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オンラインツアー《明治後期・大正期の「床の間」拝見》

2023/3/2

前回、立花伯爵邸「大広間」の床の間について長々と解説しましたが、床の間は難しいとしみじみ思いました。

*ご興味のある方は フレキシブルな「大広間」床の間[前半] [後半] へ

 

最近は床の間のない家が主流で、他人の家の床の間を見る場面もあまりありません。

かと言って、床の間は建築の一部なので、美術館や博物館で見る機会も少ない……

床の間に馴染みのない方に文字だけで紹介するのは不親切すぎるけど、どうしよう……

 

そんなときに新しいメディア、Googleマップ ストリートビューです。

立花伯爵邸内のGoogle撮影に立ち会ったのに、すっかり忘れていました。

 

試しに「大広間」東床をのぞくと、画像の拡大も、360°回転も可能です。

※埋込画像が出ないときは、再読み込み(リロード)してください

ふりかえって西床。

まさに「床の間」拝見にぴったりのメディアではないでしょうか。

現実では不可能ですが、このように東床と西床とを並べてみると、間違い探しが楽しめます。

*東床と西床の詳細が知りたい方は フレキシブルな「大広間」床の間[後半]

 

立花伯爵邸には他にも「御居間」棟に「床の間」があるので、この機会に並べてみましょう!

※現在「御居間」は、柳川藩主立花邸 御花の料亭「集景亭」の個室として利用されています

 通常の有料見学範囲には含まれておりませんのでご注意ください

 

最初は立花家14代当主・寛治の居室であった「松の間」。

伯爵邸時代の呼び名は「御殿様御居間」、8畳に「御次ノ間」6畳が繋がる広い部屋で、最も格式が高いつくりとなります。

ちなみに、向かって左に見える欄間の意匠は、立花家の家紋のバリエーションの1つ「帆の丸祇園守り紋」です。

 

床・棚・付書院を設け、幅1間・奥行半間の畳床、床柱は杉四方柾の正角、床柱と長押の取付きは枕捌、床框は黒漆塗です。

ちなみに大広間「東床」は、床・棚・付書院が設けられ、幅2間の畳床、床柱は杉四方柾の正角、取付きは枕捌、床框は黒漆蝋色塗仕上げとなります。

「大広間」の東床と共通する=最も格が高いのですが、反面シンプルで遊びがありません。

*「床の間」専門用語は フレキシブルな「大広間」床の間[後半] で説明しています

*専門用語は煩雑ですので読み飛ばしていただいても構いません。間違い探しのつもりでお楽しみください。

 

 

隣は寛治の書斎であった「鈴の間」。

伯爵邸時代の呼び名は「御殿様御書齊」、6畳に「御次ノ間」4畳が繋がります。「松の間」と比べると少し格を下げています。

見えていませんが、向かって右側の欄間の意匠は、これも立花家の家紋のバリエーションの1つである「崩し祇園守り紋」です。

床・棚・付書院を設け、幅4分3間・奥行4半間の畳床、床柱は杉丸太、床柱と長押の取付きは雛留です。

 

「新鈴の間」は、寛治の嫡男で15代当主となる鑑徳の居間でした。

伯爵邸時代の呼び名は「若殿様御居間」、8畳に「御次ノ間」4畳が繋がります。

向かって左に見える欄間の意匠は若松で、寛治の部屋よりもくだけた雰囲気となっています。

床・棚・付書院を略した形式の平書院を設け、障子の上の透し欄間の意匠は竹と雀、幅1間・奥行半間の畳床、床柱は面付杉丸太、床柱と長押の取付きは雛留です。

 

明治31年(1898)に結婚した、寛治の三番目の妻・鍈子の居間が「花の間」です。

伯爵邸時代の呼び名は「奥様御居間」、8畳に「御次ノ間」4畳が繋がります。

見えていませんが、向かって左の欄間の意匠は梅、床の間とあわせて柔らかで、洒落た雰囲気でになっています。

床・付書院を略した形式の平書院を設け、障子の上の透し欄間の意匠は菊、違い棚はなく天袋 テンブクロ・地袋 ジブクロのみ、幅1間・奥行半間の畳床、床柱は鉄刀木タガヤサン の面付丸太、床柱と長押の取付きは雛留です。

 

 

なんということでしょう!

各部屋の「床の間」が簡単に見比べられて、共通点と相違点がよくわかります。

その上、視点を変えて、欄間や付書院もしっかりと鑑賞できます。

さっき見た床の間を、隣の部屋へ移る間に忘却し、また戻って見直すなんて、しなくて良いのです。

 

ズラッと「御居間」の「床の間」を並べると、当主を頂点とするヒエラルキーが見えてきます。

柳川藩主立花家という、旧大名家の住宅だからこそでしょうか?

 

よそのおうちの「床の間」がとても気になります。

 

Googleマップ ストリートビューなら、よその「床の間」も拝見できるのではないでしょうか。

数多くの作例を見るほど『見る目』が養われるはずなので、オンライン上の「床の間」をもっと探さなくては!

その前に、拝見や鑑賞をサラに面白くするため、基準作を定め、それに合わせた“縛り”を決めておきます。

 

今回は明治43年(1910)築の立花伯爵邸を基準作とし、同世代の富裕層の住宅という“縛り”で、オンラインツアーにGO!!

 

 

まずは同じ福岡県内、飯塚市の旧伊藤傳右エ門氏庭園(国指定名勝)内に建つ、重要文化財「旧伊藤家住宅

筑豊の炭鉱経営者・伊藤傳右エ門(1860~1947)の本邸として、明治39年(1906)から建設が始まり、昭和初期まで増改築を重ねました。

解説付き旧伊藤伝衛門邸3Dパノラマビュー

 

この旧伊藤家住宅・北棟の「本座敷」がこちら。

さすが同世代、立花伯爵邸「大広間」にとても似てます。

ただ、土で仕上げた聚楽壁 ジュラクカベなので、紙や布を貼った貼り付け壁につけられる「四分一」はありません。

*「四分一」?と思った方は”立花伯爵邸たてもの内緒話「知られざる四分一」 “へ

この「本座敷」は襖に凝っていて、海を背景に、帆掛け船の引手が浮かぶように見せています。

床・棚・付書院を設け、幅2間の畳床、床柱は杉四方柾の正角、床柱と長押の取付きは枕捌、床框は黒漆蝋色塗仕上げに見えます。

 

旧伊藤家住宅・北棟の「中座敷(主人居間)」は、「本座敷」より少し格を下げています。

紙貼り付け壁ですが、「四分一」はつけられていません。

床・棚・付書院を設け、幅1.25間の畳床、床柱はおそらく鉄刀木の面皮柱、床柱と長押の取付きは雛留、床框は黒漆蝋色塗仕上げに見えます。

 

旧伊藤家住宅・北棟の「2階座敷」は、見た目の印象がガラッと変わります。

伯爵家から傳右エ門に嫁いだ歌人・柳原白蓮/燁子(1885~1967)の使用を前提として、大正2~6年(1913~17)に増築されました。

竹の落掛けに加え、竹をつかった亀甲組の床脇天井など、格式から離れ、洒落た趣向が凝らされています。

床・棚に斜め切りの書院窓を設け、幅1間の畳床、床柱は赤松の面皮柱、竹の落掛け、竹をつかった亀甲組の床脇天井が見えます。

 

 

次は、旧大名家の住宅つながりで、旧長州藩主・毛利家が、山口県防府市に大正5年(1916)に建設した「旧毛利家本邸」(重要文化財)

 

「全体に伝統的な和風意匠を用いた住宅建築……大規模で複雑な構成の建築を、上質な材料や高度な木造技術による贅沢な意匠でまとめるとともに、コンクリート造や鉄骨造、機能的な配置計画など近代的な建築手法を取り入れており、近代における和風住宅の精華を示すものとして重要である。このうち客間は、檜柾目の木材や飾金具、金粉を用いた壁紙など贅を尽くした意匠で仕上げる。」と文化庁「旧毛利家本邸」(『国指定文化財等データベース』)では解説されています。

 

贅を尽くした旧毛利家本邸を訪問するたびに、わたしはウチ(立花伯爵邸)と比べて勝手にくじけてしまいます。

比較するまでもなく、誰もが豪華さに圧倒されるでしょうが、“11万石外様” “伯爵”というウチを基準とすると、“薩長土肥” “公爵”という格差がより明確に感じられるのです。

感嘆したり、くじけたり、感嘆したりと、おそらく「旧毛利家本邸」で一番忙しく鑑賞しているのは、わたしだと思います。毎度、記憶を上回る豪華さを体感しています。

「旧毛利家本邸」(毛利博物館)を十二分に楽しむために、ぜひ事前に「立花伯爵邸」(立花家史料館)をご見学ください。

※見る順を逆にすると、ウチがしょぼく見えてしまいます……でもウチには「西洋館」がある!

 

 

「旧毛利家本邸」のGoogleマップ ストリートビュー「本館客室(一階大広間)」をのぞいてみます。

 

惜しい!絶妙な画角での撮影で、「四分一」は確認できますが、「床の間」を拝見することができませんでした。

それでも、絢爛さは十分にお分かりいただけますでしょうか。

 

 

最後は、洋館と和館を併設する住宅つながりで、東京都台東区の「旧岩崎家住宅(東京都台東区池之端一丁目)」(重要文化財)

旧岩崎家住宅は明治29年(1896)三菱第3代社長の岩崎久彌(1865~1955)の本邸として建てられました。現存するのは 洋館・撞球室・和館の3棟、英国人ジョサイア・コンドルが設計した洋館が有名ですが、今回は「大広間(和館)」をのぞいてみます。

床・棚・付書院を設け、幅2間の畳床、床柱は杉?四方柾の正角、床柱と長押の取付きは枕捌、床框は黒漆蝋色塗仕上げに見えます。

 

この「床の間」の形式は何と言えばよいのでしょうか?

不勉強で申し訳ありませんが、課題として残しておきます。

素人考えで、畳床の畳を縦に使えば、畳を特注しなくて良いので合理的だなと思ってしまいました。

 

 

このオンラインツアー、とても楽しいです。

どの「床の間」も現実で訪れたことがありますが、今すぐ再訪問したくなりました。

様々な知見が得られて、勉強すべき課題も増えましたが、結論は「みんなちがって、みんないい」

 

参考文献 名勝松濤園修理事業委員会 河上信行建築事務所『名勝松濤園内御居間他修理工事報告書』2007.3月 (株)御花、飯塚市HP「旧伊藤伝衛門邸の庭園国の名勝指定」、飯塚市HP「旧伊藤伝衛門邸」旧伊藤伝衛門邸(福岡県飯塚市)、砂田光紀『旧伊藤伝衛門邸 筑豊の炭鉱王が遺した粋の世界』旧伊藤伝衛門邸ブック制作委員会、国指定文化財等データベース(文化庁)毛利博物館HP「毛利邸見所紹介」、毛利博物館(山口県防府市)、『旧毛利家本邸の百年』2018.10.22(公財)毛利報公会 毛利博物館、旧岩崎邸庭園(東京都台東区)、内田博之『旧岩崎邸庭園 時の風が吹く庭園』2011.6(公財)東京都公園協会

【立花伯爵邸たてもの内緒話】は、明治43年(1910)に新築お披露目された立花伯爵邸の建物・庭園の、内緒にしている訳ではないのに誰もご存知ない、本当は声を大にして宣伝したい見どころを紹介します。また、(株)御花 が取り組んでいる文化財活用の一環である、平成28~31年(2016-2019)の修復工事の記録や裏話もあわせてお伝えします。

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