Twitter
Instagram
facebook
Twitter
Search:

11/18大慈院イベント準備⑥柳川藩の御用窯 蒲池窯へ

2017/11/1

立花家の人々、立花万起子です。

11月18日に京都で開催予定の「立花宗茂ゆかりの京都大慈院で歴史講話とお茶会」の準備を進めております。ブログでイベント準備の進捗状況を時々アップさせていただきます。

蒲池焼、ご存知でしょうか。

慶長9年(1604年)、家永彦三郎方親が、三潴郡蒲池村(現、福岡県柳川市西蒲池)で土器を焼いたことから始まりました。方親の作品をみた豊臣秀吉公はその土器を絶賛し御朱印状を与え、その後立花宗茂の目にもとまり柳川藩の御用窯となりました。

御用窯であったため、昔は一般への販売は禁止されていました。そして明治になって藩の保護を失うと、廃窯。一般に作品が出回っていなかったため、昭和にはどのような技法を使った焼き物であったかは忘れられていました。

1970年代に入って、伊東征隆さんはこの蒲池窯の復活させるため、現存する蒲池焼の作品をもとめて立花和雄(私の祖父)をたずねたそうです。立花家には蒲池焼の手あぶりがあり、それを研究したそうです。そして何年もの試行錯誤を経て、伊東さんは蒲池窯の再興に成功されました。

立花家伝来の蒲池焼手焙り(立花家史料館所蔵)https://www.google.com/culturalinstitute/beta/asset/%E6%89%8B%E7%84%99/7AFc5Lza93uAbA?hl=ja

 

9月中旬に柳川へ行ったときに、伊東さんに蒲池窯の工房をみせていただき、再興までについてのお話しを伺いました。最初は、柳川藩の御用窯であったという歴史に興味があって訪問を決めたのですが、100年近く失われていた技法の復活に祖父が関わっていたと知り、蒲池焼がより近く感じられました。

土器に分類される珍しい焼き物である蒲池焼、素焼きした器を煙で燻す「炭化焼成」という技法を使って器の肌に黒い模様をいれるのが特徴です。土器ではあまり見られない艶やかで柔らかい独特な黒色をしています。風炉、灰器、火入れなどの茶道具、土鍋などがつくられます。

火入れ、香合、蓋置きなどの小さい作品も工房では展示販売されていました。

蒲池焼の土風炉は有名です。もし今回のイベントが風炉の時期(夏)の開催でしたら是非使ってみたかったものです。雲のような白い模様は焼き方の調整によってできるそうです。この土風炉は裏千家鵬雲斎宗匠の御好みです。

最後に伊東さんに外の窯を案内していただきました。上部が作品を出し入れする口となっていて、空窯またはキセル窯ともいいます。松の木で窯は焚かれ、上は瓦で蓋をして、炭化焼成させるために途中で蓋も薪を入れる口も粘土で覆って密閉するそうです。

火を扱う場所だからでしょうか、神聖な感じがしました。蒲池窯再興をよろこんで昔の土器師たちがここを守っているように思えます。

宗茂の時代からの御用窯である蒲池焼の作品をイベントでは使いたいと思い、今回誂えました。何であるかは後日ご報告します。

蒲池窯に関する情報

http://www.crossroadfukuoka.jp/jp/event/?mode=detail&id=400000006707&isSpot=1

 

 

▲ページの先頭へ