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こちらの鎧をキレイに畳んでご覧にいれましょう!

2023/8/16

今月30日(2023.8.30)19時から、3回目となるオンラインツアー「立花家伝来変り兜と畳胴具足の秘密-変り兜の仕組みを知る・畳胴具足を畳んでみる-」を開催します。 【終了しました】


今回は盛りだくさんの二本立!
「変り兜」と「畳胴具足」について、植野館長が徹底的に解説します。


前回は「変り兜」の見どころを紹介しました。
よろしければオンラインツアーの予習としてご活用ください。





続いて、オンラインツアーでしか成し得ない「畳胴具足を畳んでみる」を、声を大にして宣伝します。



「畳胴具足」または「畳具足」は、その名のとおり、折り畳める甲冑です。



「畳具足」といえば、足軽などの下級武士クラスがつかう、簡素なつくりの例が多いのですが、大名クラスの「畳具足」も存在します。

今回のオンラインツアーで取り上げるのは、「鉄黒漆塗骨牌鉄繋畳具足」。
柳川藩2代藩主・立花忠茂が島原の乱に持参したと伝わります。

実戦期における大名クラスの「畳具足」と「鎧櫃」の組合せは、ほとんど現存していない作例です。

今回のオンラインツアー付録ブックレット(B6版フルカラー24頁)より


では、みなさま。
この畳具足をたたんで、右下の鎧櫃にキレイに収めてご覧にいれましょう!



……ものすごくワクワクしませんか?
実は、学芸員のわたしも、はじめて見ます。
小さな鎧櫃に収まりきらないのではないかと、少し不安です。

折り畳むことは、『文化財の保存』の立場では推奨されません。
したがって、今回のオンラインツアーが最初で最後となります。



兜を折り畳むと、こんな感じ。


今回のオンラインツアー付録ブックレット(B6版フルカラー24頁)より

オンラインツアーでは、植野館長が実際に、兜から順々に畳んでいきます。畳み方について、リアルタイムで質問できる機会は、このとき限りです。



今回を見逃すと、次の機会はありません。
これは宣伝の誇張表現ではなく、その通りですので、ぜひ今回のオンラインツアーをご覧になっていただきたいと願っております。【終了しました】





*** ココまで知ればサラに面白い ***
学芸員として人前で作品解説をする際、ココまで知ればサラに面白くなるけれどと思いながらも、時間等の都合でフカボリせずに終わらせることは少なくありません。そんな、なかなかお伝えする機会のないココサラ話をお届けします。

2023.9.2改稿

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変り兜の実例は、現代人の想像より奇なり。

2023/8/13

今月30日(2023.8.30)19時から、3回目となるオンラインツアー「立花家伝来変り兜と畳胴具足の秘密-変り兜の仕組みを知る・畳胴具足を畳んでみる-」を開催します。 【終了しました】


今回は盛りだくさんの二本立!
「変り兜」と「畳胴具足」について、植野館長が徹底的に解説します。


オンラインツアーでとりあげる、立花家伝来の「変り兜」はこちらの4点。

どの兜も、ワクワクする造形です。



それぞれ形はちがいますが、土台の構造はだいたい共通しています。
「変り兜」を二次元で説明するのは難しいので、ぜひオンラインツアーにて、三次元の視点でご覧ください。

自由自在なカメラワークで「変り兜」を鑑賞できるのは、オンラインツアーならではの醍醐味です。

オンラインツアーでは、植野館長がリアルタイムで質問にお応えします。カメラの視点のリクエストも、時間が許す限り対応いたします。



実は、「変り兜」はとても難しい……

まず、定義が曖昧です。
そして、現存する作例の多くは、制作年代がわかりません。
今となっては、装飾や祭礼のために作られたものも入り混じっているので、実戦で活躍した「変り兜」の姿が隠されてしまっています。

つまり、研究の余地が大いに残されているのです。

そんな「変り兜」、オトナの自由研究にオススメです。
今回のオンラインツアーで「変り兜」の基礎を学べば、これからの人生をかけて楽しめる趣味が手に入ります。

わー、なんてお得! 今すぐ、申し込まなきゃ!【終了いたしました】





軽率にオススメした手前、「変り兜」の作例を、ちょっとだけご紹介します。
オンラインツアーの予習として、お楽しみください。




大名家伝来の「変り兜」の例として、土佐藩主山内家の伝来品は、数が多く、バリエーションも豊かです 。

高知県立高知歴史博物館のサイトの「あなたのかぶってみたい兜はどれ!?(変わり兜の解説)」で、とても楽しく、わかりやすく紹介されています。




また、福岡市博物館では、福岡藩主黒田家だけではなく、家臣の家に伝来した甲冑も定期的に展示されています。
図録に掲載されていない兜に出会えるチャンスなので、見逃せません。


例えば、「黒漆塗頭形熨斗前立兜」と「鉄錆地桃形鬼面前立兜」。


どちらも兜の鉢の形は変化させず、器物の形をした巨大な前立をつけています。
厳密には「変り兜」とは言えないかもしれませんが、十二分にインパクトがあります。


※画像がご覧になれない際はpic.twitter.com/2MT00JXfUr
「 黒漆塗頭形熨斗前立兜・紺糸威二枚胴具足・小具足付」(「黒田家の刀剣と甲冑展」
福岡市博物館 / Fukuoka City Museum X(旧Twitter)@fukuokaC_museum



「鉄錆地桃形鬼面前立兜・紺糸威胴丸具足」
おうちDE楽しめる3D福岡市博物館! (福岡市HP)より



底知れぬ「変り兜」の”沼” に、ようこそ。



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2023.9.2改稿

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大河ドラマ「立花宗茂」でぜひ見たい!家臣との絆のエピソード

2023/6/2

なぜ、立花宗茂の甲冑の袖が、小野家で伝えられてきたのでしょうか?




以前ご紹介した我らの大先輩、渡辺村男さんは、このように書いています。

※あとで解説しますので、読み飛ばしてかまいません。
 臨場感あふれる描写を、わたしだけが楽しむのは勿体ないので長めに引用しました。




小野成幸 小伝 

(中略)碧蹄館の役先鋒隊長の一人たり。午前の戦争中勇猛を振ひ敵を斬る事多し。時に 成幸 両袖あれば敵を斬るに邪魔となるを以て、之を切り捨てゝ奮戦せり。

宗茂 休息中 成幸 を招き 其奮闘抜群を賞す。且つ曰 鎧の袖なきは甚だ見苦しき也。故に軽き袖を与るを以て之を著けよ。又敵将の持ちたる団扇を与へて曰、之を以て部下を指揮せよと。成幸感泣して曰 之を以て功を建て其恩に報せんと。

正午の激戦 成幸 金甲の先鋒隊を率ゐ敵の本陣に突貫す。時に宗茂の隊は常に中堅を砕き直進し、其左右と後方とは浮田[引用註:宇喜多]小早川等の軍に委ね咸な殊死驀進す。其状恰も疾風の秋葉を払ふが如し。狼狽せる敵中一将あり、成幸 馬を躍らして之に薄る、遂に重囲に陥り戦死す。

其後 其子孫 唐団扇を以て家紋となし、又宗茂より賜ひし鎧の両袖は今尚之を保存すと云。(後略)

※表記は原文のままですが、漢字の旧字体だけは新字体に変換しています
渡辺村男 『碧蹄館大戦記 』大正11年(1922)民友社  246・247頁(下記の書誌163コマ目)

渡辺村男 著『碧蹄館大戦記』,渡辺村男,大正11.
国立国会図書館デジタルコレクション 〔 公開範囲:送信サービスで閲覧可能〕


小野成幸は、文禄元年(1592)に宗茂とともに朝鮮に渡った、2千5百の立花軍の一員でした。
翌2年(1593)1月、朝鮮漢城〔現在の韓国ソウル〕北方の碧蹄館における明軍との激戦の中で、成幸は動きの邪魔となった両袖を切り捨てます。

袖とは、両肩につける、鎧の一部品です。
甲冑の袖は、古くは矢を防ぐ盾となるように大型でしたが、火縄銃が主戦力となる16世紀末頃からは、動きやすさが重視されたのか、次第に小型化していきます。成幸も袖は無用だと思ったのかもしれません。

しかし、袖のない成幸を見た宗茂は、見苦しいからと、自分の鎧の軽い袖を与えて、着けさせます。

当時の鎧は、基本的に頭、胴、腕、股、臑を守る部品のデザインをそろえ、一式として着用するものでした。他は自分の鎧のまま、宗茂の袖をつけた成幸は、ちぐはぐに見えたはずです。

それでも、成幸にとって、 主君の袖は大きな誉れでありました。それに報いんと先鋒隊を率いて奮戦し、残念ながら戦死を遂げます。


この話の袖こそが、小野家に伝来した 「金白檀塗色々威壺袖」柳川古文書館所蔵) ではないかと考えられるのです。



なんとドラマティック!!
とても宗茂らしいエピソードだと、わたしは勝手に思っています。

忠義な家臣との絆を感じます。
そして、平和な儀礼の場ではない、厳しい戦いの合間に、袖を邪魔だと言う家臣に、見た目が悪いという理由で袖を与える、宗茂の空気の読めない大らかさがステキです。

刀や鑓ではなく、身に着ける防具をやりとりするなんて……
NHK大河ドラマ「立花宗茂」が実現したら、絶対にこのシーンは見たい!






主君の宗茂から拝領した袖に、 さらに主筋の大友家の家紋「杏葉紋」の金具が付いていたとしたら、成幸や小野家にとって、非常に大きな誉れであったと想像されます。だからこそ、本人の死後に異国の地から持ち帰られ、大切に伝えられてきたのでしょう。

「金白檀塗色々威壺袖」と「杏葉紋」については
この動画を150秒ご覧ください



実際、ともに小野家に伝来した具足の他の部分柳川古文書館所蔵)と、袖とを見比べても、全くスタイルが異なるため、袖だけを宗茂から拝領した話にも頷けます。さらに、唐団扇紋のついた指物も、具足と同じ櫃に納められて伝来しているのです。



袖のやりとりは本当にあったんだ! 村男さんは嘘つきじゃなかった!

わたしたちは、その場で見ていたかのように描写しながらも、引用元を明かさない村男さんの話を、話半分か四分の一に聞いていたので、2016年秋の”袖の再発見” は、とても嬉しい驚きでした。

喜びのあまり、おむかいの黒田屋菓子舗さんで、特注の袖ケーキまで作ってもらっちゃいました。

※とても素晴らしく、美味しかったケーキなので再掲しました。


村男さんが調査した100年前は、今では失われてしまった史料も残存していたのでしょうか?
小野家伝来の袖の存在も、宗茂と成幸のやりとりも、当時の柳川ではよく知られていたのかもしれません。

しかしながら、近代から現代にいたる間に、袖の話はいつしか忘れ去られてしまっていたのです。


実は、この袖のやりとりは、江戸時代の武具類の台帳に記録されていました。
逆に言えば、村男さんの著作以外では、武具類の台帳でしか確認できません。

現在確認できる、最も古い記録はこちらです。
武具類の台帳なので、前後のやりとり等は省略され、いたってシンプルです。

一、 御鎧  壱領
立斎様朝鮮御陣中御召 負箱ニ〆外箱入 
右者文禄年中於朝鮮御陣中 御袖小野喜八郎江被為拝領候 其後同御陣中ニ而御袖小田部新助進上仕 唯今之御袖ニ御座候

「御道具改御帳」(柳河藩政史料1011-2)  安永7年(1778) 柳川古文書館所蔵

朝鮮御陣中において、御袖を小野喜八郎へ拝領せられる。其の後、同御陣中にて、御袖を小田部新助が進上つかまつる。 唯今の御袖がそれである 。



ドラマティックさは全くなく、袖のやりとりが追加されました。



贈る方を白、贈られる方を黒にして図解すると、こうです。

小野成幸 ●←拝領―○ 立花宗茂 ■←進上―□ 小田部統房


小野喜八郎は小野成幸〔小野和泉守鎮幸の従兄弟〕のこと、小田部新助は小田部統房〔立花宗茂の姉妹の夫〕だと考えられます。
どちらも天正10年(1582)頃には戸次道雪の近臣として名前が確認でき、宗茂とともに朝鮮に渡っています。

■もっと知りたい方のために■
・小野成幸
白石直樹「新市史抄片150 宗茂の養子入りと戸次家家臣」(柳川市HP「広報やながわ」2017.12.1号)※リンクが繋がらない場合はタイトルで検索してください。
・小田部統房
堀本一繁「No.336 戦国時代の博多展8-安楽平城をめぐる攻防」(福岡市博物館HP > アーカイブズ > 企画展示
「小田部新介小伝(中略)碧蹄館役常に宗茂の左右に侍り作戦計画に参加せり(後略)」( 渡辺村男『碧蹄館大戦記 』1922 民友社)

●の袖は小野家に伝来した「金白檀塗色々威壺袖」柳川古文書館所蔵)。
となると、■の袖は立花家に伝来しているはずです。



伝来していました。
2010年の調査で、小田部家の家紋がつく大袖が、立花家に伝来してきたことが再発見されました。小野家の袖が再発見される6年前です。

黒漆塗本小札藍韋威大袖 立花家史料館所蔵


大名道具をあつかう史料館の学芸員にとって一番の醍醐味は、伝来してきたモノ史料と文字史料の相乗効果により、新たな知見が得られることです。

この袖のやりとりは、その最たる例だといえます。

小野家拝領の袖、小田部家進上の袖、わずかな文字史料をあわせると、村男さんのドラマティックさを超える、史実のファンタスティックさが見えてきます。
だからこそ、わたしはこのエピソードを映像化してほしいと願うのです。


それでは、皆さまの疑問にお答えします。
ドラマティックさを超えるファンタスティックさって、どういうこと?




※次回こそなるべく早くアップしますので、お待ちください。

参考文献
渡辺村男『碧蹄館大戦記 』1922 民友社、柳川市史編集委員会 編『柳河藩立花家分限帳(柳川歴史資料集成 第3集)』1998.3.20 柳川市

◆◇◆ 立花家伝来史料モノガタリ ◆◇◆
立花家伝来史料として、現在まで大切に伝えられてきた”モノ”たちが、今を生きる私たちに語ってくれる歴史を、ゆっくり読み解いていきます。

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立花宗茂に勝利をもたらした「摩利支天」

2023/5/22

NHK大河ドラマ「どうする家康」第19話(5月21日放送)のオープニングのアニメーションを見た瞬間、テンションがあがりました。


摩利支天だ! 


立花家史料館にとっては馴染みの深い神像なので、どのような扱われ方をするのだろうと、本編を食い入るように見てしまいました。
「どうする家康ツアーズ」恵林寺(山梨県甲州市)の不動明王像(武田不動尊)がとりあげられていたので、それに呼応させたのでしょうか。

* 武田不動尊について大変興味深い記事がありました。「武田不動三尊像について、学術的な新発見が公式発表されました... 」(恵林寺HP)/「武田不動尊にかかる新たな発見について」(甲州市HP)*



戦国時代、生きるか死ぬかの一瞬を生きた武将たちは、我が身の安泰や一族の存続を切実に願い、九万八千とも数えられた神や仏を頼みにしました。


立花宗茂もさまざまな加護を願っていたことが、残された護符類から推測されます。特に目を引くのが、宗茂が自身の守護本尊としていた、摩利支天への信仰です。

摩利支天は、陽炎が神格化したもの。光により自らを見えなくする「隠形」の効能を特徴とします。
実体のない光は、捕まえられることも傷つけられることもなく、まっすぐに進んでいくのです。

戦国時代には、戦勝の神として、武士たちから篤く信仰されていました。


こちらの 三神が描かれた掛軸をご覧ください。

軍神掛物(部分) 絹本着色 縦61.1×横31.5㎝

立花宗茂が、戦の陣中に持参したものと伝えられてきました。
陣中に持参しやすい感じの、すこし小ぶりの掛軸です。

* 当館での過去の展示の様子から、大きさが伝わるでしょうか *

各像の姿や持ち物から判断して、猪に乗った中央の神像は摩利支天、軍馬に乗った甲冑姿の神像は将軍地蔵(勝軍地蔵)、笏を手にした右の神像は、高野山の鎮守である高野明神とみられています。

このような三神の図像は、他にあまり例を見ない組み合わせです。


そして、摩利支天に注目!!

顔が3面、腕が6本ある男神で、弓矢や金剛杵を持ち、1頭の猪の背に座った姿で描かれています。

しかし、NHK大河ドラマ「どうする家康」に出てきたのは女神でした。

実は、摩利支天は古代インドの女神に由来するのですが、日本では平安時代から、男神としても描かれるようになりました。

猪に乗っている姿で描かれる例が多く、猪が7頭に増える場合もあります。
突進する猪の素早さに、災いを払い除けて進む「光」のイメージが重なるのでしょうか。


光といえば、このキラメキ。

現存する立花宗茂の甲冑2領 「鉄皺革包月輪文最上胴具足」と「伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足」には、どちらも大輪貫頭形兜に鳥の羽根で作られた飾り(鳥毛後立)が付いています。


わたしは、この鳥毛後立のキラメキを見るたびに、摩利支天を連想します。
金をつかわず “輝く光” をあらわすのに、このニワトリの羽根はもってこいではないでしょうか。



* 以前、このニワトリの羽根について、フカボリしました *





この鳥毛後立の羽根のキラメキは、展示ケースのガラス越しでは見えにくいので、常々はがゆく思っておりました。

今回のオンラインツアー【終了しました】は絶好の機会です。是非、様々な角度から見るキラメク鳥毛後立をご堪能ください。

オンラインツアー「立花宗茂の甲冑大解剖Ⅱ~すべて魅せます!表も裏も細部まで~」(2023.6.2開催)では、「鉄皺革包月輪文最上胴具足」の内側や細部を植野館長が直接カメラで撮影しながら解説。付録ブックレット(B6版フルカラー 24頁)も大充実。他の武将の当世具足を鑑賞するときにも必携の書となるはずです。



立花宗茂と徳川家康の年齢差は、約四半世紀。

いろいろ違いはありますが、信じるところは同じなのかなと、放送を見ながら感慨にふけりました。ただし、家康さんの摩利支天信仰については、今回のドラマで見ただけですので、あとでちゃんと調べます。



◆販売中◆  大輪貫鳥毛後立兜のモチーフを刺繍した「宗茂兜ミニタオルハンカチ」ができました。 使いやすく、上質なタオルです。





参考文献
高野山霊宝館仏に関する基礎知識:摩利支天」( > 収蔵品紹介 > 仏に関する基礎知識 )、吉田典代「 摩利支天をめぐる言説と美術 : 日天との関わり」(『研究年報』 65号 2019.3 學習院大學文學部)

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兜の脇立をはずせますか? 立花宗茂の月輪脇立

2023/1/18

当世具足と組み合わされる兜、その両脇につく飾りを「脇立」といいます。
わたしが甲冑を展示する際に、最も神経をとがらせるのが、「脇立」をはずす時です。

脇立がどのように付いているのか? どうやって外すのか?


実際にはずす動作を見るのが一番わかりやすいので、オンラインツアー【終了しました】でご覧いただきたい。これこそ通常の展示室では不可能な、オンラインツアーの醍醐味!滅多にない機会です。


簡単にいうと、兜の両脇に出ている角元に脇立を差し込んで付けます。



大輪貫鳥毛後立頭形兜(伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足)

写真の脇立は、金属製だと誤解されがちですが、実は薄くて軽い木製です。黒漆が塗られ、鏡面のように仕上げられています。上部中央の蝶番により、半分に畳んで収納できます。

脇立の下部にご注目ください。角元が少し覗いているのが分かるでしょうか。

脇立を兜に装着する際は、真上から差し込みます。ただし、力まかせに押し込むと、抜けなくなる可能性があります。繊細な文化財を保護しながらの展示作業では、押し込むより引き抜く方が、コツが必要で難しいのです。

しかし、角元がみえると見栄えが悪いので、無理のない範囲で押し込まないといけない……これは前立や後立、頭立にはない、脇立だけにある葛藤です。



当世具足より以前の甲冑には脇立が付くことがないので、脇立を外した経験がある学芸員さんも、意外と少ないのではないでしょうか。学芸員でも、兜から脇立を外す瞬間を見る機会は希少だといえます。



脇立の外し方を一例でも知っていると、他の武将の脇立を鑑賞するのがサラに楽しくなります。



例えば、「銀大中刳大盔旗脇立頭形兜」(福岡市博物館所蔵)も、基本的な造りは同じなので、素材や構造を推測できます。だからこそ、大きな脇立を支える角元の形や、外した脇立を収納する箱についての疑問がサラに生じ、本当に楽しいです。



この楽しみを分かち合える方々が増えると嬉しいので、今回のオンライツアーを強くオススメいたします。



◆販売中◆  解説本『立花宗茂の甲冑大解剖』(伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足 ) 330円/解説本『立花宗茂の甲冑大解剖Ⅱ(鉄皺革包月輪文最上胴具足) 500円 (どちらも税込・送料別)  展示室では鑑賞しずらい裏面や細部の拡大写真とともに詳細な解説を掲載。 B6判 全16ページ オールカラー  ※まとめての購入は送料がオトクです

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2023.5.12改稿/2023.9.2再改稿

オンラインツアー「立花宗茂の甲冑大解剖~すべて魅せます!表も裏も細部まで~」 (2023.1.27開催) は、オンラインだからこそできる内容を目指した当館初企画です。第1回目は「伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足」。展示中の甲冑を脱がせながら、裏側をのぞいたり細部に肉迫したりと、植野館長が直接カメラで撮影をしながら解説します。付録の「立花宗茂の甲冑大解剖解説冊子」(B6版16頁オールカラー)も充実しているので、例えば徳川家康とか、他の武将の当世具足を鑑賞するときにも必ずお役に立つことでしょう。

オンラインツアー「立花宗茂の甲冑大解剖Ⅱ~すべて魅せます!表も裏も細部まで~」(2023.6.2開催)では、「鉄皺革包月輪文最上胴具足」の内側や細部を植野館長が直接カメラで撮影しながら解説。付録ブックレット(B6版フルカラー 24頁)も大充実。他の武将の当世具足を鑑賞するときにも必携の書となるはずです。

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立花宗茂はニワトリの羽根で兜を飾っていた?![後半]

2023/1/15

宗茂の視点でニワトリを見るために、時間をさかのぼってみます。





現存する日本最古の書『古事記』(上巻 天の岩屋)に記される「長鳴鳥」は、鳴くことで太陽の出現をうながすところから、ニワトリを指すといわれます。
闇夜が終わり、光輝く朝が来たことを告げるニワトリは、霊鳥として崇められていたようです。

イメージ参考図
  狩野英信「中諫鼓鳥左松旭右竹月図」 江戸時代中期 当館蔵



また、雄鶏同士を戦わせる闘鶏「鶏合わせ」の歴史は上代から始まります。時には、『平家物語』にみられるように、「鶏合わせ」で命運を占うこともあったようです。室町時代以降、闘鶏はさらに盛んになり、賭け事の対象ともなって広まっていきました。

現代っ子で食いしん坊のわたしは、卵や肉を食べる対象としてニワトリを見てしまいます。ですが、400年前の宗茂が見ていたニワトリは、明るい朝が来たこと告げ、勇ましく戦う、美しい鳥であったのでしょう。

* 例えば、宗茂より150年ほど後の絵師、伊藤若冲の代表作「絹本著色動植綵絵」【国宝】(国所有 宮内庁三の丸尚蔵館保管)のニワトリも、色鮮やかな美しさと力強さをもって迫ってきます*



久連子鶏などの日本鶏の一部は雑種化されることなく個性が守られ、今も大切に育てられています。容姿の良さ、声の美しさや長鳴性、報晨の正確さ等の長所が育まれ、闘うための強靭さや胆力を養われた日本鶏たちは、まさに芸術品ともいえます。





しかし、そのなかでも、宗茂の兜を飾る羽根のような、玉虫色に輝くほどの艶がある黒色で、幅が広く、ふんわりとカーブする、長めの尾羽をもつ種は、久連子鶏以外には見つけられませんでした。

宗茂と、当時の久連子地区との接点はなさそうなので、400年前には似た尾羽をもつ他の種も存在していたのでしょう。候補の1つとして、鹿児島の幌鶏の系統を考えていますが、すでに絶種しているため確かめる術がありません。



宗茂の兜の羽根(鳥毛後立)は確かにニワトリの羽根ですが、聞くのと見るのとでは全くイメージが変わるはずです。是非オンラインツアー【終了しました】で、芸術品のような日本鶏の中から宗茂が選びぬいた、美しい尾羽をお確かめください。



新たな日(時代)の到来を告げる、美しさと強さを兼ね備えたトリの羽根は、まさに宗茂にふさわしく、見た目と意味のトータルでみても、抜群のセンスではないでしょうか。



余談になりますが、この宗茂の鳥毛後立をご覧になった上で、同じく鳥毛を兜の立物として使用する、宗茂より4歳年長の細川忠興(1563-1645)所用の兜の「山鳥尾羽の掴指」(黒糸威横矧二枚胴具足)を鑑賞されると、いろいろと考察がはかどるのでオススメです。



◆販売中◆  解説本『立花宗茂の甲冑大解剖』(伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足 ) 330円/解説本『立花宗茂の甲冑大解剖Ⅱ(鉄皺革包月輪文最上胴具足) 500円 (どちらも税込・送料別)  展示室では鑑賞しずらい裏面や細部の拡大写真とともに詳細な解説を掲載。 B6判 全16ページ オールカラー  ※まとめての購入は送料がオトクです

◆販売中◆  大輪貫鳥毛後立兜のモチーフを刺繍した「宗茂兜ミニタオルハンカチ」ができました。 使いやすく、上質なタオルです。




参考文献
『古事記』上巻「天の石屋②」(古事記ビューアー/國學院大學「古典文化学」事業)、尾崎士郎『現代語訳 平家物語 下』青空文庫文化遺産オンライン(文化庁)、黒田智「ニワトリ 神意を告げる霊鳥」(中澤克昭 編『人と動物の日本史2歴史のなかの動物たち』2009.1.10 吉川弘文館)、日本家禽学会HP「日本鶏の紹介」、小山七郎『日本鶏大観』1979.4.15 ペットライフ社

*** ココまで知ればサラに面白い ***
学芸員として人前で作品解説をする際、ココまで知ればサラに面白くなるけれどと思いながらも、時間等の都合でフカボリせずに終わらせることは少なくありません。そんな、なかなかお伝えする機会のないココサラ話をお届けします。

2023.5.12改稿/2023.9.2再改稿

オンラインツアー「立花宗茂の甲冑大解剖~すべて魅せます!表も裏も細部まで~」 (2023.1.27開催) は、オンラインだからこそできる内容を目指した当館初企画です。第1回目は「伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足」。展示中の甲冑を脱がせながら、裏側をのぞいたり細部に肉迫したりと、植野館長が直接カメラで撮影をしながら解説します。付録の「立花宗茂の甲冑大解剖解説冊子」(B6版16頁オールカラー)も充実しているので、例えば徳川家康とか、他の武将の当世具足を鑑賞するときにも必ずお役に立つことでしょう。

オンラインツアー「立花宗茂の甲冑大解剖Ⅱ~すべて魅せます!表も裏も細部まで~」(2023.6.2開催)では、「鉄皺革包月輪文最上胴具足」の内側や細部を植野館長が直接カメラで撮影しながら解説。付録ブックレット(B6版フルカラー 24頁)も大充実。他の武将の当世具足を鑑賞するときにも必携の書となるはずです。

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立花宗茂はニワトリの羽根で兜を飾っていた?![前半]

2023/1/11

立花宗茂の兜を飾るニワトリの羽根について、フカボリします。

現存する立花宗茂の甲冑は、当館所蔵の2領 「鉄皺革包月輪文最上胴具足」と「伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足」です。どちらも兜に鳥の羽根で作られた飾り(鳥毛後立)が付いています。

鉄皺革包月輪文最上胴具足
永禄~天正年間頃
伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足
慶長5年(1600)直前頃



















ただ、動物性の素材は経年劣化が進みやすく、今の羽根飾りは、20年程前の修理時に補修されたものです。残されたわずかな羽根を頼りに探し求めた末、熊本県八代市の久連子鶏(熊本県指定天然記念物)の尾羽と近しいことが分かり、同地区の保存会の皆様のご厚意により貴重な尾羽をご恵贈いただきました。

久連子鶏 雄(写真提供 八代市)
久連子鶏 雄・雌(写真提供 八代市)


このお陰で、光を受けて玉虫色に輝く鳥毛後立が再現され、宗茂の勇姿がイメージしやすくなっています。

つまり、宗茂の兜の羽根(鳥毛後立)は、ニワトリの尾羽を束ねたものです。

現代の修復時には貴重な久連子鶏の尾羽を使わせていただきました。
しかし、400年以上もの昔の人物である宗茂が、希少だからという理由で、自分の兜を「久連子鶏の尾羽」で飾ったわけではありません。



久連子鶏は、平安時代に日本に渡来してきた小国鶏等を基とする、古い日本鶏種です。九州の秘境と呼ばれる五家荘久連子地区では、平家の落人たちが都を偲んで舞ったと伝わる「古代踊り」が連綿と踊り継がれてきました。そこでかぶる花笠は、長さ40cmほどの久連子鶏の雄の尾羽300枚以上がつかわれ、顔を隠すほどもっさりと飾られています。

久連子古代踊り(写真提供 八代市)

踊りに欠かせない、黒く長い尾羽のため、久連子鶏も大切に伝承されてきたのです。


関係者の方々が大変なご苦労を重ねてきた結果、久連子鶏は現在まで保存されましたが、近代化による外来種の流入や交通網の発達が、他の多くの日本鶏を雑種化させ、絶種させてしまいました。


裏を返せば、宗茂の生きていた戦国時代において、日本鶏は珍しくない家禽であったはずです。


ニワトリといえば外国鶏種のブロイラーを思い浮かべてしまう現代っ子のわたしには、兜の飾りに「ニワトリの羽根」を選ぶセンスは、すんなりとは受け入れ難い……



それでも実物は、一見すると黒単色ですが、光を受けるとキラキラと輝き、とても美しいのです。



この美しさは、展示ケースのガラス越しでは伝わらず、歯がゆく思っておりました。だからこそ、今回のオンラインツアー【終了しました】は絶好の機会です。
ぜひとも、宗茂のセンスの良さをつぶさにご見聞ください。

◆販売中◆  解説本『立花宗茂の甲冑大解剖』(伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足 ) 330円/解説本『立花宗茂の甲冑大解剖Ⅱ(鉄皺革包月輪文最上胴具足) 500円 (どちらも税込・送料別)  展示室では鑑賞しずらい裏面や細部の拡大写真とともに詳細な解説を掲載。 B6判 全16ページ オールカラー  ※まとめての購入は送料がオトクです






それでは、美しいというだけで、宗茂はこの羽根を選んだのでしょうか?
宗茂がどのようにニワトリを見ていたのか、さらにフカボリしてみます。




参考文献
八代市HP「久連子鶏」、八代市HP「久連子の古代踊り」、熊本県HP「久連子鶏」、日本家禽学会HP「日本鶏の紹介」、農林水産省HP 広報誌AFF 2016年12月号「特集1とり」、今村安孝「久連子古代踊りと久連子鶏-ヒトとニワトリの関わりと久連子鶏のルーツ」(『畜産の研究』第59巻第3号 2005.3.1 養賢堂)、松崎正治・山下裕昭「熊本県のニワトリ遺伝資源」(『動物遺伝資源探索調査報告書』第16号 2006.3.31 農業・食品産業技術総合研究機構農業生物資源研究所)

*** ココまで知ればサラに面白い ***
学芸員として人前で作品解説をする際、ココまで知ればサラに面白くなるけれどと思いながらも、時間等の都合でフカボリせずに終わらせることは少なくありません。そんな、なかなかお伝えする機会のないココサラ話をお届けします。

2023.5.12改稿/2023.9.2再改稿

オンラインツアー「立花宗茂の甲冑大解剖Ⅱ~すべて魅せます!表も裏も細部まで~」(2023.6.2開催)では、「鉄皺革包月輪文最上胴具足」の内側や細部を植野館長が直接カメラで撮影しながら解説。付録ブックレット(B6版フルカラー 24頁)も大充実。他の武将の当世具足を鑑賞するときにも必携の書となるはずです。

オンラインツアー「立花宗茂の甲冑大解剖~すべて魅せます!表も裏も細部まで~」 (2023.1.27開催) は、オンラインだからこそできる内容を目指した当館初企画です。第1回目は「伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足」。展示中の甲冑を脱がせながら、裏側をのぞいたり細部に肉迫したりと、植野館長が直接カメラで撮影をしながら解説します。付録の「立花宗茂の甲冑大解剖解説冊子」(B6版16頁オールカラー)も充実しているので、例えば徳川家康とか、他の武将の当世具足を鑑賞するときにも必ずお役に立つことでしょう。

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特別展における干支別おすすめ作品

2017/12/20

立花宗茂生誕450年にあたる2017年。
記念の年の最後を飾る最大のイベント、特別展「立花宗茂と柳川の武士たち」
柳川古文書館と立花家史料館の2会場で、12月9日から始まりました。

 

今年もあっという間に時が過ぎ、気がつけばもう年末。
そこで全展示作品、2会場合わせて130点余りの中から
干支別のおすすめ作品をご紹介したいと思います。

 

【「子年」生まれのあなたへのおすすめはこの作品!】
第4章 改易 より
「立花宗茂書状」(個人蔵)

部分

 

 

 

 

 

 

 

慶長17年(子年)に出された書状です。
肥後加藤家に仕える十時成重が
奥州南郷(棚倉)領主となった宗茂のもとへ
転仕したいと希望するも
加藤忠広の家督相続という大事な時期だから
転仕願いは当分控えなさい、という内容です。

 

【「丑年」生まれのあなたへのおすすめはこの作品!】
第2章 立花山城へ、第3章 柳川城主となる より
「金箔押桃形兜」(立花家史料館蔵)

修復復元

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おなじみ金甲です。
なぜ丑年なのか。
裾黒の後立が、白と黒でなんとなくホルスタイン色かな、と思ったので。

 

【「寅年」生まれのあなたへのおすすめはこの作品!】
第3章 柳川城主となる より
「火縄銃 銘 大虎・小虎」(個人蔵)

大虎 部分

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝鮮出兵の時に米多比鎮久が虎狩に用いたとされる火縄銃です。
一緒に伝来した「虎の歯」も並べて展示しています。

なお寅年生まれの方には他に
「加藤清正書状」なども併せておすすめいたします。

 

【「卯年」生まれのあなたへのおすすめはこの作品!】
第6章 ふたたび柳川へ より
「鉄黒漆塗縹糸素懸威最上胴具足」(個人蔵)

部分

 

 

 

 

 

 

 

 

生形家に伝来した甲冑です。
杏葉部分を見ると、こちらを向いたウサギさん(真向兎)がいます。
全展示の一番最後に登場する甲冑なので
「さよなら、また来てね」と言っているようにも見えます。

 

【「辰年」生まれのあなたへのおすすめはこの作品!】
第6章 ふたたび柳川へ より
「鉄黒漆塗桶側二枚胴具足」(個人蔵)

部分

 

 

 

 

 

 

 

 

由布家に伝来した甲冑です。
いかつい龍頭の前立が、こちらを威嚇するように睨みをきかせています。
誰もいない夜中には、金色の羽で飛び回っているかもしれません。

 

【「巳年」生まれのあなたへのおすすめはこの作品!】
第2章 立花山城へ より
「誾千代肖像(写真パネル展示)」(良清寺蔵)

部分

 

 

 

 

 

 

 

 

7歳にして立花山城の女城主となった誾千代は
永禄12年、巳年生まれです。

 

【「午年」生まれのあなたへのおすすめはこの作品!】
第6章 ふたたび柳川へ より
「刀 無銘 伝清綱」(個人蔵)

白鞘 部分

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後に儒学者となった安東省菴(親善)が
「有馬之役」つまり島原の乱で佩びたことが
白鞘に記されています。
「有馬之役」。
有「馬」之役。

 

【「未年」生まれのあなたへのおすすめはこの作品!】
第6章 ふたたび柳川へ より
「鉄黒漆塗碁石頭伊予札紺糸素懸威二枚胴具足」(立花家史料館蔵)

部分

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十時家に伝来した甲冑です。
胴に配された鼻紙入(緑色のポケット部分)は、おそらく羊の毛織物製。

 

【「申年」生まれのあなたへのおすすめはこの作品!】
第3章 柳川城主となる より
「豊臣秀吉朱印状」(立花家史料館蔵)

 

 

 

 

 

 

 

宗茂に筑後三郡を与えますよという、豊臣秀吉の朱印状です。
これがなぜ申年なのかは、お察しください。

なお申年生まれの方には他に
豊臣秀吉から拝領した「唐物茶壺(呂宋壺)」なども併せておすすめいたします。
こちらも理由はお察しください。

 

【「酉年」生まれのあなたへのおすすめはこの作品!】
第2章 立花山城へ より
「脇指 無銘(雷切丸)」(立花家史料館蔵)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大人気の雷切丸。
戸次道雪が雷を斬るまでは「千鳥」という刀でした。

 

【「戌年」生まれのあなたへのおすすめはこの作品!】
第3章 柳川城主となる より
「金白檀塗色々威壺袖」(柳川古文書館蔵)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宗茂と家臣との仲をものがたる袖として、テレビや新聞で取り上げられた作品。
話題になったおかげで、YAHOO!ニュースの見出しに
「立花宗茂」の文字を見ることができました。
宗茂が小野にこの袖を与えたところ、小田部が袖を献上し云々
の話が記されている道具帳は
安永7年(戌年)に作成されたもの。

 

【「亥年」生まれのあなたへのおすすめはこの作品!】
第3章 柳川城主となる より
「軍神掛物」(立花家史料館蔵)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宗茂が陣中に持参した御守本尊と伝わる資料。
中央の摩利支天が乗っているのは猪です。

 

 

立花宗茂生誕450年記念特別展「立花宗茂と柳川の武士たち」
会場は
第1章~第2章 柳川古文書館
第3章~第6章 立花家史料館
2018年2月4日まで、会期中無休。
今度のお正月休みは柳川でゆっくりとお過ごしください。

そして観覧の際には、それぞれの干支のおすすめ作品に
注目してみるのも楽しいかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なお、立花家史料館は通常、展示作品の撮影が可能なのですが
本特別展は借用資料が多いため
写真撮影をご遠慮いただいています。

 

 

 

 

 

 

 
入口付近に撮影スポットを用意しましたので
そちらで存分に撮影した後、展示作品はご自分の目でご堪能ください。

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見て楽しい江戸の風景、聞いて楽しい立花家の歴史

2016/4/28

前々回のスタッフブログでは、特集展示の刀剣展の紹介をしました。

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「雷切丸」公開!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7月4日までの期間、特集展示のほかに
スポット展示と平常展示もご覧いただけます。

 

入館して最初のコーナーは
スポット展示「江戸のながめ、名所めぐり」

立花家に伝わる「江戸時代の江戸のながめ」が描かれた絵や盃を眺めながら
名所めぐりを楽しめる企画です。
柳川にいながら、江戸を旅することができます。

 

まずは隅田川を船でゆく気分に浸ってみましょう。

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「隅田川両岸一覧図巻」

 

 

 

 

 

 

 

人々が行き交う橋、花に囲まれた寺、移りゆく街並み。
いきいきと描かれた江戸の町をゆっくりお楽しみください。

次は、盃を眺めながら
そこに表された、雷門や三囲社、両国橋、越後屋など
江戸の名所をめぐりましょう。

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江戸名所双六図蒔絵盃

江戸名所双六図蒔絵盃(部分)

 

 

 

 

 

 

 

このように、細かく表現してあるので
ぜひじっくりとご覧ください。

 

江戸の旅を楽しんだ後は、平常展示のコーナーへ。
このたび、こちらのケースに変化がありました。
さていったいどこでしょう。

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正解は
初代藩主・宗茂の甲冑が
鉄皺革包月輪文最上胴具足」から「伊予札縫延栗色革包仏丸胴具足」に
二代藩主・忠茂の甲冑が
「黒漆塗骨牌鉄繋畳具足」から「鉄黒漆塗碁石頭伊予札縫延丸胴具足」に
かわりました。

2領の間に「火縄銃 銘 墨縄」と「金箔押桃形兜(復元)」があるのは変わりません。

 

 

また、今回から平常展示に音声ガイドが登場。
ガイドがあるのは、展示リストに番号のある作品です。

音声ガイドをお楽しみいただくには
Googleプレイストアでアプリ「立花家史料館ガイド」(無料)をダウンロードしてください。

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この「立花家史料館現在の展示」で、音声ガイドを聞くことができます。

 

声の出演は辻政樹さん。

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そしてタイトルに【宗茂が語る 〇〇〇】とあるものは
当館スペシャルサポーターの立花宗茂さん(熊本城おもてなし武将隊)です。

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実際の画面でみると
赤で囲んだ部分に「宗茂が語る」がないのは、辻さん。

「宗茂が語る」がないのは、辻さん

 

 

 

 

 

「宗茂が語る」があるのは、スペサポ宗茂さんです。

ここに「宗茂が語る」があればスペサポ宗茂さん

 

 

 

 

 

 

ダウンロードした音声ガイドは、通勤中やご自宅や旅行先など
いつでもどこでも聞くことができます。

 

アプリは、史料館受付に掲示したQRコードからダウンロードすることもできますので
入館直前に「ちょっと聞いてみようかな」と、急に思いついたとしても、大丈夫。

館内で音声ガイドをお楽しみいただく際は、イヤホンをご使用ください。
(イヤホンは受付でも販売しています。)

 

音声ガイドのある作品には、「音声ガイド」マークを表示しています。

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甲冑については、現在展示中の全ての作品のガイドを聞くことができます。

 

雛人形や雛調度の解説もあります。

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解説を聞きながら作品を見ると
これまで気付かなかった何かを発見できるかもしれません。

 

ガイドは、ときどき地味にアップデートすることもあります。
その際はtwitter公式アカウントでご案内します。

 

見て楽しい、聞いて楽しい、立花家史料館の展示。
みなさまのご来館を心よりお待ち申し上げております。

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再び出会った宗茂と誾千代(甲冑体験プログラム)

2015/5/8

慶長5年の関ヶ原合戦で西軍に加担したために、領地を追われた立花宗茂。
肥後・高瀬で浪々の日々を過ごしていた宗茂は、大名復帰の希望をもって京に上りました。
慶長6年7月のことです。
これが宗茂と正室・誾千代の最後の別れとなりました。

その翌年、誾千代は肥後の地で生涯を閉じたのです。
20年後に柳川の地に大名として復活した宗茂の姿を見ることはできませんでした。

 

それから414年。
あのとき別れた宗茂と誾千代が、「甲冑」となって再び出会います。

それが5月6日に開催したイベント。

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「戦国時代立花家甲冑体験プログラム
-414年を経て、今再び出会う宗茂と誾千代-」

立花家史料館では、できる限り素材や技法を
オリジナルの甲冑に近づけたレプリカを製作しています。
立花宗茂のレプリカ甲冑に続いて
このたび、誾千代の着用という空想の甲冑を製作しました。

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モデルとなったのは、大友宗麟の
「白檀塗浅葱糸威腹巻」。
(九州国立博物館「戦国大名」展に展示されています)

この誾千代モデル甲冑のお披露目として開催したのが、本イベントです。

 

会場は柳川藩主立花邸御花 松濤館2階 元禄の間。

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会場への道の途中、階段下では
普段は史料館入り口にいる、宗茂・誾千代パネルがお出迎え。

 

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階段を上がると、史料館公式グッズの特別販売コーナー。

 

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宗茂所用の「金地三日月図軍扇」をモデルにした軍扇と

 

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宗茂・誾千代クリアファイル。
どちらも九州国立博物館「戦国大名」展グッズコーナーでも買えますが
この日は特別価格でご提供。

隣には柳川藩主立花邸御花の出張売店。

 

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宗茂関連グッズが大集合。
この他に絵はがきや金甲ストラップなどもありました。

舞台裏には、誾千代モデル甲冑がスタンバイ。

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静かに出番を待ちます。

さらに4階控え室では

 

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宗茂のレプリカ甲冑もスタンバイOK。

 

12時50分開場。
朝早くから整理券のために並んでくださったみなさまが
会場に着席されました。

各所準備が調い、13時、いよいよイベントスタートです。

 

開会に先立ち、公益財団法人立花財団理事長・立花宗鑑のごあいさつ。
その後すぐに会場が暗くなり
みなさん待ちに待った「熊本城おもてなし武将隊」の登場です。

 

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まず当館作成の武将隊PV風映像(1分弱)を放映。
出陣武将である立花宗茂さん、黒田官兵衛さん、細川忠興さんをご紹介しました。

 

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演目は、この日のために用意された特別プログラム。
宗茂さんメインの「梅鶯東風」。
しんみりする場面あり、

 

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激しい殺陣あり。

宗茂と誾千代や家臣ら、そして武将達の絆を感じさせるお話しでした。

 

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その後、熊本城ではおなじみの「虎念天通」と「虎嘯風生」。

 

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「虎嘯風生」では会場内に手拍子が響きました。

 
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宗茂さんの音頭で「エイエイオー」を三唱して、演舞は終了。

 

武将さん達が退場し、しばしの休憩をはさんで
西岡文夫さんによるレクチャー開始です。

 

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演目は「当世具足の特徴―着装用レプリカ甲冑製作を通して」。
西岡甲房代表の西岡文夫さんは、日本を代表する甲冑師で
宗茂レプリカ甲冑と、誾千代モデル甲冑の製作をされました。
当館所蔵の立花宗茂所用具足の修復もしてくださっています。

 

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戦い方の変遷に伴って変化していく甲冑の歴史や
どういう風に甲冑を作っているのか
また、レプリカの製作過程や特徴などを
わかりやすくお話しいただきました。

長年甲冑に携わっている西岡さんならではのお話が
次から次へと泉のように湧き出てきます。

 

諸事情により少し時間がかかってしまいましたが
満を持して、宗茂レプリカ着装の立花宗茂さん(熊城隊)登場。

 

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凛々しいお姿に会場が沸き立ちます。

 

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実際の宗茂所用具足との違いなどを解説。

続いて誾千代モデル甲冑を着て登場したのは

 

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黒田官兵衛さん(熊城隊)。
思いがけない登場に、宗茂さんのとき以上に沸き立ちました。

そしてこのときこそ
宗茂と誾千代(?)が414年を経て出会った瞬間だったのでした。

 

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誾千代モデル甲冑についても
実際に着装したものを見ながら解説。
威糸についてや、腹巻についてなど。

 

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西岡さんのレクチャー前半の間
4階控え室では、宗茂さんと官兵衛さんに甲冑を着せていました。
そのときの話。

烏帽子の関係で、結んでいた髪をおろすことにした官兵衛さん。
胴を着ける前の姿が、なんだか「安倍晴明」っぽいと周囲から言われていました。
軍師から陰陽師へ。

 

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宗茂さんは、当世では着け慣れていない兜をかぶっているので
頭上の感覚がわからず
ドアを通るときなど、不思議な体勢(中腰的な)で歩いていました。

甲冑を着けて歩くとき、
一般の人は、頭上はもちろんですが、
刀の先もいろんなところにガチガチ当ててしまいがちです。
しかし普段から帯刀されている宗茂さんは、そこは全く心配いりませんでした。
さすがです。

 

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なお、控え室での宗茂さんは
汗拭き用に「立花宗茂マフラータオル」を使っていたことを
ここに謹んでご報告いたします。

 

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この2領は、柳川藩主立花邸御花でのブライダルでもご利用になれます。
新郎新婦でどうぞ。

 

官兵衛さんが「今だけ誾千代」となって結婚式風のポーズをとったり
背中の様子を見せたりしながら
写真撮影タイム。

 

これにて特別レクチャーも終了です。

 

レプリカ着装の宗茂さんは、このまま親衛隊との記念撮影。

 

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(ブログ掲載を了承された方のみ写っている画像を掲載しています)
みなさんがかぶっている金の兜は
九州国立博物館特別展「戦国大名」の
ワークショップ「手作り兜を作ろう!」で作った黄金の兜。
モデルになっているのは
もちろん当館所蔵の「金箔押桃形兜」です。

これをかぶって入場した方には
史料館オリジナルグッズと
ミュージアムスタッフ手作りの裾黒の後立

 

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こちらをプレゼントしました。

ちなみに金甲は家臣の兜ですが、殿もかぶってみちゃいました。

 

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ここでイベントはいったん中締め。
このあと元禄の間会場では
抽選に当たった方の誾千代モデル甲冑着装体験。

立花家史料館では「特別ギャラリートーク・うぃず忠興」。
展示担当学芸員と、細川忠興さんとの、トークを交えた特別ギャラリートーク。

 

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甲冑着装を担当しており、ギャラリートークを見ていないので
ここでは着装体験の様子をご紹介します。

ただ噂によると、ギャラリートークは、漫談のようで、爆笑の連続だったとか。
きっと面白いことになるだろうと、内々では言っていたのですが、やはり。

熊本城おもてなし武将隊事務局の撮影されたものが、後日送られてくるということですので
そのときを楽しみにしていようと思います。

 

さて、着装体験会場。

 

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今回は2名の女性が着装を体験しました。
準備を待つ間、いつもの甲冑に着替えた官兵衛さん、
いまだレプリカ甲冑姿の宗茂さん、そして当館館長のトーク。

甲冑に関するお話しが繰り広げられました。

 

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知識の豊富な軍師は、質問が的確なので
ゆるいながらも、ためになるトークタイムでした。

宗茂さんは着装体験者と並んで記念撮影。

 

以上ですべてのプログラムが無事に終了。
ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。

 

【その後の熊本城おもてなし武将隊】

全体を通して、いろんなことにご協力くださった武将さんたちとスタッフのみなさんに
館長から宗茂兜ケーキのプレゼント。

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パティシエと共に。
官兵衛さんの手にはなぜか「へしきり長谷部バームクーヘン」(某学芸員所用)

 

控室を訪れた当財団理事長と宗茂さんご対面。

 

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立花宗茂(2代)と立花宗鑑(17代)の名刺交換。

 

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立花宗茂(2代)と立花宗鑑(17代)のツーショット。

 

このあと史料館へご案内。

 

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移動途中にパネルを囲んでみました。

 

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現在展示中の「金地三日月図軍扇」と。
宗茂さんの手にある軍扇は
販売している軍扇とは違う、本物により近づけた特別製です。
イベントでもこれを使っていただきました。

 

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ほら甲冑も展示品とおそろい。

 

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すぐカメラ目線をする忠興さん。
お弁当では玉子焼きは欠かせないと力説していました。
玉(ガラシャ)さんloveが止まらないご様子。

玉さんの次に大好きな「うむすび」の販売が再開したら、即お知らせします。

 

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みなさま、遅くまでありがとうございました。
またいつでも遊びにお越し下さい。

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