますが、正式に「宗茂」と名乗るのは、この年からなのです。

旧家臣に送った加増を知らせる書状に「かたじけなき仕合せ、御推量あるべし」と書いているように、このめでたい加増を喜んだ宗茂は、この機に改名したことが想像されます。










「宗茂」の名乗りから400年記念特別展「立花宗茂」
[2010.11.13~2011.1.10] ポスター

これまで、波乱に満ちた人生の運気を切り開こうとするが如く、統虎 ムネトラ、宗虎 ムネトラ、正成 マサナリ、親成 チカナリ、政高 マサタカ、尚政 ナオマサ、俊正 トシマサ、と次々と名を変えてきましたが、「宗茂」となってからは生涯この名を使い続けます。


南郷に領知を得た後も、将軍の側近く仕えるため江戸を離れることがあまりなかった宗茂に代わって、家臣の由布 ユフ 惟次 コレツグ、斎藤統安 ムネヤス、十時 トトキ 惟昌 コレマサ、因幡宗糺 ソウキュウらが在地で支配に当たっていました。

この頃の宗茂は、秀忠の警護や江戸城の守衛としての役にあったようです。

慶長19年(1614)の大坂の陣では将軍の軍事的相談役を務めたと言われるように、武人として高い信頼を得ていたことが想像されます。


関ケ原合戦ののち、筑後国は田中吉政の領地となりましたが、2代忠政は跡継ぎがないまま没してしまったため田中家は改易されることになり、宗茂は欠国となった筑後の柳川へ再封の決定が下されることになったのです。

この再封がなぜ実現したのか、ひと言では説明できませんが、宗茂のそれまでの実直な生き方と彼を支えた人々との絆がこの奇跡の復活に導いてくれたものと思います。

慶長5年(1600)の柳川城開城からちょうど20年後、再び大名として 柳川城へ入城したのです。

柳川再封400年記念特別展「復活の大名 立花宗茂」
[2020 .12.4~2021.2.7] フライヤー



宗茂54歳の早春、激動の時代をくぐり抜け、静かに力強く柳川藩10万9千石の大名家当主として新しい時代が始まったと言えるでしょう。




これまでに開催された立花宗茂をメインテーマにすえた特別展は3回。上記節目のほか、宗茂生誕450年を記念した「立花宗茂と柳川の武士たち」[ 2017.12.9~2018.2.4]が、柳川古文書館と立花家史料館とで共催されました。
このとき当館が作成したDVD版電子図録が、現在入手可能な唯一の展覧会図録となります。本図録では、両館の学芸員による詳しい解説とともに、宗茂と立花家家臣団の足跡をたどる文書資料と、武具甲冑などの美術工芸品とを、デジタルならではの高精細画像で楽しめます。

特別展『立花宗茂と柳川の武士たち』DVD電子図録を販売中






文: 植野かおり(公益財団法人立花財団 立花家史料館 館長)
イラスト:大久保ヤマト(漫画家・イラストレーター)
ホームページ「猛将妄想録」http://mousouroku.cocolog-nifty.com/blog/


「立花宗茂と誾千代」NHK大河ドラマ招致委員会では、二人を主人公とした大河ドラマ招致活動の輪を拡げていくため、応援する会を発足し、相互交流、情報発信をしています。

入会金や年会費などは必要ありません。
ぜひ、一緒に招致活動を盛り上げていきましょう。

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伯爵の方の立花家

2019/2/9

去年9月に始まった、朝ドラ「まんぷく」で
安藤サクラさん演じる主人公の名前は立花福子。
この朝ドラ効果により、どうやら現在のところ一番勢いのある立花家は
萬平さんと福ちゃんの立花家のようです。

そこで今回は、他にこんな立花家もありますよというアピールとして
江戸時代には柳川藩主であった、伯爵の方の立花家を紹介してまいります。

 

伯爵の方の立花家で最初に伯爵になったのはこの人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

立花寛治(たちばな ともはる)、立花家14代当主です。

農業で地元や国に貢献するという志を持ち
私財で柳川に農事試験場を開きました。

農事試験場で栽培されたブドウ

 

 

 

 

 

 

 

 

農事試験場では種苗交換会や農産物品評会を行い
農事の発展につとめました。

柿の出荷準備

 

 

 

 

 

 

 

 

東京にある屋敷を、上京した学生のための寄宿舎にしたりと
教育・育英事業の分野に力を入れたりもしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悪いものは体に入れない主義で
お酒や煙草は口にしなかったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、伯爵の方の立花家は犬が好きなので
この後の写真にも頻繁に犬が登場します。

 

寛治の次の伯爵はこの人

 

 

 

 

 

 

 

立ち姿が渋い、立花鑑徳(たちばな あきのり)
立花家15代当主です。

 

伯爵の方の立花家は、ラーメンではなく蜜柑を作っていました。

 

 

 

 

 

 

 

鑑徳が開墾した広大な蜜柑園「橘香園(きっこうえん)」では
あの千疋屋でも取り扱われるような優良な蜜柑を育てていました。
橘香園は、現在も立花家の手によって運営されています。

橘香園開墾の様子

 

 

 

 

 

 

 

鑑徳の妻、艶子は田安徳川家の出身。

田安徳川家家族写真 後列右端が艶子

 

 

 

 

 

 

 

 

艶子の父は田安徳川家9代当主、徳川達孝。
徳川宗家16代、徳川家達の実弟にあたります。

 

鑑徳と艶子の娘、文子は明治43年に生まれました。
萬平さんのモデルとなった安藤百福さんが生まれたのと同じ年です。

右が文子 左は寛治の妻・鍈子、手前はスーちゃん(犬)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伯爵の方の立花家の一人娘はスポーツが得意。

 

 

 

 

 

 

 

家に作ってもらったテニスコートで練習に励み
昭和8年には全日本女子テニス選手権大会のダブルスで優勝しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな文子の元に、婿としてやってきたのが島村和雄。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

元帥 島村速雄の次男です。

島村家家族写真 左端が和雄

 

 

 

 

 

 

 

和雄も文子と同じくスポーツが得意で
スキーは共通の趣味でした。

後列右端が和雄、その隣が文子

 

 

 

 

 

 

 

朝ドラの福ちゃんたちも克子姉ちゃんの香田家や真一さんと行き来がありますが
伯爵の方の立花家にも、親戚が遊びに来ます。

 

 

 

 

 

 

 

このときに来たのは、和雄の弟妹たちと文子の従姉妹。
みんなで海水浴や釣りを楽しむ様子を写したフィルムが残っています。

 

伯爵の方の立花家は塩は作りませんが、潮干狩りは好きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

有明海の干潟で潮干狩りを楽しみます。
伯爵夫人も着物の裾をからげ、足袋着用で張り切って貝を探します。

右が伯爵夫人・艶子

 

 

 

 

 

 

 

和雄と文子に長男が生まれたのが昭和12年のこと。

初節句

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ご先祖の戦国武将・立花宗茂の宗と、鑑徳の鑑をとって
宗鑑と名付けられました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

華族制度の廃止により
伯爵の方の立花家が、元伯爵の方の立花家になったのは
宗鑑が小学生の頃のことでした。

 

そして戦後の立花家は、既成概念をぶち壊す発想で困難を乗り越え
今の立花家へと続いていくのですが
それはまたの機会にでも。

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レプリカ甲冑で、2人の宗茂誕生

2013/2/19

特別展「誾千代姫伝説と立花家記」が無事に開会式を迎えた数日後、
ほっと一息つく間もなく、機上の人となり一路東京へ。

 

立花家史料館所蔵の甲冑類の修復をいつもお願いしている西岡甲房に、
宗茂所用具足の着装用レプリカ制作をお願いしていたのですが、
このたびそれが完成したとのことで、今回はその仕上がりを見にきたのです。

 

折しもその日は雪と人身事故の影響で、ダイヤは大幅に乱れ
寒風吹きすさぶ東京駅のホームで、長々と電車を待つことに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで予定をだいぶ過ぎて、神奈川県某所にある西岡甲房に到着。
室内にお邪魔するとそこには

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本物と見まごうばかりの甲冑が鎮座していました。
博物館の着装体験プログラム用ということで
鉄・漆など本物と同じ材料で出来ています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぴかーんと光る輪貫の漆。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後立の鳥毛は、本物と同じ久連子鶏の羽根を用いています。
光の加減で玉虫色に輝きます。

 

 

 

 

 

 

 

刀は立花宗茂所用といわれる重要文化財「金熨斗刻鞘大小拵」をもとに
作っていただきました。

 

そして今回この出来たてほやほやの甲冑を着るのは
立花家17代当主にして、立花家史料館館長・立花宗鑑です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

着せ着けてもらっている姿が殿様っぽい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

臑当(すねあて)、佩楯(はいだて)、籠手(こて)と着けていき

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

胴を着ける頃には、表情が心なしか凛々しくなっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

面頬と兜を着けたら、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

立花宗茂のできあがり。

 

「皆の者、これより軍議を行う」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天草・島原の乱の頃の宗茂(当時72歳)は、こんな感じだったのかな。

 

さて次に着るのは、立花家18代(次期当主)の立花宗和氏。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やっぱり胴を着けると凛々しい顔に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

青年立花宗茂のできあがり。
さすがは190cm超の高身長だけあって、よく似合います。
こちらは関ヶ原の戦いの頃の宗茂?

 

重さは全体を合わせると、ずっしりの12キロ余り。
本物の材料を使っているので
動いたときに鳴る、がちゃっがちゃっという音が
軽い素材でできたレプリカとは全く違います。

これを着ると不思議とその気になるらしく
2人とも自らいろんなポーズをとって写真撮影をしました。

 

 

甲冑の素晴らしい出来栄えに、嬉しい気分のまま
その夜は室長と共に新宿の戦国居酒屋「戦国武勇伝」へ。

ドアをくぐると、当館特別展のチラシとご対面。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

広報にご協力いただき、ありがとうございます。
他にも甲冑さん達にお出迎えされました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つくづく甲冑に縁のある日です。

「戦の始まりじゃ!」「いざ参ろうぞ」

という店員さんのお迎えの言葉に、
ちょっと恥ずかしくなりながら通されたのは「福島正則」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メニューを開くと、裏メニューとしてこんなものが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

堂々と置いてあったので、本当に裏メニューなのかどうかはさておき、
真田幸村、伊達政宗ときたら、
3人目は当然立花宗茂でしょう!
67トリオでしょう!
と2人でつっこみつつ、せっかくなので「赤備えのHOTサングリア」と「勝利の大杯カクテル」を注文。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思った以上の大杯がきて、ちょっとびっくりしました。
さすがは前田慶次のお酒。

串物や蒸籠蒸しをたらふく食べ、その夜は万事満足してホテルへ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝、ホテル龍名館東京の多機能シャワーと睡眠環境システムのおかげで
すっきりと目覚め、まずは新しくなった東京駅へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

おのぼりさん気分を満喫。
その後、おしゃれタウン南青山にある「紅ミュージアム」へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紅ミュージアムは、江戸時代から続く紅屋である株式会社伊勢半
創業時からの紅作りの技を伝えるためのミュージアムです。

伊勢半の小町紅は、宗茂兜の鳥毛と同じ玉虫色をしており、
これを水に溶いて使うのですが、
その人の持つ唇の色を反映して発色するので
人によって発色が違うのだそうです。

そんな紅ミュージアムのスタッフさんとは、実は「戦国鍋TV」仲間。
初めてお会いした学芸員さんとも
食事をしながらの鍋トークが大変弾みました。
次はカラオケ(鍋縛り)行きましょうね、と約束して別れ、
すぐ近くにある根津美術館へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このときは「新春の国宝那智瀧図」が開催中で(現在は終了)
面白い仏教説話画がいろいろと出ていました。
国宝の展示方法や、ミュージアムショップなど、
参考にしたいこともあれこれあり、勉強になりました。

 

さて今回の旅はこれにておしまい。

その後、着装体験用のレプリカ甲冑は柳川に送られ、すでに到着しています。
初夏を目処に最初の体験プログラムをご用意したいと思っていますので、
もうしばらくお待ち下さい。

なおこの甲冑は、結婚式でもご利用いただけます。
詳しくは柳川藩主立花邸 御花・ブライダル部門までお問い合わせください。

 

 

[おまけ]

帰りの飛行機は嵐ジェットでした。

 

 

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白秋祭のおもひで

2011/11/18

白秋祭とは、柳川出身の詩人 北原白秋の遺徳を偲び、
その命日である11月2日をはさんでの3日間(11月1日〜3日)に毎年開催される祭です。

この3日間には、提灯や行灯で飾られた約110数隻のどんこ舟が
夜の堀をパレードします。
ステージでは白秋の童謡や歌曲が演奏され、
市民が花火やかがり火で迎える中を、舟はゆっくりと進みます。

立花家17代当主や、東京大学史料編纂所の山本博文先生、
作家の葉室麟先生など、錚々たるメンバーを乗せた
柳川藩主立花邸 御花の舟は、11月2日に出ました。

立花宗茂マップや御花マップのイラストを描いてくださった
ティンドラ・ドロッペさんもお招きしてお楽しみいただいたのですが
そのドロッペさんが、このときの思い出をすばらしい絵巻物にして
持ってきてくださいました。

20111118_01

きれいなラッピング。
紐は和物かと思ったら、北欧で購入されたものらしいです。
和と北欧って、不思議とマッチングするんですよね。

20111118_03

原画は半紙23枚をつないだ絵巻なのですが、
こちらはA4に縮小してからつないだもの。
全長6.5メートルにもなる大作です。

20111118_02

内容はこんな感じです。
素敵な絵と文章で、白秋祭の楽しい様子がほんわかと伝わってきます。
ドロッペさんのブログでは全ての絵をご覧いただけます。

「パレードの舟に乗ってみたい」と思った方は
柳川市観光協会のサイトへ。
来年の乗船申し込みを既に受付中です。

ドロッペさんの白秋祭絵巻は、
何らかの形で柳川藩主立花邸 御花内に掲示して
みなさんにもご覧いただこうと現在画策中。
しばしお待ちを。

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特別記念講演会その2

2009/1/6

11日に開催予定の特別記念講演会については、すでにお知らせしていますが、少し詳しくご紹介します。

講演会の後、演題「勇将たちの友情-立花宗茂と島津義弘-」にちなんで、講師の山本先生を囲んで、島津家32代当主島津修久氏、立花家17代当主立花宗鑑氏との鼎談会を予定しています。宗茂と義弘、この二人の武将の関係についてはとても興味深いお話がありますが、それはぜひ講演でお聴きいただきたいです。

そして、関ヶ原をむかえる立花家と島津家…となるのですが、それから409年後の今、両家の当主がそれぞれの思いを語るのが今回の鼎談です。これは不思議な偶然ですが、旧大名家の子孫で国許を本拠とし、株式会社組織として歴史資産を守り公開しているのがこの両家なのです。このようなケースは他ではあまりないと思うのです。

長ーい歴史のつながりを感じさせる講演会となりそうです。当日は立花宗茂のレプリカ兜の展示販売などもしています。まだお席に余裕がありますので、当日参加もできます。ぜひお越しください。

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