殿さんが騙された?「大広間」の瓦の疑惑
2023/3/15平成28~31年(2016-2019)の修復工事がはじまる頃、(株)御花の古株社員の某氏から、深刻な表情で話しかけられました。
某氏「今度の修理では大広間の瓦もやりますか?」
「やります!すべて葺き替えます!これで雨漏りに悩まされなくなりますよ!」
暗い顔の某氏「今の瓦はどうなりますか?」
「残念ながら記録を残して廃棄ですねぇ」(古い瓦に愛着があるのかな?)
さらに暗い顔の某氏「言っていいものかどうか迷うのですが……」
「そんな話こそ聞きたいです!」
某氏「あのですね……新入社員の頃に大先輩から聞いた話なのですが」
(ワクワク)
某氏「大広間の建築資材は大阪から船で運んできたそうで」
(口伝だ!大阪から運んだことは報告書でも読んだぞ〔註1〕)
某氏「その船上でですね」
(船上!ワクワク)
声をひそめた某氏「大広間のための瓦が粗悪品とすり替えられたそうなんです……」
(え!!!!)
某氏「木材は建てた後も殿さん〔註2〕の視界に入るけれど、瓦は屋根に載せたら最後、絶対に殿さんの目には入らないからバレない、と」
(すごくもっともらしい!騙され方が、とても殿さまっポイ!)
某氏「大広間の瓦は、出来が良くないからヒビが入って、だから雨漏りするんですよ」
(これは事実。実際、大広間の瓦は焼き締めがあまく経年劣化が激しいです〔註3〕)
某氏「柱などの木材はすべて立派じゃないですか」
(これも事実。選りすぐりの木材が使われています〔註4〕)
某氏「木材と瓦の品質に差がありすぎるのは、殿さんが騙されたからだと大先輩が言ってました」
(ちゃんと筋が通ってる!信じちゃう!)
深刻な某氏「殿さんが騙された話は、おおっぴらには言えないので、今まで黙ってきました」
(えらいな、社員の鑑だな)
とても深刻な某氏「でも、瓦も修理するなら、白日の下にさらされるのですよね……」
「安心してください、殿さんは騙されていません。大前提が違ってます。木材は大阪から取り寄せましたが、瓦は地元の柳川周辺でつくられたものです」
某氏「え!!!!そうなのですか?
でも、木材はわざわざ遠方から取り寄せたのに、なんで瓦はそうしなかったのですか?」
「それはですね、瓦はとても重く、そして大量の瓦が必要だったからです。 当時の輸送力では、遠方から瓦を運ぶのはとても難しく、地産地消となったのです」
某氏「じゃあ、騙された殿さんはいなかったのですね、よかった……」
以上、多少脚色しましたが、実話です。
おそらく御花の大先輩は、目の前のチグハグさを、自分の知識の範囲で辻褄を合わせ、知らずにストーリーを作ってしまったのでしょう。とても興味深い事例です。
そして、殿さんが騙された話は絶妙に面白く、確証がなければ、わたしも完全に否定できなかったかもしれません。
註を解説しながら、騙された殿さんがいないことを証明していきます。
まずは、註2:殿さんは、柳川ではトンさんと読みます。
註1
国の指定文化財を、国・県・市などから補助金を交付されて修理する場合、修理の前後をきちんと記録に残すために、報告書を作成しなければなりません。
(株)御花が主体となって実施した修理工事の報告書は、2007年『名勝松濤園内 御居間他修理工事報告書』、2020年『名勝立花氏庭園 大廣間・家政局他保存修理工事 石積護岸災害復旧工事報告書』の2冊があります。
報告書の作成にあたり、有明高等工業専門学校建築学科教授・松岡高弘氏と(株)河上建築事務所・河上信行氏が中心となって、残された図面や古文書類まで丹念に調査され、その成果も報告書にまとめていただきました。
とても充実した内容の、自慢の報告書です。
註3
立花伯爵邸の瓦は、瓦に刻印された地名から、地元柳川でつくられたことがわかります。
現在、全国の瓦の多くは、限定された生産地域でつくられた機械製品です。しかし、昭和初期ころまでは、それぞれの土地で焼かれた手作りの瓦がつかわれていました。
修理前の瓦は、土の耐火度が低いために焼き締めが十分でなく、100年の経年劣化もあわせて、「凍害」「割れ」「欠け」のある瓦が多く見られました。
平成28~31年(2016-2019)の修復工事では、明治期の瓦に色が近く、耐久性のある瓦をもとめ、瓦の日本三大産地のひとつ、愛知県の三州瓦を約1万3千枚つかっています。
註4
立花伯爵邸の材木「御建築用材」の調達は、成清仁三郎さんが請け負い、長崎・大阪・名古屋で材木の市場調査の末、材料や木挽人夫等の手間賃の高騰に困らされながも、ケヤキ・ヒノキ・スギ・ツガ・マキ・タガヤサン等を大阪から納入したことが、残された文書資料からわかります。
ただし、修理で発見された板の摺書には、秋田や宇都宮の地名も見られるので、全国から集められた中で選りすぐりの良い材木を見分したのでしょう。
報告書では、刻印や摺書の写真や、ほかの文書資料なども掲載され、註3と註4がさらに詳述されています。
実際の修復工事にて、大型トラックやクレーン車、瓦を屋根に揚げる機械「瓦揚げ機」の大活躍ぶりを目にすると、100年以上前に人力のみで瓦を葺いた際の労力は計り知れません。
この修復工事をつぶさに見学した経験と、報告書の記録により、 わたしは確信をもって瓦の疑惑を否定することができます。
ですが、歴史を学ぶ必要性を実感する、とても良い教材となりました。
参考文献
名勝松濤園修理事業委員会 河上信行建築事務所『名勝松濤園内御居間他修理工事報告書』2007.3月 (株)御花、河上建築事務所『名勝立花氏庭園 大廣間・家政局他保存修理工事 石積護岸災害復旧工事報告書』2020.3.31 (株)御花
【立花伯爵邸たてもの内緒話】
明治43年(1910)に新築お披露目された立花伯爵邸の建物・庭園の、内緒にしている訳ではないのにどなたもご存知ない、本当は声を大にして宣伝したい見どころを紹介します。また、(株)御花 が取り組んでいる文化財活用の一環である、平成28~31年(2016-2019)の修復工事の記録や裏話もあわせてお伝えします。